なぜ犬は噛むのか
犬が人を噛む。このテーマは人と犬が共存していく上で太古の昔から今現在に至るまで、そして未来へと続く永遠のテーマだと私は考えています。
今から約14000年前、人間と犬が共存を始めた頃、全く違う種がお互いの利害関係の一致により共同生活を始めました。それは当然、今の様なものではありません。
人は犬が傍に居ることにより侵入者をいち早く知り、自分たちの住む集落の安全を保つ術を知りました。
一方、犬は人が食べ残した残飯を糧に生存し過酷な狩猟をせずとも空腹が満たされる事を知ります。
やがて人は、犬が自分たちにとってとても役に立ち、かつパートナーとして共に生きて行くために犬の改良を始めました。
なぜなら”噛む”という習性が危険だと判断したからです。
これを家畜化と言い、家畜化とは野生動物の特徴を失わせることを意味します。
人間の保護下にある動物は外敵と戦う必要が無くなり、俊敏で力強い性質を喪失してしまいました。
しかし、それから長い年月を経た今でさえ人は「犬が噛む」ことに悩み、何とかしつけようと躍起になっています。それほどこの人を噛むという事は深いテーマなのです。
ちょっと話は逸れますが太古の昔、人はライオンや虎やゴリラなど、今では猛獣と言われる動物とも共存しようと、家畜化を試みた文献も残されているのですが、結局上手く行きませんでした。
彼らは人間にそれほどメリットを感じなかったのでしょうか。それともプライドが高く人間を受け入れる寛容さに欠けていたでしょうか。そして現在地球上の数億種の動物の中で限られた数種が人間と生活共存しています。
その最高峰が犬や猫であることは言うまでもありません。
そう考えると犬や猫が人間を受け入れた寛容な本能には頭が下がる思いです。
私もドッグトレーナーという仕事柄、数え切れないほど噛まれてきました。とても痛かったです。決して自慢出来ることでは無いかもしれません。
しかし、噛まれて犬から教えてもらい、そこから学んだことも沢山あります。
皆さんもご存じの通り、噛む動物は世界中にたくさん存在しますね。身近では猫なんかもそうですね。
しかし、犬は猫の爪のような武器は持っていません。牙で噛むことでしか自分を表現したり自分を守る武器が無いのです。
だから僕は噛む行為は攻撃するためのものでなく、防衛するためのものだと考えています。攻撃は最大の防御、これは僕の経験から導き出した答えなんです。
噛む理由を考える
犬が噛む理由は大きく分けて以下の四つです。
①学習
これはみなさんご存知のパピーのよくやる甘噛みです。勿論成犬になってもやる子はいます。
甘噛みをやめさせたいと思う飼い主さんは多くいますが、この甘噛みには様々な意味があるので、私は現場でいつもこうアドバイスします。
「甘噛みはさせてあげて下さい。そしてそこから犬に色々学ばせましょう」
犬は口に含んで学び覚える習性があります。仲間の確認や物や植物や餌の大きさや硬さ、形、味、匂いなど。
そして何より大切なのが噛む強さを学習することです。
パピーの頃兄弟たちと戯れ、遊びの中でじゃれ合いお互いに噛み合います。「キャンッ!」と相手が声を上げればパッと離れます。
噛んだ方が「あっ!強かったかな?やり過ぎだったかな」と思います。
こういうやり取りをして噛む強さを覚えていくんです。
これはもし仮に人間を噛んだ時に、力加減を解っている犬と解っていない犬では咬傷事件の賠償金の大きさに比例するほど影響が出ることもあります。
②防衛
よく耳にする話で「手を出したらガブリッ!」とか、「不意に近づいたらガブリッ!」と噛まれたということがあります。
これは単に犬の自己防衛本能で、例えば「頭の上から触ろうとすると噛む」これは人間の手がマズルだと思い「噛まれる!」と思い応戦してくるからです。
側に近づく時でも唸って「それ以上近づくな!近づけば闘うぞ」と警告しているにも関わらず、人間が気づかず臨界距離を越えてしまい、犬がガブリ。
犬が「やめろ!私に触るな!」と言っているのに、人間が無理やり触ろうとするので、そういう事態になります。
犬側からすると自己防御している意識しかないのです。
犬が噛むレベルも以下の通り三段階がありありますので覚えておいて下さい。
- 口をハグハグするだけの”威嚇空噛み”
- 前歯だけでカプッと噛む”警告噛み”
- 牙を立てて奥歯ごとガブリッと噛む”防衛本気噛み”
③移動と確認
代表的なものがパピーを咥えて移動させる母犬やおもちゃを移動させたり、食べ物を隠すために程よい強さで噛み支えています。これはハムッと咥えた時に大きさや臭いや形を確認しているのです。
④意思表示
これもよく実によく目にする行動ですね。飼い主のズボンや服やくつを噛んで「早く行こうよ!」と催促したりお気に入りのおもちゃを咥え押し付けてくる。
また、散歩中に飼い主の足を噛むというのもありますが、これには諸説あって、僕は狩猟本能の表れであると思います。
