犬が亡くなる前にみせる行動
フードを拒否するようになる
食いしん坊の犬であっても、死の直前までは食べようとしないパターンが多いと言われています。もちろん、その犬の病気にもよるでしょう。
水だけは意識があるうちは飲もうとしても、亡くなる数日前には食べなくなる犬が多いようです。
散歩を拒否するようになる
散歩が大好きな犬でも、亡くなる少し前から散歩を拒否し始めることが多く、中には亡くなるかなり前から散歩を拒否する犬もいるようです。
眠る時間が長くなる
シニアになると、段々睡眠時間が長く深くなるものですが、亡くなる前はその傾向がどんどん強くなります。
そして、段々、意識がはっきりしなくなる昏睡状態に入る場合も多いようです。
うちの愛犬が亡くなる1日前からの変化
私は過去に、愛犬の最期を3回看取っているのですが、それぞれ亡くなるまでのスピードが全然違いました。
そんな中から、はっきりと思い出せる、一番最近旅立った愛犬の最期についてお話しします。
目に力がなくなる
うちの愛犬の場合、亡くなる1日位前から少しずつ力がなくなり始めました。こちらのほうを時々見てはくれているのだけど、焦点が合っていない感じがしました。
それでも、ちょっと愛犬の側を離れそうとすると、慌てて目で追うのです。重そうに頭を少しだけ上げ、こちらの方を見ようとしたのです。目そのものは何となくは見えているのではないかと感じました。
肛門がキュッと閉じなくなる
愛犬の死期が近いと獣医さんに言われた時、私は家でこの愛犬を看取ってあげる決意をしました。
犬の旅立ちはこれまでも2匹経験があります。ですから、変な表現ですが、何となく慣れていたのかもしれません。
個人のブログで、犬の旅立ちが近くなっていた時に気が付いたこととして、「肛門がきゅっと閉じていなかった」と書いている方がいました。
その方の場合、それだけが愛犬が亡くなる前のはっきりとした変化だったということです。
それで、私も愛犬の肛門を見たら、まさに同じ状態でした。キュッと肛門が閉じていませんでした。いつもはきゅっと閉じていたのに、だらんと肛門が横に伸びしてしまっていました。明らかに、それまでの状態とは違っていました。
体温が下がる
この死の1日前に獣医さんの所に行った時に、「体温がとても下がっています。これでは病気と戦う体力も残っていないかもしれません。死期が近いかもしれません」と言われました。
同じことを感じていました。愛犬を撫でようと触ると、体がとても冷たかった記憶があります。犬の体はとても暖かいのに、その時の愛犬の体はヒンヤリとしていました。
昏睡状態に入ったと思われる時けいれんが多くなる
段々、呼びかけても反応をしなくなりました。呼んだら、何となく目を動かしたりしたので、ぼんやり意識が戻る時もあったのかな、という状況が続きました。
しかし、段々と、けいれんが強くなってきました。このけいれんは足をバタバタするというか、駆け足で走っているようなけいれんでした。
この頃はもう、呼びかけにもほとんど応じなかったのですが、それでも時々、こちらを見る瞬間もありました。
死の直前寝ながら下痢をした
もう置き上がれない状態になっていた時ですが、かなりの量の下痢をしました。この下痢はかなり緩かったので、愛犬の体を汚してしまいました。
ですから、体を拭いてあげながら様子を見ていました。この排便は多くの犬が亡くなる前にする行為のようです。
パパにも会って旅立ちたかったみたい
愛犬がいよいよ危ないと感じた時、丁度、元夫が帰宅時間で家に向かっていました。「間に合ってくれたらいいのだけど」と私は思いながら、愛犬に一生懸命話しかけていました。
「パパ、もう少しで帰ってくるよ。パパ帰って来たら、夜間病院行くかい?パパ、もう少しで着くよ!」と愛犬に声をかけていました。
もう意識はなさそうでしたが、聴診器で心音を聞いていたら、まだ何とか心音はしています。
そして、パパが帰ってきて、愛犬はパパに会うことができたのです。そして、パパに撫でてもらえました。
そのパパが、もう1匹の愛犬を散歩に連れて出た後、その時が来ました。大きく身体をのけぞらせ、その後、口が開き舌がだらんと垂れました。聴診器を当てると、心音の停止を確認しました。
愛犬はちゃんとパパが急いで家に向かって運転してきているのをわかっていて、待っていたような気がしてたまりません。「パパ、ありがとう」と伝えたかったんじゃないかと思います。
まとめ
以上の様に、犬が亡くなる前には普段はしない行動を見せることが多いように感じます。
もちろん、個体差や、亡くなる原因にもよるでしょう。犬の飼い主としては、いよいよだめかもしれない時の前触れは知っておきたいというのが本音でしょう。
亡くなる前にその行動をしたら人間側も覚悟ができるので、落ち着いて愛犬を送ってあげられます。
しかし、あまり前兆を感じさせず、一気に旅立つ犬もいます。飼い主に心配をかけたくないのかもしれません。
いつかは必ずくる愛犬とのお別れの日に、ビクビクして時間を過ごすよりも、愛犬と一緒にいる時間を大切にしていきましょう。
ユーザーのコメント
50代以上 女性 チョコ
うちの子は、後2ヶ月で13歳にな中型のシニア犬でした。
2週間前に体調を崩して、医者には縁がなかった子が、1週間程医者に通いました。
最近は、御飯を催促し、外にも出られるまでになっていました。
それが突然、倒れてそれから3時間余りで、亡くなってしまいました。
"亡くなる前にみせる行動"読ませて頂いてうちの子そのものでした。筋肉が緩んで粗相をしてしまったり、パパを待っててくれたり、最期の最後の様子はあまりにも似てて・・・
いつも嫌がってカメラに視線を合わせる事をしなかった子が、撮らせてくれた最後の写真。いい写真を遺してくださいねって撮らせてくれたのかもしれません。今思えば、それがいつもしない行動だったのかもです。
きっと、どの子も自分の死期をわかるのでしょうね。
亡くなってしまうのは、辛く哀しいです。でもき引きずっている事は、嬉しく思っていないと子ども達とも話して頑張っています。
思わずコメントしてしまいましたm(_ _)m
女性 ラム
入院、手術しました。肛門あたりの腫瘍の除去手術でした。
結果、出来ている位置が悪いと切除することなくお腹を閉じています。
残る治療は生検にだして抗がん剤を開始するか、予後はなにもせず寿命がくるのをまつか。
飼い主としては何が何でも助けたい、愛犬のいない生活なんて考えられない。
まとまりなくすみません。まだ混乱しています。
女性 パティ
明日、天国へ送るので今隣で静かに眠っています。
最愛の愛犬を亡くすのは本当に受け難いものです。眠ってる愛犬を見ては眠ってるいるだけなので死んでしまったとは思えず冷たい身体をただたださすっていました。
でも、家族には『死んでしまった哀しみより楽しく幸せな思い出をくれた時間をくれた方が大きいから、今までいっぱいいい思い出を一緒に作ってくれてありがとうって感謝しないとね!』と言われました。
確かに、最愛の愛犬の旅立ちはこの世にありえないぐらいの辛さです。
でも、これほど辛いぐらい楽しい思い出を残してくれた愛犬に感謝しないとって思いました。
私がクヨクヨしてると愛犬が安心して天国へ行かなくなるもんね…
当分は寂しさが消えないと思いますが、それは愛犬が私に愛情を残してくれた証です。
これからは、ゆっくり休んでね…
先に、天国で待っててね〜〜
今まで本当にありがとう…
男性 匿名
食欲不振、嘔吐が続き3日間入院。 一時退院するも状況変わらず再入院。
さまざまな検査をするも、ハッキリとした原因特定に至らず(血液検査では僅かに異常値はあった様子)・・・。
毎日、不安で不安で動物病院に面会に行きました。
「死期が近いようなら自宅で看取りたい」と獣医師に伝えておいたものの、再入院から3日後旅立ちました。
・・・ただ、ただ最期の瞬間に間に合わなかったこと、慣れ親しんだ自宅でそのときを迎えさせてやれなかったことが大変悔やまれました・・・入院させたのは間違いだったのでは、とも思いました。
愛犬が元気だった頃、「死」というものはどこか漠然としていて、何の根拠もなく「おだやかな老衰の後、自分の腕の中で眠るように送ってやれるはず」と思っていたものでした。
飼い主に覚悟があろうがなかろうが「最期のとき」は必ず訪れます。
愛犬と暮らしていらっしゃる皆さん、愛くるしいまなざしで寄り添ってくれるワンコを今日もしっかり抱きしめてあげてください。
女性 雪の華
7月初め食欲無くなり、通院点滴の一週間、少し体力回復し何とか自力で食べられる様に8月初め~また9月に入って食欲落ち注射器で介助食
そんな愛娘シーズーが亡くなる1日前21日朝方5時位に隣で寝ている私の顔を舐めて(パピの時以来?)22日朝10時何時も通り介助食トイレ介助落ち着き寝てくれたので点滴(自宅点滴)の時間の前に買い物~帰ったら愛娘シーズーがひゅひゅ泣いてるのが聞こえ慌てて玄関上がり、主人がトイレをさせて寝かせた時、舌がだらんと、それからまもなくでした。。。その日は、次男も
仕事が休み、休みは、いつも出かける息子も珍しく居て、3人で看取りました。愛娘シーズーの自宅の何時も私と共有のお昼寝場所で
今はまだまだフト落ちる時がありますが、彼女に頂いた沢山の素敵な時間と愛に感謝
22日夜中彼女が亡くなる数時間前に私は、彼女を撫でながら「今までありがとう。メイちゃん辛いね。ママの為にもう頑張らなくて良いよ。今までありがとう
50代以上 女性 くんち
今夜は帰りたかったであろう自宅に連れて帰り、お通夜をしています。
2年前に子宮蓄膿症で入院し、子宮と卵巣を摘出のあとは元気になっていたので、こんなに早く別れがくるとは予想もしていませんでした。
夏にノミがつき蟯虫が便に混じったことから通院、やっとおさまった9月中ごろから軽い咳をし始め、
後ろ足が踏ん張れなくなって、散歩も途中で動けなくなり道端で寝そべったまま、しつこい咳も続くようになってあわてて病院へ行き診察をうけたところ、腹水がなんと600ccもたまっており、その水を調べると悪性細胞が見つかりました。CT検査の結果、肺に転移していたよです。 水を抜いて咳はしなくなり、食欲も回復し退院したのもつかのま、また1週間後には食欲がなくなり、ついには痙攣発作が一日に3回起き、再入院して2日目の深夜に息を引き取りました。 腎臓と膵臓の数値が異常に高く、痙攣はそのせいか、ガンが脳に転移した可能性もあるといわれました。
わずか半年前の4月には桜の木の下を元気に散歩していたのに、、お医者さまに言わせると、動物はぎりぎりまで我慢するそうで、飼い主が異常に気付いたときにはすでにかなり悪くなってることが多いらしいです。 もう少し早く気付いて病院に行っていたら、と後悔もありますが、他の方のように、家族の一員としてたくさんの思い出を有難う、とただただ感謝して、明日最期のお別れをしてきます。
うちの家族になってくれて本当に有難う~
40代 女性 ミニ子
後日獣医さんに話したら お母さんの事が大好きで仕方ない子何ですね! お母さんの傍に居ることが この子の生きる力になる!って言われました!
回復した愛犬と私は どうしてもという時だけ別々に行動して 後は一緒にいました!
虹の橋に度立つ二日前から食欲が無くなり 鶏肉のスープを細いストローで口に含ませました…が上手く飲み込めず 口の脇から溢れました!次の日はほとんど起きられず 3時間ごとに体を支えてトイレに連れて行きました! 夜中の12時にトイレに連れていき 後は3時頃と思いウトウトしたらキャンキャンキャンと3回続けて鳴きました…ただ事じゃないと 私も旦那もすぐに起きて抱き寄せ 体を優しく撫でましたが 小刻みに震えています!体温調節が効かなくて寒いのかと思ってたけど 死に向かっていた為段々体温が低くなっていったんでしょうね…3時30分に だらんとした首を持ち上げてパパの顔と私の顔を交互に見てから 息を引き取りました(T^T)
悲しくて悲しくて………でも時間は流れるんです!子供は学校 お兄ちゃん仕事 パパも仕事 今は夜中だから大きな声で泣くことも出来ませんでした!亡骸の傍に居たいのに お弁当作ったり 洗濯したり ………でも夜布団に入ると あの子が居ないんです!泣けて泣けて目を腫らすこともしばしばでした!
でも 私の腕の中から旅立たせてあげられたことだけは 私のあの子への愛であり またあの子からの感謝の気持ちと受け止められるようになりました! 4年たった今も涙が出ますけど 今年長男が やっぱりいぬの居る生活が良いなぁとの事で チワワを迎えました!
先代犬のようになるべく健康で長生きして欲しいです!
1度ワンコを見送った経験があるので 今度も 私の腕の中から旅立たせてあげられたら良いなぁと思ってます!
女性 ビークル大好き
病気ひとつぜず、元気なのが取り柄の子でした。ある日食いしん坊だった子が食事に見向きもしなくなったので、病院へ連れていったときには既に、肝臓にガンが広がって肥大している状態。余命二週間と言われ、呆然。腹水が溜まり、嘔吐の日々。排泄も出来ず、見ているのが辛かったです。何もしてあげられない。出来ることはそばにいて声をかけ、抱きしめることだけ。
最後をどのように迎えるか家族で何度も話し合いました。
そして、苦しさを出来るだけ無くしてあげたいとの思いから、安楽死を選択しました。
いよいよとなった時、お別れの言葉をかけました。家族に見守られての最後。
あっけなく逝ってしまった姿に実はショックと耐え難い後悔の念に押しつぶされそうになりました。静かに眠るように逝くのかと思っていたら、スッと魂が抜けて逝く姿が未だに記憶に残っています。
最善の選択と思っていたことが本当にこれでよかったのか?苦しくても辛くても生き
ていたかったのでは?ずっと自問自答。
未だに写真を見ながら問いかけています。
30代 女性 きょすけ
30代 女性 匿名
小型犬は大型犬に比べて寿命が長いとは聞きますが最近さらに寝てる時間も増え、構うことで興奮してむせることが多いのでなるべくストレスがなく過ごせるよう配慮しながら程よく放っておいてます。
もともと0~2歳のときから散歩は嫌いでリードを見せると逃げる、たまに運動のためにと無理やり連れていっても行きは引きずり数分後帰りの方向になったとたんルンルン♪で私が引っ張られる(笑)
くらい散歩が嫌いなので現在は一切していません
それのせいかトイレにいくのもヨタヨタ…布団に戻るのも布団との段差につまずき顔から落ちたままほふく前進みたいに戻ったりしてるので足腰はかなり弱っているかな…と思います。そんな様子をみているとあと一緒に過ごせるのはどれくらいあるのかなと最近頭をよぎることが多いです
でも食欲だけはうなぎ登りで柔らかいもの、小さいものを好むようにはなりましたが食欲が落ちる気配がないのでそこだけが
まだまだ大丈夫!
と思えるところです。
ですがそうは言ってもその時というのは急にやってくるんだろうなと
食欲がなくなる以外に何かしら兆候というものがあるのかなと思い検索したらここを見つけました。
ここまで病気一つせず元気に居てくれたことに感謝しその時が来たらなるべくお家で安らかにいけるよう
そばにいてあげれるよう
兆候を見逃さないよう残りの時間を過ごしていきたいと思いますm(__)m
30代 女性 匿名
13歳と11ヶ月、亡くなる前日わたしはもう別れが近い気がして涙がでてしまいましたその涙を優しく舐めてくれました。ちっぷ大好きだよ、大好きだよ、何度も声をかけました。
呼吸は荒く生きてるのが精一杯に見えました。旅立つ日三回程力強く吠えお腹が減ったのかな?と思いご飯をあげ、ガブガブと二口食べた後に、また力強く吠えました。そして、痙攣が始まり失禁をして大きく二回呼吸をして旅立ちました。わたしの親の腕の中であたたかく旅立つことができました。
最期が近いと分かっていましたがこんなに辛いと思いませんでした。
服や食器やクッションやそれを見るたび涙が溢れでてきます。毎日亡くなる前日の優しい穏やかな写メを見ると胸が苦しくなり。ますまだまだ私は時間がかかりそうです。でも本当に出会えて良かった。心から大好きだよ、ありがとう。
女性 匿名
今年に入る前から大分、元気がなくてオシッコも自分の力では全部出せなくて絞って出して…食欲も無くなって…それでも元気なって欲しくて色々 手は尽くし年越し出来ました。亡くなる当日の朝 いつも通りオシッコ絞って抱っこしてたら足元が急に濡れ身体がだらーんって…今思うと失禁だった。すぐに呼吸もおかしくなって…大好きだった散歩。外の空気が吸えて安心したのかな。
その後すぐ家族皆んなに見守られて天国に逝ってしまいました。幸せだったかな?私達は貴方に幸せいっぱいもらったよ!しばらくはへこんでる私を許してね。天国でゆっくり休んでね。
女性 コロチー
を信じて頑張って行きます
女性 チャメマロ
14年8ヶ月16日の生涯を終えました。
小さい時から、健康で
特に内臓関係は、健康診断でも
いつも褒められていました。
ただ1年前くらいから
今迄、粗相など全く無かった子が
おしっこを漏らしたり、外でするように
脚を上げてシート以外の所でするように
なりました。
また、耳が遠くなり
名前を耳元で呼んでも、気付かす
身体を擦るとビックリしたように
飛び起きるような状態になりました。
それでも食欲はあり、散歩も抱っこしながらでも行きたがりました。
亡くなる2日前に、
急にご飯を食べなくなり
水も自らは飲もうとしなくなりました。
呼吸が少し荒くなってきた為
病院に連れて行った所
もう先生も、手の施しようがない状態で
最期を家で迎えさせたく
家につれて帰りました。
ベットで横たわったまま
息はますます荒くなり
私は、手で身体を擦るしかありませんでした。
その後、動物の本能なのか
粗相 (ウンチ)をした後に
私の顔をじっと見て
一粒の涙が流れました。
それから静かに息を引き取りました。
涙が止めどめなく
出てしまいますが
気持ちの優しい子でした。
最後の涙は、きっと
有難うと言っていたと思います。
愛しのチャラ。
いつまでもこれからも
大事な大事な息子です。
いつか虹の橋で逢えるからね。
40代 女性 匿名
最後は。やはり全身痙攣をしていました。
1時間ほど、痙攣して最後は、何か言いたいかのように、2回口をあけて
眠るように逝きました。
人間と同じで食べれなくなったら死期は
早いと思いました。
50代以上 女性 匿名
50代以上 女性 yumi
30代 女性 匿名
まだ、カリカリのドッグフードを元気に食べているので、食欲はあるから大丈夫かな。とは思っていますが、目は白内障、耳は遠くなり、とても温厚だったのに怒りやすくなりました。今までも睾丸の病気、皮膚炎、ヘルニア、色々と病気をしていますが、頑張って元気でいてくれてます。少しでも長生きして欲しいので、これからも、彼がストレス無く楽しく生きる為、サポートしたいと思っています。
いつか来る最後の時のサインを見落とさないよう、なるべく一緒にいてあげたいです。
30代 女性 健チェリママ
17年の思い出は沢山あり過ぎて、やっと楽になったね!という気持ちと寂しい気持ちで涙が止まりません。
健太は9年前に重度の椎間板ヘルニアと排尿障害の病気にかかり、手術後リハビリも頑張りましたが、下半身の神経は復活出来ず前足で頑張って過ごしていました。
それから9年間、車椅子の散歩中に私のせーの♪の掛け声に一歩をふみだしたり、よいしょ♪の掛け声で抱っこ状態をしてくれたり意思疎通ができるようで、介護生活の中大変な事より、一緒に楽しんだ時間だと思ってました。
排尿障害もカテーテルでオシッコをとってた為、膀胱炎になったり膿が溜まり入院したりと大変だった中、17年と長生きしてくれた事に感謝です。
今年入ってから、元気がなくなり
亡くなる前の日に病院で肺に水が溜まってるとの事で治療しながら入院した翌日の朝亡くなりました。
今は日が浅い為、泣いてばかりだけど
出会いは奇跡!出会えた事は私の宝!
健太のお陰で私は強く変われたし、私の人生に携わって貰えた事は一生の宝!
と胸に刻み、お別れまでの間沢山話しかけて、天国に行ける様に背中を押してあげたいです。
安らかに眠ってね…沢山の愛をありがとう!これからもずっと大好きだし、いつか必ずまた会おうね!