執拗に噛んでくる時は獲物を倒そうとする仕草に似ています。
定期的に足を噛んでくる時は「早く歩いてよ!」と促しています。こういう所々で犬は人に噛んで意思を伝えているのです。僕個人的には犬がふらっと寄ってきて力を入れずただパクリッと腕や足を噛んでくれる。これは愛情表現の一種で、僕にとって幸せなひとときで大好きなんです。
噛むことをやめさせる方法
やめさせる方法はしつける以外正直ありません。しかし先人たちの英知や努力もあり犬に噛まれないようにすることは出来ます。
強引さや無理強いを嫌うのは犬の本質です。これは非礼無礼を意味します。人も同じですよね。
それを我々人間が知っていれば予防が可能なのです。またパピーからのしつけで噛むことはダメなんだという教育は出来ます。でもこれは犬との信頼関係や主従関係がポイントになります。何故なら犬は自分より下位者の要求は一切聞かないからです。唯一やめさせる方法があるとしたらあなたが絶対的リーダーになることだけです。群れを統率し犬から尊敬されるリーダーになって下さい。そうすれば愛犬はリーダーであるあなたの嫌がることはしなくなります。
悪い事例を一つ紹介しましょう。
愛犬がパピーの頃から、しつけに厳しい飼い主がいました。犬は数か月我慢し、厳しいしつけに耐えていました。しかし我慢の限界が迫った時、とっさの自己防衛本能が働きガブリッと飼い主の手を噛んでしまったのです。すると飼い主は流血した手を呆然と眺め顔面蒼白になっている。「しまった!」と犬は思ったのですが、その時以来厳しいしつけがピタッと止んだのです。そして犬は思いました。「こうすれば私は厳しくされず誰からも解放されるのだ。自由になれる!」と。それ以来その犬は人が近づくと唸り、触ろうとすれば噛むようになってしまいました。
それも、「これでもか!」と言うぐらいの本気噛みで。その子はまだ力加減を覚える前だったのです。
私の所に、こういう飼い主からの依頼が後を絶たないのは、辛い現実です。
初対面の犬や警戒心の強い犬に噛まれないための留意点は以下の通りご紹介します。
- 目を見ない、触らない、話しかけない。
- 興奮して駆け寄らない。
- 緊張や不安がある時は絶対に近づかない。
- むやみに手を出さない。こちらの匂いを先に嗅がしてあげる。
これらは言い換えれば、犬同士の作法でもあるのです。
犬は相手に敬意を払う時、決してむやみに近づきません。一呼吸置き、ゆっくり近づく。そして匂いを嗅がしてお尻を向ける。つまり相手に対する最敬礼なのです。
みなさんも覚えておいて下さい。
最後に勘違いしないでもらいたいのですが、僕は犬に媚びろとは言っていないし、ご機嫌を取りましょうとも言っていません。我々人間は犬の前で堂々と、「ダメなものはダメ」と穏やかに凛と振る舞うべきなのです。それが犬から下に見られない秘訣でもあるからなのです。
まとめ
冒頭にも書きましたが犬が噛むというテーマは人と犬が存在する限り未来永劫続くでしょう。
しかし過去の間違った犬の常識に囚われず、本当の犬の本質を知る時期が訪れている事、そのことを皆さんに啓蒙できる環境を僕は作りたいです。
そして、人間から見た目線ではなく、犬の目線で理解し合える関係が出来ればと考えています。
犬は人間が真摯に向き合えば必ず応えてくれます。だから我々と14000年の歴史を築いてこられたのだと思います。
犬は人間よりはるかに器のでかい寛容な生き物で、学ぶところがたくさんあります。
はるか昔より犬に噛まれる事は、犬が悪いように言われていますが、犬に無理強いして犬が警戒し怯えて噛むような環境を作ってきた我々人間の方が、気を付けるべき点が多いように思います。
それは犬の本質を理解し尊重し、「おおらかに人間社会で安心安楽に過ごせる環境作り」をしていくことから始めなければと私は思っています。
それができれば、幸せな犬や飼い主をもっともっともっと・・・増やせるに違いないですよね。
ユーザーのコメント
40代 女性 匿名
私はプロではないですが、従来のしつけ本に疑問を持っていました。
犬は私たちと同じように心のある動物です。
リーダーとは犬に何でも云うことを聞かす存在ではなく、尊敬される存在なのだと思います。
多くの知識を持ち、良い方向に相手を導き、思いやりがあり、強引ではなく待つことのできる人、一緒にいることで安心して自分の能力を発揮でき、且つ信頼、尊敬できる人を人間も犬もリーダーと感じるのではないかと思います。
私たちは犬と暮らすことを選ぶことが出来ますが、犬は選べません。
それでも犬は私たちの暮らしに暖かい風を吹かせてくれます。
そんなピュアで真っ直ぐな犬の気持ちを尊重し、
犬に尊敬してもらえる存在でありたいとこれからも努力していきたいと思います。
お互いに…で関わっていけたら、犬は人が嫌がることはしないと信じています。