健太のママより
50代以上 女性 匿名
5日前まで、とても元気でした。
4日前、夕方仕事から帰って散歩に行こうとすると、犬小屋の中から出てこようとしません。いつも、必ずお出迎えに来ていたのに…。おかしい、と思いハウスから無理矢理出しました。すると、右前足が麻痺して動かないのです。主人が帰宅したので慌てて病院に行きました。
先生は、理由はわからないが、首の神経が傷んで麻痺したのだと思われるので、ステロイドを出します、とのこと。注射と3日分の薬を貰いました。先生は、3日もしたら治ってるかもしれませんよ、悪くなったら明日、来てください と言われました。
翌日、びっこをひきながら、自力でトイレもして、水を飲み、少なめですがフードも食べます。
2日分の薬を食べましたが、昨夜は受けつけません。水も飲もうとしませんでした。
今日、病院に連れて行こうと思ってましたが、今朝、犬小屋の中で亡くなっていました。少し眼を開けた、いつもの寝姿でした。昨夜、家の中に入る?と問い掛けても、入って来ませんでした。元気な時は何時も喜んでリビングに居たのに…。
何故、亡くなる時、外に居て、見送ってやる事ができなかったのか…辛いです。
先週の金曜日まで、あんなに元気で食欲旺盛でお散歩大好き、夕方のお散歩後からはリビングで過ごして喜んでいたのに。
まさか、これ程急に亡くなるなんて。
今日、私が、仕事休みだから、後の事はヨロシク、ってことなの? 最期を迎えるのは、もう少し先だと思ってたよ。あんなに元気だったのに。あと、2〜3年は大丈夫って。
まだまだ気持ちを切替えれないけど、
ラン、10年間、ありがとう。 私達を幸せにしてくれてありがとう。ランも幸せでいてくれたなら嬉しい。その内、会いに行くからね。また、一緒に遊ぼうね。
40代 女性 匿名
どの子も亡くなり方はそれぞれでしたが、記されてた様な肛門の話、うちの子は最期の方みんな舌の色が悪くなりました。
今でもこの子達は幸せだっのかと思う事もありますが、私は出会ってとても幸せでした。
まだ気持ちの整理は出来ませんが、生まれ変わったらまた私の所に来て欲しいと思っています。
今は天国で兄弟仲良く楽しく過ごしてくれてる様に祈ってます
50代以上 女性 匿名
子供を産めない私は、結婚を諦めました。
婚約者はいましたが頑なに結婚を拒み、別れました。仕事に没頭する事で生きがいを見出していました。
ある日、母がシーズー犬を飼い始めました。私は、シーズー犬はあまり好きな犬種ではありませんでしたが、シーズーの仔犬は天真爛漫!気づいたら、シーズー大好きになっていました。
実家に住んでいなかった為、休みの日は必ず実家に行き、シーズーの仔犬に会いに行きました。
次第に自宅でもシーズーを飼いたくなり、シーズーの女の子を飼いました。
働きながら飼っていたので、仔犬の頃は出勤の度、胸が張り裂けそうでした。でも、我がシーズー娘は、賢くてトイレも完璧でした。寝る時はもちろん同じベッド。休日は、愛娘シーズーを連れて実家のシーズー君に会いに行き続けました。そんな日々は10年続きました。実家のシーズー君が心不全で急死したのです。
愛娘シーズーを連れて、実家のシーズー君のお別れに行きました。
家族でしくしく泣いていた時です。愛娘のシーズーが和室で尻尾を振って、とても楽しそうにおちゃけていました。私達人間には見えない犬と戯れている光景でした。
その時、確信しました。実家のシーズー君の魂がいる事を、、、
その数日後、自宅のソファーでくつろいでいたら、何故だか私は、自分でも聞いた事がない位の声を出して大泣きをしました。
卵巣摘出をした時、一生でこれ程泣く事はないと確信していましたが、あの時以上に泣きました。
おかしい表現ですが、泣き止んだ後、私は不幸だと思い続けていた感情が消え去りました。
犬は、偉大なパワーを人間に与えてくれる。
時は流れ、我が愛娘シーズーも16歳で天使になりました。
天使になったシーズーを抱きしめた時、心の底から感謝の気持ちが溢れだし、幸せな気持ちに包まれ、ありがとうねの言葉だけが出て、涙は出なかった。
今も私は、幸せな感情に包まれながら生きています。
犬を愛する事が出来てとっても幸せです。
30代 女性 匿名
入院させて点滴をしていれば延命はできると言われましたがとりあえず点滴の針は残してもらって家に連れて帰り
家族で話し家いさせる事にしました。
夜は大人しく寝ていましたが翌日点滴の針を外してから様態が急変して一時間あまりでお空へ行ってしまいました。
ずっと撫でてあげることしかできませんでした。
その子が居なくなってから母犬も少し元気がなくなりその子の日課にしていたことを代わりにやったりしていましたが
半年ほどで突然倒れてその日にお空へ行ってしまいました。
それこそ最後は走って吠えて若い頃を思い出しているのかなと思えました。
生まれるときもお空へ行くときも私の休みの日を選んでくれたように感じます。
お空へ行って数年たちますが今でも帰ったら迎えてくれるんじゃないかって、
会いたいです。
50代以上 女性 桜の花びら
前の年の夏、朝方に吐いたので健診をかねて受診したら、耳を疑う結果を言われ、その時はあまりピンとこないまま治療が始まりました。
悪性リンパ腫…。それも予後が一番悪い部位で、治療中でも2〜3カ月で亡くなる可能性が大きいと言われました。
毎週、抗がん剤治療に通うようになり、腫瘍は小さくならないが、大きくもならない。副作用は食欲が旺盛なことだけだったので、道行く人には健康過ぎるワンちゃんと思われました。
なんとか頑張って年を越せたと思ったら、新年から急に悪化して、食欲不振、下痢、血便となり、みるみる痩せてガリガリになりました。二、三歩歩くと肥大した腫瘍が腸、膀胱にあたるから、その場でシャーということが一日中続きました。そんな状態なのに部屋の中を動きまわりたいから、シートを敷き詰めて、どこでも排泄できるようにしました。
4月になり抗がん剤治療も効かず、腫瘍がお腹の3分の2くらいだと言われ、副作用で食欲がまったくなく、ぐったりするので、治療を断念することを決めました。
もう血しかでないのに、時々起き上がり敷き詰めたシートの上に排泄しました。
最後の日、立ち上がろうとすると、足に力が入らずヨレてしまい寝たきりになり、昨日までピンと立っていた耳がたたまれていて、覚悟を決めました。
夕方に、シャックリのようなものを2回したら、静かに旅立ちました。
余命2、3ヶ月と言われてから、8ヶ月も頑張ってくれて、いろいろ考える時間をもらえて、たくさん愛を交換しあえ、ワンに
出会えたことに本当に感謝です。
今でも、思い出すと涙が出ますし、心の整理も出来たとは言えません。
人からはいつまでも引きずって忘れないとと言われますが、私は、そう思えません。
ワンがいた時間は確かにあったことだから、私の中の経験だから、いつでも浮上してくるなら感じようと思っています。
時間とともに感じ方が変わるかもしれない。いつか私が上の世界にいき、またワンに会えるなら、楽しかった思い出だけを持っていきたいです。
30代 男性 Peco
土曜日から、餌を食べなくなり日曜日は、下痢や嘔吐をして、水分だけは自力で飲んでました。月曜に病院に行き体温が35度で、点滴をして帰りました。ストーブと、湯タンポで温め、自力で水分も取れなくなり、火曜に病院へ行き少しだけ体温は上がっていたけど、愛犬の死を覚悟しました。
点滴して帰り4時間くらいは寝てました。
夜になり、苦しそうな弱々しい声を出し、もう、頑張らなくていーからと声をかけました。その夜は、温めるのもやめました。
何度も何度も、撫でて感謝の声をかけ、最後の別れをして、自分は布団に入りました。朝、愛犬を見に行くと、やはり亡くなってました。覚悟してても、その姿を見ると、良く頑張ったなと声をかけました。
3日くらいの介護でしたけど、生きてくれと思うより最後は、早く天国へ行かせたいと思いました。犬は病気になってもギリギリまで我慢する犬もいるみたいで、餌を食べなくなったときには、手遅れでした。
それでも14年間可愛がって、たくさんの思い出を残してくれました。
まだ、いつもの場所にいるような、餌の時間に吠えてきそうな気がします。
毎日、愛犬の写メや動画を見て声をかけてます。
50代以上 女性 匿名
40代 女性 あり
誰のいびき?!と、思って覗き込んだら愛犬でした。
初めてでビックリしましたが、年も18歳でその2日前に母に預かってもらったりしてたので、余程疲れたのかな?と、思い私も寝ました。
後で聞いたら昼寝の時も、いびきをかいてたようです。
そして、朝の6時過ぎ里帰りしてた、息子が慌てて私を起こしにきました。
行ったらすでに、だらーんとなって夕べ食べた物も吐いて、うんちもしてました。
家族4人が揃ってる時で、しかもみんなが仕事など行く前です。
私は、パニック症候群なので、愛犬は、私の心配もしてくれたのかもしれません。
そして、家族みんなに囲まれて安心して逝ったのかもしれません。
4ヶ月たちますが、まだ涙が出る事があります。
もう一度抱っこしたいと、心から思います。
でも、18歳まで生きて私達の側にいてくれて幸せなお母さんでしたよ。
来世で必ず会おうねと、約束してお別れしました。
歩けなくたってたので、今は、走り回ってる事を願ってます。
40代 男性 ししまる
あんな元気に動いていた愛犬がここ数年本当に弱くなり誤飲で死ぬ直前にさせてしまったりゴメンネ
いつも近くに居てやれなくて本当にごめん
正直弱って死期が近い事も分かっていたがそんなししを見ているのがつらくて逃げてしまいました
でも母が愛情たっぷりにいてあげたから幸せだったよな
本当に本当にありがとう
なんで人間より早く逝くんだよ
もう・・・
40代 女性 匿名
本当に本当に後悔しか残らず 無知な飼い主のせいで死なせてしまったと 今更こういった情報を見るなんてとより一層申し訳なくってしょうがありません。
色々な方のコメントや異変など読み思い当たる事がありました。
うちの子はとっても食いしん坊でポッテリいつも元気で 元々チビの頃からティッシュやぬいぐるみの綿を食べちゃってゲホゲホとたまあにする子だったんです。 家はほとんど日中は誰も居なく最近又そんな光景をチラホラと見るので又、何食べたの? なんて言ってたんですが20日の夜ご飯を食べませんでした。夜中あまり寝れてる風でなくおかしいと思った朝には呼吸が荒くなっていて病院に行かなきゃと初めて感じました。
その日は会議もあって準備をしてからとバタバタとして呼吸の荒い子を待たせ最後ちょっとまってねっとシャワーを浴びて本の10分程でした。
あがると部屋が静かでえっっ? カ-ッペットに居たはずなのにフローリングに横たわり半分ベッチャリと濡れて目を開けたまま倒れてました。
えっ 名前を呼び抱きかかえた時にはだらんとして逝ってしまってました。 何度も何ども呼んでさすって信じられず 泣き叫びました。
本当に本当に苦しかったに違いなく最低な飼い主です 本当に苦しく喘ぐ姿を見せず1人で逝かせてしまいました。
一晩隣で寝ましたが、全く死んでるなんて思えず、次の日夕方には火葬の引渡し仕事も休めずそんな別れ方どうしてよいか分からず 車に乗せ仕事場へ行き、休憩時間車で一緒に過ごし仕事終わりで業者さんに引渡しました。 抱いた状態で離す事が出来ませんでした。 我慢させてごめんねっごめんねっ本当にごめんなさいって離すのがつらかったです。 まだ家の中のおしっこシ-トも外す事が出来ません。
色々な症状やコメントを読み絶対に病気だったはずです。今頃になって初めてこうゆうサイトを開くなんて もっと前から見ていたらと 当たり前に一緒にに過ごしてた時は他の犬に全く興味もなくうちの子だけしか見ていませんでした。本当にバカです
今はまだ気持ちの整理が出来ずに過ごしてます。
女性 匿名
自然と、主人と私の布団で眠るようになり、自然と主人の腕枕でしか寝ない息子に変わって行きました。病院に行くなり、血液検査しましょうと言う先生が困ったような顔に。再検査の結果、リンパ腫判明。生検をしている最中、癌が大腸に見つかり十センチも切る事に。長〜い入院になりました。元気になり自宅に帰った日に、食欲のない息子に、ケーキを見せたら(犬用)なんと目をキラキラさせながら走って来ました。最高のご馳走だったんですね。いつもは半分だけでしたがこの時は流石に一個まるまる。食べている姿に幸せも感じました。
抗がん剤が必要になり、最初の抗ガン剤では反応が強く出過ぎ帰れずに点滴を受け、二回目も入院。三回めの時は、諦めたのか、いつもは嫌がる病院のエレベーターに自ら乗り、自ら受付前まで歩いた姿が今でも忘れられません。抗がん剤を受けては疲れ果てた姿を見ながら、受け続けさせて体力を失うだけで、延命だけの治療ならこのまま美味しいものをたくさん食べて、散歩もして、会えなかったお友達に合わせて治療をやめるべきかなとも思いました。期間を置きながら、ビタミン剤も併用する治療をしながら、見た目には元気ないつもの息子でいる日が二週間ほど続きました。亡くなる10日ほど前から、私を目で追うことが多くなり、膝に乗りたがりトイレに行くにも着いてくることが多くなりました。明日は病院で抗がん剤と言う日の朝、いつも以上の食欲で缶詰のご飯をおかわりし、嬉しそうに食べ、昼に全て吐いてしまいました。胃には何もないにも関わらず、何度も吐く。日曜で病院はお休み。夕方から、寝たままで食事も食べられない。時間を追うごとに、息が荒くなり、でも歩いて水だけは飲もうと歩いて行きました。着いて行き、帰りは歩けなくて抱っこして連れ戻す。数回繰り返しました。夜中、私の布団で、下痢をし、吐き、お尻を汚したので綺麗に拭いてやろうとした時には、手足が冷たくなりだして、お気に入りのタオルで包み、手足をマッサージし朝起きたら病院いくよ、頑張ろうねと声をかけ続けました。ホットカーペットの上でお母さんと一緒に寝ようと腕枕をし、五分ほどたちました。いきなりオエッオエッと、三回えづいた後、目を大きく見開き、アウーンと最後の声を出した後、舌を出してそのまま息を引き取りました。まだ、ダメだよと夜中にも関わらず泣きながら心臓のあたりを拳で叩きましたが、主人が、このまま逝かせてやろう、病院はもう嫌だったんだよと。二人して泣き崩れました。そのまま、主人の布団でいつもしていた様に腕枕で朝を迎え、好きだったベッドに移し、店が開くなり、花を買いおやつを買いたくさんたくさん並べました。1日、声をかけながらいつもしていた様にご飯を準備しお別れをし次の日、荼毘しました。小さい頃のこと、大きくなって娘たちが大きくなって自分の世界を持ち親との時間が少なくなって来た時にどれだけ寂しい思いを癒して来てくれたことか。ケーキを持ち、寒くない様に私が編んだベストを持ちおやつをいっぱい持たせて次の世に送り出しました。帰って来てほしいといつも思います。同じ病気で苦しんでいるワンコ、その姿を見て辛い飼い主さんたち。ひとときでも長くいられて、幸せだったと思える様、頑張ってほしいと思います。逢いたい、
女性 みー
最後のほうは下痢との闘いで、日夜問わずに行きたいそぶりがあれば何度もお散歩をしていました。
亡くなる日もちゃんとお散歩に出て、御飯も朝だけたべました。すでに自力ではすんなり立つことができない体でしたので、夜中も体位を変えてほいそうなとき、お水を飲みたいときなど起きてサポートしていました。
最期の夜、いつものように立ちたいけど立てないと半身を何度か勢いをつけてバタバタしていたのでフォローしようとしたとき、鳴いたのです。
かすれた声ではありましたが14年ぶりに。一生懸命に。そしてビックリして愛犬の名を呼んで抱きしめているうちに1分ほどで旅立ちました。あっという間の出来事に、呆然としました。
50代以上 女性 匿名
こちらのサイトは我が家の愛犬が寝た切りになった1週間前に知り皆さまの書き込みなどを読ませて頂き いずれ訪れるそう遠くない我が家の愛犬の死について考えたり 読んで泣いたりしてました。
容態が急変し寝た切りになり体全身に血管から水分が流れ出て胸水・腹水・四肢や首まで浮腫がひどく辛かったと思います。
我が家の子は本日亡くなる3日前に1日だけ不思議と起き上がり自分で歩いたり尻尾をふったりしてくれて奇跡が起きたと喜んでいました。
しかし亡くなった今思えば神様と亡くなった愛犬がくれた最後のお別れの時間だったのかも知れません。
亡くなる直前にもう息も絶え絶えの時 起き上がり周りを見渡し誰かを探していました。
そう・・仕事に出掛けた主人を探していたんです。
嫌な予感がしてすぐに主人に電話をするとすぐに帰って来てくれました。
その間 愛犬は苦しそうにしていましたが「お父さんもうすぐ帰って来るよ」というと主人を待っていたかの如く 主人が玄関を開けて部屋に入り声をかけると 首を持ち上げ私と主人に顔を近づけ何か言いたげにして私の腕の中で息を引き取りました。
本当に主人を待っていたんだなって思いました。
11年という長い年月でしたが我が家で生まれた子でしたので思い入れもたくさん。
そして幸せという思い出をたくさんくれた最高のワンコでした。
50代以上 男性 匿名
1週間前位から夜鳴きしたりして、寝たきりになって床擦れが3日目に出来ていることに気づき、寝返りさせた翌日亡くなりました。
1カ月前位は10m〜20m位歩いていましたが、1週間前位からフラフラしてやっと立っていました。
あまり褒められた飼い主ではありませんでしたが長生きしたのでよかったと思ってます。
40代 女性 にけねえさん
亡くなった日の朝、両親の布団の前に来たようです。布団の前に来たのは初めてのことだったので、両親も起きたらじっと見つめられていたことをとても驚いたと言ってました。彼は犬なりに最後に挨拶をしたのではないかなぁと思いました。
50代以上 女性 ママンゴ
トリミングスクールのモデル犬で、5歳の時に我が家の家族になったミニチュアシュナウザー。
亡くなる4年ほど前に熱中症に罹って以来病院にお世話になる事が増え、シニア犬の健康管理も兼ねてちょくちょく病院へ通って、必要な処置を受けて居ましたが、歳や病歴の割には若いね、と最近では先生にいつも褒められて居たので、この夏が越えられたら良いねぇと、言っていた程でした。
その日はいつもの様に日がな一日寝ては起きて、変わらない様子で夕飯もキチンと食べ、いつも通り出す物も出してまた寝て。
ただいつもと違っていたのは、私とでは無く、主人の布団へ潜り込んでそのまま朝目が醒めなかった。
主人の身体で圧死したのか?
布団の中で息が出来なかったのか?
色々考えて見ましたが、冷たくなった頭だけが布団から出て居て、主人の体との間には隙間が出来て居て……
きっと、主人に有難うと言って旅立ったのではないか?
そう言えば、夜中中、とても暖かかったと主人が言っていたのを裏付ける様に、頭以外はまだ温かく、布団も汚さず綺麗なままだったのを思い出してしまいました。
長々と済みません、我が家にとって始めて迎えたワンコ。
享年16歳と4ヶ月半でした。
我が家でお産をしてくれた娘ワンコのお陰で、ロスしてる暇はありませんでしたが、10歳の娘ワンコの方が暫く寂しそうに少し元気が無かったです。
30代 女性 匿名
仕事終わり急いで帰ってくると、昨日まで元気のなかった目でしたがしっかりと目を見つめてワンワンと1ヶ月ぶりに声を出してくれました。
そのあとは30分くらい、膝の上でぐったりとしていましたが、苦しそうな様子もなくいつものようにゆっくり眠るように、目を瞑りました。息をしていないのが信じられないくらい穏やかな顔で、静かに、本当に寝ているようでした。
悲しいし涙は止まらないけど、ありがとうの気持ちでいっぱいです。
たくさんの幸せをありがとう。
我が家に来てくれてありがとう。
楽しい犬生だと思ってくれたらいいな。
50代以上 男性 お茶碗アトム
ある日、いきなり立ち上がり、玄関の引き戸を前足でカリカリ引っ掻いて、開けてくれと催促したそうです。
実家の母が開けてやると、よたよたとお向かいのおばさんの家に行き、玄関先で「ワン」と一声吠えました。
その声を聞いてお向かいのおばさんが出てくると、安心したかのように、その場に倒れて動かなくなりました。
いつも可愛がってくれていたおばさんに、最後の挨拶をしに行った様に思えてなりません。
50代以上 女性 匿名
4月30日に亡くなりました。16歳2ヵ月でした
8歳で右眼を取り、白内障になり、でも良い獣医さんに見てもらっていたので、何回かの危機を乗り越えてこれました。4月の初め当たりは自分であるいていたのに、急に後足が立てなくなり1週間後には寝たきりになりまた、ご飯も食べたり食べなかったりがありました、点滴月1から、週1になり、週2になり、低体温になり、抱いてもグッタリしていて痙攣も始まり坐薬で止めていましたが、眠る様に行ってしまいました。16年間ありがとう、今は思い出しては涙が出てきます。
50代以上 女性 ばぁちゃん
女性 colo
旅立つその日の朝、いつもは寝ぼけているのにその日に限って頑固に意思を持ち、トイレのために外へ出たがりました。歩くのも覚束ない状態なのに連れて行ってほしそうに動くので、そっと抱きかかえ外へ出すと、ゆっくりとオシッコだけを済ませました。家の中へ戻るとそのまま倒れこむように力が抜けていったので、ベッドへ横にすると息が荒くなり、そしてゆっくりと深い呼吸に変化していきました。
死の直前に筋肉が緩むというのはわかっていたので、立っている力もなくなった時、覚悟をしなくてはならないとぐっと堪えたのを覚えています。
直前では口を閉じるのが億劫になるのか、舌も出たままになっていました。呼吸が苦しかったのもあるかもしれません。
最後は家族が揃うまで必死に呼吸を続け、みんながいるとわかった時点でゆっくりと息を吐きだし眠るように旅立ちました。最後まで鳴くこともなく、本当に安心したようにいったので、みんなで眠ったのかと錯覚してしまうほどでした。
旅立ってから、愛犬の目を閉じ口もそっと閉じてあげたのですが、どうしても目は開いてしまい「まだ家にいる間はたくさん見ておきたいのかもしれないね」とみんなで言っていました。
亡くなってから3年経ちますが、今でもまだ足元にいる気配がしています。愛犬は魂になっても家を守ってくれているのかなと思いました。
40代 女性 すのぅ
数週間前に片脚を引きずる仕草を見せたものの、数日後には元に戻り、そしてこの3〜4日前から逆クシャミ(アヒルが鳴くような音の呼吸)が目立つようになりました。しかしフードは昨日の朝までしっかり食べていました。
そして昨日の夕方、普段は逃げ回るお風呂場へ向かって歩き出し、洗っている最中に急変し本格的なチアノーゼが出始めました。
その後は逆クシャミの様な呼吸は落ち着いたものの、舌が伸びきっていた為、病院へは行きませんでした。
行っても安楽死か、数時間の延命にしかならない注射しか無いだろうと察した為、それならば自宅で抱いてあげようと思ったので。
離れて暮らす息子には、何故医者に連れて行かなかった!と咎められましたが、この最後のお風呂は彼女が旅立つ前に綺麗にして欲しいという希望だったのかも知れません。
肛門も開き始めていました。この状況で車の中での振動の方が可哀想だとも思いました。
最期は私の腕の中で私の声掛けに頷く様にしてから逝きました。
息子もこの子を大事にしていた気持ちから私へぶつけた言葉だとわかっていながらも、やはり悲しみは強いです。
こんな喧嘩をしないで虹の橋に向かわせてやれる様に、泣きながら…でも少し冷静になろうと思っています。
50代以上 女性 匿名
とにかく家族が大好きでいつも目で追ってました。
最後の旅行になるかもと出かけ、帰途の高速道路で私の膝上で息を引き取りました。いろいろな偶然が重なっての最後のように思えてなりません。
50代以上 女性 ミク
多分、認知症になっていて飼い主も他の人の区別もついていないと思います。嬉しいことも嫌なことも表現しません。私の為に長生きしてくれているような気がします。
その時がきても慌てずありがとうと言ってずっと抱いていてあげたいと思います。
40代 男性 けん
「犬の十戒」という本がありますが、この十番目に相当する
話かと思います。
どうか最後まで看取ってほしい、という文章ですが、これを
読んだ時には本当に目頭が熱くなりました。
我が家はまだ1頭目でその時期ももう少し先の話になるかとは
思いますが、わかりやすい記事で参考になりました。
時間の許す限り一緒に最後まで居たいです。
50代以上 男性 サスケ
50代以上 女性 てんこ
50代以上 女性 エルテ
今朝、血便だらけのケージの中で見つけ、あまりに汚れているのでお風呂で洗ったのですが、いつもと違い体の力がまったくないぐったりした状態。
もともとお腹の弱い子なので下痢には慣れていたのですが、こんな事は初めてでした。
さっきまでお布団の上で静かに寝てたのに・・・大きな息を数回して天国へ旅立ちました。
時々、血便が出そうになると立ち上がり、すぐに脱力してそのまま出してしまう、そんな状態が朝から続き、もしかしたら死んでしまうと思い不安になり、このブログに辿りつきました。
さっきの血便は死ぬ前の前兆だったのですね。
キララは10日前ぐらいから食事をしなくなり、ミキサーで撹拌したものをシリンジに入れて飲ませていましたが、量は足りるはずもなく体重は落ちていく一方で、病院の先生も「もう年齢だから仕方ないね」と・・・
今思えば、キララは「僕は食べたくないよ。気持ち悪くなるからやめてよ」と思っていたかもしれません。
シリンジを口に入れて、少しでも飲んでほしいという私の身勝手な思いに付き合わせて本当にごめんね。
昨日の夜徘徊していていた時、ボケちゃったんだなんて笑ってごめんね。
15年間ずっと幸せくれてありがとう。本当にありがとう。
50代以上 女性 匿名
あの子は、2年にわたって悪化してきたDMの症状を抱えていました。この数ヶ月は、四肢麻痺と初期のクビ麻痺のためサポートが必要な状態にまでなっていました。
きのう仕事から帰ると、目に力がなく、こちらを見てはいるのだけれどもボンヤリした感じでした。首が落ち着かないため、いつもアゴ当てにタオルを置いているのですが、よだれと粘液でびっしょり濡れていたのはかつてないことでした。ただならぬ状態だと気づきました。
まず口を湿らせるため体を持ち上げて水の容器に近づけると、本当に口をすすぐ程度、口をしめらせただけでした。この時同時に、今まで感じたことがないほどおなかに温かさがないことも感じました。危篤だと思い、何枚かの画像、普段は触らせない私に頭をなでさせてくれる様子を動画で撮り、家族全員に送って連絡しました。
その後の呼吸。ずっと口先だけで息をしている感じでしたが、徐々に横に舌が出て来て、その色がローズ色からうす紫に変わって首がガクンと倒れました。それから10回ほど小さなしゃっくりを繰り返し、舌の色が蒼白になって、「待って!まだ逝かないで!」と声を上げる私を残して、あの子は静かに旅立って行きました。大好きなパパがあとちょっとで帰ってくるのに。私ひとりを頼りにして逝ってしまった…。
家族がだれもいない中、できることは自分で判断してやれました。こちらでたくさんの経験をなぞらせていただいていたおかげです。ありがとうございました。
いつもいてくれたあの子がいなくなった寂しさはあります。でも、もう麻痺で動かなくなって行く体に落胆しなくて済むのだと思うと、昨日までの約15年間をあの子なりに生き抜いてくれたことに、尊敬の気持ちがあります。「うちの子になってくれて、私の相棒でいてくれて、いつも待っていてくれて、本当にありがとね。」と、火葬を明日に控えたあの子に何度も声を掛けています。
女性 若葉
心臓の病気だからしょうがなかったかもしれませんが、学校から帰って来たらお母さんから『死んだ』と聞かされてとても泣いた覚えがあります。
30代 女性 匿名
亡くなる5日、いつもなら完食するはずのごはんを、少し残していたので暑さのせいかなと思っていました。翌朝の散歩でオシッコの色がおかしかったのですぐに病院へ連れて行きました。発熱があり、下痢気味だったので胃腸炎といわれ、点滴してもらいました。尿の検査もしたところ、オレンジ色でビリルビンが出ているとのことでした。血液検査をしたら肝機能が悪くすぐに入院となりました。肝臓は沈黙の臓器といわれ、だいぶ悪くならないと症状が出ないようです。翌日には黄疸が出て、水を飲んでも嘔吐する状態になりましたが会いに行くと、しっぽを振っていつものリリーでした。
金曜日仕事が終わって主人とリリーを迎えに行き、家に連れて帰りました。自分の力では立つことが出来なくなり先生には今夜よくみてあげ下さいと言われたので、家族はみんな覚悟していました。
いつものリビングに寝かせみんなでずっと撫でながら声をかけ、見守りました。不思議なことに、痙攣したり、つらいはずのリリーは最期まで目をしっかり開けて私達を見つめてくれていました。そして家に帰って9時間後天国へと旅立ちました。あまりにも早い別れでした。
今思うといろんな偶然が重なって、家族みんなが揃って最期の時間を過ごすことができたのは、リリーが頑張ってくれたおかげだと思います。
楽しい思い出をたくさんありがとう☺︎今はまだまださみしいけど写真いっぱい飾って元気をもらってます。リリー、またね。
50代以上 女性 匿名
亡くなる1週間前からご飯を食べなくなり、血便をするようになったのですが、それでも普通に過ごしていました。
そのうちお水も飲まなくなり、立てなくなり、寝たきりになって半日だけ、少し呼吸が苦しそうでしたが、自分ベッドで私が見守る中、眠るように息を引き取りました。亡くなる直前、「キャンキャン」とびっくりするくらい大きな声で鳴きました。
飼い主として、犬の死期を感じた時、大抵は動物病院に行くのだろうと思います。が、16歳、病院大嫌い、家で私といることが1番安心して心が休まる、そう思うと無理やり病院に移動させ注射、投薬、点滴など、とてもさせられませんでした。そうして更に1週間命を長らえたとしても、それがこの子の幸せとはとても思えなかったのです。それが正しかったのかはわかりません。ただ自然に任せた、という感じです。
16年間、とても良い子でまさしくエンジェルドッグでした。今でもありがとう、と伝えたいです。
20代 男性 ジャイコ
ほぼ中型犬扱いのシーズー(男の子)、ジャイアン。
僕はいつもジャイコって呼んでました。僕の彼女も一生懸命お世話してくれ、彼女はジャイアンって
呼んでました。他にもいろんな名前の呼び方がありました。
※細かく書くと1日かかってしまうので、飛び飛びになりますがご了承下さい。
そんなジャイちゃんが心臓病で天国に逝きました。
心臓病になる前にも前庭疾患、ガンの疑いといろんな病気と戦って日々生きてました。
そのジャイちゃんの支えになっていたのは、間違いなく彼女の存在だと思います。
本当にいつも側にいてジャイちゃんをみてくれました。本当に感謝してます。
常に生活の中心にいたジャイちゃん。そんなジャイちゃんが体調がおかしかったので亡くなる1ヶ月前
彼女と彼女のお兄さんが病院に連れ行ってくれました。※僕は仕事でした。
病院を終えた、彼女から余命宣告の電話が来ました、今日、明日が山場だと。僕は事務所の休憩室で泣き崩れました。そんなジャイちゃん、お薬と僕達の愛のパワー?で約1ヶ月間頑張ってくれました。
その約1ヶ月間彼女の家族が最後の最後まで見届けてくれました。
※僕の家族は北海道の人間で、元々ジャイちゃんは北海道です。そこから大阪へ
天国に逝く2日前まではすごく元気でした、ご飯、水も飲むし散歩もしてオシッコ、うんちもいっぱいしました。だけど、何回も心臓発作がジャイちゃんを襲ってました、それでも耐えていつも通りの表情にしてくれて、僕達に心配かけまいと振る舞っていました。本当に優しく強いワンちゃんでした。
それで天国に逝く2日前、北海道から僕の母親がジャイちゃんの様子をみに来ました。
母親が来てその顔見て安心したせいなのか、急にその夜から立ち上がるのが難しくなり、失禁、発作など立て続けにきていました。それでも生きようとしていたジャイちゃんになんとかしてあげたくて、助けたくて、だけど、力及ばずでした。最後は僕と彼女と僕の母親に見届けられ、天国へ逝きました。
僕と彼女の勝手な思いですが、この約1ヶ月間の時間は、僕達に後悔させまいと笑わせ、泣かせ、時には、困らせ、そして北海道から母親が来るのを待ち旅立ったようにも感じました。
ジャイちゃんは僕達の大事な大事な家族でなお大黒柱って感じ?笑。もちろん天国にいった今でも僕達の大黒柱であり、生活の中心であり、永久に家族です。
すごく悲しいけど、すごく楽しかったし、すごく幸せだった。ジャイちゃんに出会えて本当に良かった。
そして誇りに思えるジャイちゃんです。本当に本当にありがとう。
永久にジャイちゃんを愛してます。
40代 女性 匿名
20代 女性 匿名
老犬と思えないくらいすごく元気で大好きなお散歩は歩いても歩いても物足りたいといったくらいでした。そんな愛犬が10日前から足元がおぼつかなくなり、水もご飯も一切食べなくなりました。
腎臓がかなり悪かったようで、よくなることはないと言われました。皮下点滴は一日置きにしていましたが、食べていないので体力は落ちていき、立っている間もゆらゆらした状態になっていきました。
わたしも兄も地元から離れているのですが、たまたま同じ日に地元方面で出張が入り、家族全員で最期の日を迎えられました。待ってくれていたとしか思えないです。
わんこは本当にかわいくて優しくて賢い生き物ですね。
ここにコメントされている飼い主さんのわんこはみんなこんなに愛され、幸せだっただろうなぁと思いながら全て読みました。
まだしばらく辛い日々が続かと思いますが、愛犬がくれた宝物のような思い出に浸りながら過ごしていきたいです。
30代 女性 匿名
つい先日、いちばん長くいた柴犬(14、5歳)が旅立って行きました。
その日は天候不良で仕事が休みになり家にいたのですがお昼頃、静かに寝ていたその子が私を呼ぶように鳴きました。力の入らない足で起き上がろうとしたので寒くないようにタオルでくるんで抱っこして頭やほっぺを撫でてやると少しはあはあと、苦しそうな呼吸の後「あうぅーん」と一声鳴いて、また少し苦しそうな呼吸を5、6回繰り返して旅立ったのです。
覚悟はしてたけどやっぱり悲しいので吐き出しのつもりで書き込み。
男性 匿名
少ししたらまた元に戻ったのですが、死期が近づいている気がします。
できるだけ長生きして欲しいです。
30代 女性 かおりっち
3匹はブリーダーさんから、3匹は里親で引き取った子です。
2016年6月17日、ブリーダーさんから頂いたミニチュアダックスの明良ちゃんが亡くなりました。
前日の夕方の散歩で突然歩けなくなり、抱っこして連れて帰って様子を見ましたがご飯も食べるし特に変化ありませんでした。
亡くなった日の朝6時頃いつも通り枕を占領しに来ましたがそこに引っ付いて一緒に寝てました。
それから7時過ぎゼロゼロという呼吸が聞こえ目を開けると明良が苦しそうに。
慌てて抱えたら体がひんやり。下に降りて行ったら鼻から透明の液体が出て、急にがくんとなりました。
それからは両方の鼻から泡が出だし拭いてあげたりしてましたが獣医に行くこともなくそのまま息を引き取りました。享年12歳でした。
何がなんだなわからず家族みんなでボーゼンとしてました、
それから僅か9日後の6月26日里親で引き取った推定年齢23歳のミニチュアダックス雄也が帰宅したら亡くなってました。
覚悟はしていたものの最期を看取れなかったこと、愛犬が立て続けに2頭亡くしたことで4頭と赤ちゃん(1歳半)がいますが未だにロスです。
雄也は来た時から外耳炎や何やと病院通いし、ヘルニアになった時も歩けない可能性が高かったのに歩けるようなるまで家族で看病とリハビリしました。
雄也がいると人が自然と集まり、犬が苦手な子供が平気で撫でてあげれるような人気犬でした。
外耳炎から耳に癌ができ、リンパを通って転移し余命幾ばくも無いと診断されてから懸命に3年生きてくれました。
うちに来た時から高齢でしたが、ご飯も散歩も大好きで、気に入らない時は八つ当たりみたいに和室とかでオシッコしていたのが今ではいい思い出です。
50代以上 女性 匿名
看取る事が出来なかった申し訳無さが残っていますが、きっと彼はこれからの夫婦の大変さを想って、黙って旅立ったのでしょう。体は大きくても優しい子でしたから。チェサは兄妹の2頭を飼っていましたが、妹の方は4年前に1年の長患いの末に先立ちました。涙の火葬を終え、今は兄妹で仲良く眠っています。我が家には黒柴や甲斐犬等、一緒に過ごした子達がまだ4頭います。その子達を見ても涙が出ますが、沢山の楽しい思い出を残してくれた彼に感謝しながら、4頭の子達とまたこれからの1日1日を思い出を作りながら大事に過ごそうと思っています。
30代 女性 きりとらママ
ミニチュアダックスの子は体調が悪くなってから後は、全く餌を食べようとしませんでした。
土曜日で父親がデイケアに行く時に最後にクーンと小さく鳴いたのを覚えています。
きっと行ってらっしゃいを言っていたのだろうと思います。
その日の夕方庭に埋める前にミックスの子に霧ちゃん死んじゃったょと匂いを嗅がせました。
庭に埋める時普段は食べ物にしか関心を示さずウッドデッキにも滅多に出てこない子が、ウッドデッキに伏せをしてミニチュアダックスを埋める所をずっと見ていました。
それから1ヶ月も経たないうちにミックスの子に肺がんが見つかりました。
末期の状態でいつ心臓が止まってもおかしくないと言われましたが、食欲旺盛で元気に歩く日が続きました。
病院でも抱っこをせがむこと無く診察室や駐車場までてくてくと歩いていました。
1ヶ月程頑張ってくれましたが最後の日、母親が朝起きて洗面台に行くと歩いてついてきたそうです。
新聞を取りに玄関を開けると一緒に外に出て庭のある場所(今埋めてある所)に寝転がったそうです。
母親が虎ちゃん中に入らないの?私ちょっとコーヒーいれてくるょと言うと、母親を見てニコッと笑ったそうです。
そしてその1時間後、10分おきに様子を見に行っていた母親が昼間過ごしていたお外の犬小屋の近くで静かに息をひきとっているミックスを見つけました。
前日の夜まで普通に餌を食べて、その日の朝も自分で歩いてたのにと思いましたが、元気過ぎて忘れていただけで動物病院では週2回の受診の度に生きてることが奇跡と言われる位状態は悪いままでした。
今でも不思議なんですが朝の庭での行動は死んだら埋められることが分かっていて、ここに埋めてほしいと自らの埋める場所を指定したのだという確信が母親と私にはありました。
今頃庭から2匹で私達を見守ってくれていると思います。
40代 女性 げんかつママ
50代以上 女性 匿名
50代以上 女性 匿名
40代 女性 じじ
20代 女性 匿名
前歯が抜けてから痛むのか、舌を出せなくなって自分で水が飲めなくなってから2ヶ月ちょっと。
ある日突然吐血して、家が血まみれになってから、だんだんと弱っていきました。
心臓が弱い子だったので、手術は出来ないと医者に言われ、余生は家で…となりました。
スクイズボトルから水を飲ませてましたが、ご飯も食べられなくなり、流動食のような液体ご飯を飲んでました。
それが、少しずつ食べれるようになり、おさつスナックを粉々にして丸めたボールを美味しそうに食べていました。
(最期くらい食べたいもの食べさせてあげよう、がうちの方針)
一昨日、朝起きてから水を飲ませる時に、前日までそんなことなかったのに、よろけながら寄ってきました。
あれ?と思いながら水を飲ませて、家を出たので、わたしは見取ることができませんでした。
親曰く、みんなの部屋をよたよたと歩いて回り、変な声を上げていて、ぽたっと倒れたと思ったら粗相をして、そして旅立ってしまったようです。
ずっと泣き通しで、未だに信じられません。
でも、あの子がうちに来てくれたことに感謝しています。ありがとう、チョコ。
ゆっくり休んでね。だいすきよ。
50代以上 女性 ラブポメ
私が重い病気で入院している間に3匹も相次いで亡くなってしまいました。
最初に亡くなったのは18歳のお婆ちゃんでした、そしてその1ヶ月後にその娘の17歳の子が亡くなって、その1週間後
ホワイトの男の子が16歳で亡くなりました。最初の子が亡くなった時、目がパンパンに為るくらい泣きました。
次の子が亡くなった時も病院に入院中だったので布団をかぶって泣いていました。
3匹目の男の子も私が可愛がっていて、呼ぶと走ってきて体をスリスリする可愛いこでしたこの子は私と主人がたまたま
通り掛かった道路沿いにあったペットショップで売れ残って9ヶ月の時にこの子をどうしようかと思ってるって行ってたので、私たちが買いますと言って家に来た子なので、名前もラッキーと名付けて可愛がってました。
この子が亡くなったと聞いた時はもーやだーと思いました。
この子も看取って上げれなかった、後悔ばかりです、でも考えてみれば、この子達皆とっても長生きしてくれた方だと思いました、でもこうやって書いていると今でも涙が出てきます。
私の一番の後悔は看取って上げれなかったと言うことです、でもその時は私も生死の境をさ迷っていたので、今思えば
あの子達が私の身代わりになってくれたのかなって思います、でもそれにしても3匹なんて多すぎると思います。
退院して真っ先にお墓にお線香を上げに行って来ました。でも私はブリーダーなので、まだ老犬が6匹もいるので今度こそは、この子達皆を分け隔て無く大切に一杯構って上げたいと思います。
何か愚痴のような、書き込みですみません
40代 女性 はるなお
昼過ぎに帰宅した時、散歩に行く前で、家の廊下を嬉しそうに義母の足下にくっついて小走りしていました。
「お散歩連れて行ってもらうのー?いいねー。いってらっしゃーい」
と声をかけると、
「行ってきまーす」
と言わんばかりに笑顔でこちらを見て出かけていきました。
二階にいると、義母の叫び声が聞こえました。
「ぱぴちゃんがっ!ぱぴちゃんが倒れてる!」
私は急いで下に降り、倒れて目を開いて痙攣している犬を抱きかかえて、体をさすり、頑張れ頑張れ!と言っていました。
しかし、時間にして5分も経たずに口がムガーッと開き、舌が根元からダランと落ち、失禁してそのまま亡くなってしまいました。
義母が言うには、いつものようにルンルンしながらお散歩して帰宅、いつもの場所から義母を見つめながらウトウトしていたそうです。
すると突然立ち上がり、そのまま声も出さずバタンッ!と倒れて痙攣しだしたそうです。
義母は、
本人も、死んだなんて思う間もなかったやろなぁ、あっという間やったわ、
と言っていました。
せめて最後に声を聞きたかった。目を合わせてなでてあげたかった。
苦しまずに旅立ったと信じたい。
思えば軽い咳をしていたから、心臓が悪かったのかも。
獣医さんにかかったのは生まれて一度だけ。腰痛でした。
食欲もあり、いつも機嫌の良い子で、まさか死ぬなんてこれっぽっちも思っていなかった。覚悟なんて、全くありませんでした。
辛くても、心配かけたくなくて、明るく振る舞っていたのかな?
突然の発作で、怖かっただろうな、とか、後悔は尽きることがありません。
50代以上 女性 お母さん
50代以上 男性 匿名
仕事から帰宅すると、よたよた歩き玄関までお迎えしてくれ、だっこしてあげて
30分程で、亡くなりました。
私の帰りを待つていてくれた気持ちは、とてもうれしく心に残りました。
動物達は、大切な家族ですね。
ましてや、誕生日も同じでしたからなおさら感じています。
50代以上 男性 彦爺
それから数日経った頃から、妻と息子が時々足音が聞こえると言い出したのです。私は、犬の気配が残っているだけだよと否定しつつも、なんで私には聞こえないんだと、少し残念な気持ちでもありました。
そんなある日、明け方にふと目が覚めると目の前に愛犬の姿がありました。「待てよ? これは夢を見ているのではないか?」と自分でも判然としなかったのですが、愛犬がこちらに来て胸の辺りにポンと当たる感触があり、夢ではないとハッキリ判りました。怖い気持ちなど微塵も無く、やっとお別れに来てくれたんだなと思いました。
信じがたい話ですが、そんなこともあるんだなと思っていただけたら幸いです。
40代 女性 いろは
30代 女性 犬の散歩道
40代 男性 匿名
その日は日曜日で夕方の散歩に行き、公園で走り回りいつも通りに元気だったのに。
私達の夕飯を終え、おやつをあげようとしたら珍しく要らないって…
こんなこと、初めてで夜間の動物病院へ…
病院へ行くときも、駐車場の車まで歩いて行って、待合室では少しダルそうな感じだったけど困らせる亊無くいつも通りのいい子でした。
順番で呼ばれたきは、フラフラな足取りで診察室まで歩きました。
診察台に上げられて、ついに力尽き、そのまま息をひきとりました。
その時、彼の目から涙が流れていました。
まだ、みんなと一緒に暮らしたいけど、今までありがとう。って言ってた気がします。
夕方まで元気で、夜8時過ぎに異変発生、そこから息をひきとるまで約3時間。。。
きっと家族に心配、負担を掛けたくなかったのでしょう。
女性 匿名
女性 梨花
30代 女性 akincho
普段は全く吠えない子で、亡くなる日は夜夜中にうなったり吠えたりしてました。
その亡くなる日に子供が退院して(私も一緒に付き添い)してました。
食欲もなく水もあまり飲んでなかったです。
泣く度に声かけたり撫でたりしてたんですが病み上がりなのもありチョット寝るね!って声をかけて寝ました。
朝早くに目が覚めてワンちゃんを見に行ったら冷たくなって目も少し開いてて口も開いて舌が出た状態でした。
色んな人に亡くなった事を伝えたら、たぶん帰って来るのを待ってて寝たのを確認してから逝ったんだよ!と言われ、涙が止まらなかったです。
動物は好きだけど人間と同じで何時かは死にます。また動物と暮らしたいけど、辛いですね。
30代 女性 ヒナ
あなたとの楽しかった思い出さえも辛くて蓋をしてしまう。ママが元気でいないと亡くなった子が可哀想って良くいうから、ママも頑張ってたけど辛いものは辛いよ。寂しくて会いたくてやり直したくて堪らないよ。毎日目覚めてもあなたはいなくてママ一人ぼっち。耐えて1日送っても、また寂しい朝が来る。きっと皆んな辛くても辛くてもどうにか立ち直っていけるのは、きっと楽しかった思い出を語れる家族が周りにいるから。私と違って、頑張って介護をしてあげてやれる限りのことをし見遅れたから。そして一緒に看取ってくれる人がいた場合。14年もママの側にいて、ママを14年も生かしてくれてありがとう。親は選べないのにこんなママを最期わけわからなくなっていそうな思考回路の中でも愛してくれてありがとう。今ならわかるよ。どうか疲れを癒して元気になったらまた、ママの所に帰ってきて下さい。あなたがいない日々はママにとって今何の価値もありません。もう一度、抱きしめさせて下さい。
女性 匿名
かわいいかわいいフレンチブルドッグの女の子です。
亡くなる一週間ほど前から食欲がガクッと落ち、三日ほど前から呼吸が荒くなりました。
亡くなる二日前からずっと私は愛犬と一緒にいました。
両親や弟は仕事で家を開ける時間が長く、私も仕事があるときは犬に留守番させることが多い家でした。
たまたまその二日間は私が休みをとっていて、予定もなかったので、ずっと一緒にいることができました。
正直とても辛かったです。
辛そうに呼吸をする姿、弱っていく姿をみると涙が止まりませんでした。
言葉にはしませんでしたが、もうすぐ別れがくると感じていました。
早くみんな帰って来てほしいと、私ひとりで看取るなんてことにならないでと。
家族がみんな出かけているとき、あの子はどんな思いでひとり家にいたのだろう...長い間我慢をたくさんさせてしまいました。
家族が帰って来てからも、命が危ないかもなんて不吉なことも言えず、泣くこともできず、今思えば泣きながら今すぐ病院に連れていこうといえば良かったです。
亡くなる前日の夜、大好物のササミも食べられず、さすがに両親も明日病院に連れて行こうと言ってくれました。
明日病院行って、それで絶対良くなるからね、しんどくなくなるからねと話しかけて、夜通し犬の側にいました。
眠ることもできないほど呼吸が辛かったのでしょう。
うろうろして場所を変えてはぜーぜーと息をしていました。
私とあの子は毎日同じ部屋で寝ていました。夜はいつも私とあの子だけの時間でした。
それがずっと続くのだと。
ですが、早朝に振り絞るように一度だけ鳴き、驚いた私が家族を起こして、みんなが集まったところで、静かに眠るように息を引き取りました。
今まで荒かった呼吸が嘘のように穏やかに深くなり、そのまま本当に眠るように。
最期に鳴いてみんなを起こしてくれたんだね。
お別れの準備をさせてくれたんだね。
看取らせてくれてありがとう。
本当にいい子だね。
最期まで家族想いのいい子でした。
本当に無知な飼い主でした。もっとこういうことを勉強しておけばよかったと思います。
意地悪なお姉ちゃんでごめんなさい。
何もしてあげられなくてごめんね。
家にきてくれてありがとう。
長い間お留守番ばっかりさせてごめんね。
世界で一番大好きだよ。
ずっと一緒にいたかった。
愛してるよ。
ずっと大好きだよ。
ずっと一緒やで。
50代以上 女性 匿名
介護が大変で「もう死んで」とか暴言を言ったり、叩いたりした事もあります。
それでも信じて甘えてくれ最後は一緒に介護をした母と2人で見送ることができました。
亡くなる4日前に病院へ行った時の事ですが、診察台で体をそらして私の方を見た愛犬と目が合いました。
その時フッと「もういいよ」って言われたような気がして「わかった、もう病院は来ないね」って返事をしました。
その後はほぼ意識がなくなり最後の日は朝から呼吸が荒く母にも連絡して来てもらっていました。
その日はもう水も飲みませんでした。
おしっこが出たのでシーツを変えようとしたらまたすぐに出て、その後すっと息が止まりしばらくして心臓が止まりました。
今まで愛猫を何匹も見送っていますが今回の愛犬を含め不思議とみんな私が休みの日に亡くなっています。
やっぱりちゃんと見送って欲しいのかな。
50代以上 女性 ショコラママ
ショコラは1才半の時に頂いたヨークシャテリアでした。
2年前から心臓病と診断されて薬を飲んで1年経ちましたが一年前から心臓病の薬を飲むと下痢を繰り返し。
獣医さんからこの薬を飲んで下痢する犬は初めてだとびっくりされましたがショコラには合いませんでした。
下痢をする度、栄養剤の大きな注射と下痢止の注射を2本打ち可哀想に痛がって泣きます。
看護婦さんの居ない獣医さんなので私がショコラを押さえます。
その旅に涙を流しました。
帰りのタクシーでは元気になりワンワン吠えていました。
毎週の様にタクシーで獣医さんに通う日々。
私はショコラの為なら全然苦じゃなかった。
めったに家を留守しない私が一泊した翌日、前日は元気だったのに急に悪くなり死に目に会えませんでした。
死に目に会えなかった事を後悔しましたが友人がショコラは私に死ぬところを見せたくなかったんだよと言ってくれた一言に救われました。
毎晩、思い出しては泣いています。
辛い時や楽しかった思い出、本当にありがとう。
一生忘れません。
50代以上 女性 エディママ
ミニチュアダックスの雄で15才と10ヶ月でした。
老犬でしたので、耳が遠くて毛も白くなってきて眠っている時間が長くなり、年はとってきたものの元気に暮らしていました。
亡くなる2週間ほど前から食欲がなくなり、たまに吐くようになりました。
かかりつけの獣医さんで診ていただいたら末期の腎不全で数値が測れないほど悪い状態でした。
2日間 入院して点滴をしてもらいましたが、改善することはなく、自宅で様子を見ながら通院することにしました。
点滴を受けるのが身体に負担がかかったのか、それとも本当に体調がそこまできていたのかはわかりません。
2日間入院してからガクッと衰弱してしまいました。
ずっと横になって水も飲まず、口の中にスポイトで入れることも嫌がりました。
一晩中辛そうに歩き回ることもありました。
これは船酔いのような気持ち悪い状態だと獣医さんから説明を受けました。
そして頻繁にけいれんを起こすようになり、いよいよ死期が近いことを悟りました。
離れです暮らしている娘も帰ってきて悔いが残らないように看病しました。
いつも一緒にいて、苦しそうにすると身体を撫でました。
すると不思議にけいれんが治り落ち着きをみせるのです。
心許せる飼い主がそばにいて、優しく撫でてもらっている、それだけで犬にとってどれほど支えになるのか、安心できるのか、そう思えてなりませんでした。
ハンドパワーと言うけれど、本当にあるのですね。
そんな日が3日ほど続いて点滴を受けに行った病院で、いつもより激しいけいれんが起きて、私の腕の中で娘と獣医さんに見守られる中、虹の橋を渡りました。
帰宅して体を綺麗に拭いて目と口を閉じさせて御線香を焚きました。
翌日、動物霊園でお葬式をあげました。
動物霊園に向かう途中、よく遊んだお気に入りの公園の横に車を停めて犬に話しかけました。
そしてお花をたくさん買って小さな棺をお花でいっぱいにしました。
お葬式も終わり、最期のお別れのとき、やすらかな幸せな表情をしていることに気付きました。
そしてさよならの握手した時のこと、犬の手が柔らかくクタクタになっているではありませんか。
亡くなってから16時間ほど経っていましたが、死後硬直してなかったのか、柔らかいあの手の感触を私も娘も忘れることはできません。
心を込めて供養できて愛情いっぱいに送り出すことができました。
お別れするのは辛かったけれど、心から看病して一緒に過ごせて私の腕の中で息を引き取り幸せな顔で旅立っていったのです。
本当に親孝行な子でした。
私たち家族は幸せなことばかりではなく、大変な時期を乗り越えて今があります。
そんな辛いときもこの子は一緒にいて皆んなを支えてくれていました。
きっとそのために私たちのところに来てくれたのだと感謝しています。
たくさんの思い出をありがとうね。
今はお花がたくさん咲いている天国で元気に飛び回っていることでしょう。
こちらのサイトでは看病しているときに拝見させていただいて皆さん辛く切ない思いをされていることを知り励まされました。
皆さんにお礼を言いたい気持ちです。
まだ心の整理もつきませんが、私の経験が少しでもお役に立てればと投稿しました。
女性 、
楽しい時も悲しい時も眠る時もご飯を食べる時もずっと一緒でした、でも亡くなる少し前から忙しくて一緒にいられる時間がなく、最期を看取ることもできなくて、今でも後悔しています。
その日は、珍しく叔母の部屋で寝ていました。今もその意味はわからないけど何か意味はあったんだと思います。
もうすぐ一回忌です。
一年前より前向きになりましたが、やはりまだ思い出して泣いてしまうこともあります。
今いるその子に似たわんちゃんを重ねてしまうこともあります。
まだ辛いこともあるけど今いる子を最大級に愛していきます。
また会えるときを楽しみに待ってるね。
50代以上 男性 ぎんちゃん
50代以上 女性 ベビーナナ
忘れたくないけど忘れないと生きていけません。同じ気持ちの方いらっしゃいますか。
50代以上 男性 匿名
自分ちの子も下腹部に以前から腫瘍が出来ていて、一度病院で診てもらったら「大きくならないのであればそのままでいいでしょう」と言われて過ごしていましたが、ある日、急に大きくなり、病院に行くと先生が「これを除去したら死ぬかもしれません」と言われました。親としては辛そうに歩く姿を見ると除去してあげたい……。でも除去できても「死」との交換条件であるならば、不自由であっても少しでも長く生きていて欲しい……と、今は抗生剤を毎日飲ませて過ごしています。頑張りましょう〜〜!
20代 男性 匿名
人間関係のトラブルで話し相手が誰もいなかった当時、唯一の心の支えだった愛犬にこのような態度をとってしまったことに申し訳ない気持ちでいっぱいで、「どうしてあの時気の済むまで散歩に付き合ってあげなかったのか」と自分を許せないまま十数年が経ちました。今でも自分を許せないし、自分が死ぬまで忘れることはないでしょう。
後悔、特に命に関するものは二度とやり直せず、これほど辛く忘れられないものだと教わり、それ以来、物事に対して今よりも一層頑張って取り組めるようになりました。
女性 サホ
50代以上 男性 匿名
寝ぼけながら「ん?どうしたんだい?」と体を撫でてやったのですが、すぐに下に降りてしまいました。そして翌朝、ベッドの下で冷たくなっていました。
彼なりに自分の体に異変を感じ、最後のお別れを言いに来たんだと思います。
15歳になる柴犬で、最近は元気も無くなってきてましたがそれでも前日まで普通に散歩してたので…かなりショックでした。
彼なりに最後の瞬間まで普段通りに生きようと頑張ったんでしょうね。
50代以上 女性 あんこ
私の結婚が決まり、両家の顔合わせの食事会のため、愛犬を病院のホテルに預け、一泊してもらって、翌朝両親が迎えに行ったらもう既に息を引き取ったあとでした。まだ温かかったそうです。
兆候は・・・わかりませんでした。
でも亡くなる前日、私の部屋の前に座って窓から入る風をずっと受けていて、母と何やってんだろうね〜って笑っていたことが思い出されます。自分では死をわかっていたみたいです。
私が好きな人と結婚するために、まさに自分の命を捧げてくれたような気がしてなりません。
今年私たちは銀婚式を迎えます。色々なことがありましたが^^;キャンディーのためにも幸せにならなくてはね。
50代以上 女性 ドール
その犬は 保護センターで処分寸前の犬でしたが とても忠実 で亡くなる1週間だけ寝込みました
段々食事の量が減り 体温が徐々に冷たくなり いつもの様に 朝主人が 頭を撫でてやりその後15分位で穏やかな顔で亡くなっていました
朝主人や私達が起きて来るのを待っていたかの様でした
全然手のかからない犬でした
あの犬だけは いつまでも心に残る 忘れられない犬です
その後 やはり保護犬を飼いました
もっともっと 保護犬を助けて欲しい
ペットショップで買わずに保護犬を飼ってくれる世の中になればと願います
40代 男性 Drラブラドール
5年前から糖尿病でインスリン注射をしながらの生活でした、数年前から目も見えなくなり、歩くこともままならず、しかし律義にトイレは所定の場所へ這ってでも行ってやってくれました。
散歩も目が見えなくなってから行けなくなり、家の中が全ての生活、家族の声に反応して起き上がってもすぐに眠ってしまう。。。。病気とともに長く苦しんだ愛犬でした。
昨年11月急性胃捻転を起こし助からないだろうと家族全員覚悟しましたが、信頼できるかかりつけの獣医さんの見事なOPで助かりました、それからの今日までの4か月は今まで頑張った愛犬への神様がくれたご褒美だったのかもしれません。
突然10日前から食事をとらなくなり、水も飲まず、急速に腎機能が悪くなりました、何とか回復させようと連日皮下点滴を行いました。点滴で脱水が良くなるのか、点滴後はスヤスヤと気持ちよさそうに眠ります、また食べられるものは何でもあげようと生前好きだったご飯やトーストの与えました、せめて最後に少しでも食べる喜びを思い出してほしかったからです。
しかし、昨夜家族はみんな在宅している間にいつの間にか呼吸が止まっていました。
「いままで、よく頑張ったねえ、安心してお休み」悲しみよりもそんな言葉がまず浮かびました。不思議と涙は出ませんでしたが、最後の10日間、もっとしてあげられることがなかったのか?。。。と今でも自問自答しています。
今日、業者に頼んで家族でお葬式と火葬をしました、遺骨を拾い骨壺を抱いてみるとまだ暖かく、その時ようやく涙が出たような気がします。
これから長い年月をかけてポッカリ空いた心の穴を家族全員おのおのの方法で埋めていこうと思います。
愛犬の遺骨の入った骨壺を自宅の床の間に安置して目を閉じるとまだ愛犬が静かに家の中で寝ているような気がします。もしかしたら夢で逢えるかもしれません。
今夜は愛犬の思い出に浸りながら休もうと思います
50代以上 女性 匿名
40代 男性 匿名
数時間苦しい呼吸をした後、呼吸は少しずつ浅くなり、最後は呼吸が聞こえなくなりました。往診をお願いした獣医さんの到着10分前です。死を確認頂きました。もう悲しくて悲しくて。涙が拭えず前に進めないです。
仲の悪い家族を、ずっと繋いでくれた彼に感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に有難うございます。本当に本当に有難うございます。また天国で会いたいです。
40代 女性 チャム
結婚して愛犬と離ればなれになりました。
父が愛犬の 世話をしてくれて今したが
大分年齢もあって弱ってきていました。
私も育児もあり近くでは無かったので
度々会いに行くことが出来ず実家に電話したり父にメールしたりして愛犬の様子や体調を気にはしていました。
亡くなる前の日に愛犬が夢に出てきて
なにか胸騒ぎがして実家に帰宅しました。
愛犬は、その日に息を引き取りました。
とても辛かったですが死に目にあえて
その日に葬る事が出来て良かったと思います。
40代 女性 匿名
犬が亡くなる前に見せる行動は、犬だからというよりは、人も犬も生き物だから同じなんだなと思いました。
家の子はもう直ぐ7才になります。その時が来るのは、8年後かもしれないし、1年後かもしれません。出来れば仕事のない日にゆっくりと穏やかに看取れたら有難いと思いました。
50代以上 女性 てんこ
50代以上 女性 さく
最近は横になってばかり 散歩も、トイレの為だけになりました?
食欲は有りますから、まだ大丈夫かなと思っています。皆さんの投稿内容が心構えの必要性を改めて、感じさせていただきました。最後の時を一緒に過ごして行けるよう見守っています。
女性 ゆう
男性 匿名
女性 milky
沢山 当てはまりました。
昨年 19才の愛犬を見送りました。
亡くなる4ヶ月前から 散歩を拒否。
今まで 全てにおいて 拒否なんてしなかった愛犬。もう かったるいからいいょ。しなくていいょ。と。
でも、大好きなご飯は きちんと 3回。多いと残すし。こっちよりそっちと!ハッキリしてました。
トイレもちゃんと自分の、トイレで済ませていました。時々 トイレまでもたずに 手前でシャーなんてことも数回ありましたが。いいょ。と言うと 済まなさそうに トコトコと、自分のベッドへ。
寝ていても 時々 家族を探したり。いる。とわかれば安心して又すやすや。
が、亡くなる前日、この日だけ、何も食べないで。少し震えて寒かったのか?体をさすってあげて、タオルを、かけて、チンする湯タンポを足元へ入れてあげたら、肉球が温まり 体を伸ばしてぐっすり。でも、結局何も食べずに 最期に水を 沢山飲んで オシッコをトイレで済ませて、少ししたら ギャンギャンと泣きわめき、慌てて病院へ飛び込み。採血したら 腎臓、肝臓、膵臓が、1度に悪化していて。それから程なくして、緑色の下痢をしました。そして 数時間後 旅立ちました。
最期は いきなりドカンときてしまったようで。老齢だからある程度は覚悟してはいましたが、元気だったのに。たった1日
何も食べないで亡くなりました。
いつか必要になるだろう。と準備していた、オムツ、マナーベルト、防水シート 。
沢山の好物のウエットフード、缶詰め、オヤツなどそぅくりと残して逝きました。
回りからは 親孝行な亡くなり方だね。なんて言われましたが
もっとお世話したかった。
何ヵ月も経ってもまだこうして書いたりすると涙が止まりません。
まだロスです。
今、目の前で見ています。
泣かないように、虹の橋で楽しく遊べるように。
40代 男性 疊師
40代 男性 シロ
フィラリアでながくないことは獣医さんから告げられていました。日に日に元気を失って行くばかりでしたが、ある日の朝、通学する私を見送りにやって来ました。元気な頃は毎朝の恒例でしたがフィラリアが発覚した頃から見送りに出てくることはありませんでした…
その日私は期末試験でしたので昼過ぎには帰宅しました。その際愛犬は出迎えに出てきてくれました。それも元気に尾を振って
今日は暖かいし、少し具合がいいのかな?と、思い愛犬に近寄り軽く抱きしめました。
その時、一瞬でしたが笑顔になったような気がし、私の頬を舐めました。と、次の瞬間私の腕の中この世を去りました。
50代以上 女性 パインのママ
頭が痛くなるほど泣きまくり、顔が腫れて瞼が重くなるほど泣き続けています。
心臓が悪いと言われ、咳が出るようになり、それでも通院と投薬で元気に過ごせてました。
最期は肺水腫で、とても苦しそーに口を開け目を見開き何度も寝返りして…動物病院の高酸素室の中でした。
すごく悪かった心臓でパインちゃんは今日までよく頑張ってくれた、と先生から褒めてもらえたムスメは綺麗な顔で静かに横たわっていました。
11才と6ヶ月、色んな楽しかった思い出ばかりで飾りつけ、その冷たく固くなってしまった身体を撫でては、夫婦二人で涙をこぼしてます。
レンタルした高酸素室を返却しなければ、とか
火葬業者さんに連絡して、とか様々なことは後でー。やっと苦しい発作も咳もなく静かに寝ているパインの横顔を今はずーっと眺めていたい。愛する家族で、生き甲斐で、命の半分でした。
動物病院の先生たち、いつも綺麗にシャンプーしてくれたトリマーさん、愛情もってお付き合いくださり本当に有難うございました。
女性 匿名
まだまだ食欲旺盛で元気ですが、さすがに歯も減り、体力も落ちてきて、あとどれくらい一緒にいられるのだろうか、最期に立ち会えるだろうか、とそんなことばかりを考えてしまいます
以前に飼っていた柴犬は16歳10ヶ月で亡くなりましたが、そのときの悲しさを思うと、今からもう不安で仕方ありません
寿命の予測ができればいいのに…心の準備が難しいです
50代以上 女性 凛
最期を看取る事は出来なかったのですが…前日、早朝いつものように愛犬は寝室からトイレに行きました。
いつもならすぐに戻ってくるのに…なかなか寝室に戻ってきませんでした。布団の中から廊下を歩く愛犬の足音をそっと聞いていたら突然バタッと転んだ音がして慌てて様子を見に行くとふらふらと立ち上がろうとするも、立ち上がれず慌てて抱き上げると頭をピクッとピクッと痙攣を起こしていました。毛布を掛けギュッと大丈夫大丈夫と15分抱いていましたら、落ち着きスヤスヤと眠りにつきました。
その後まもなくまた起きトイレに向かいましたが…間に合わず途中で緩いウンチをしました。最期はウンチが人間と同じように黒くなると聞いていましたが…本当でした。17歳でお腹にゴルフボール大の腫瘍を抱えて居ましたが、最期まで頑張ってくれました。
可愛いチワワでした。今も空から私達家族、そして新しい2匹の愛犬を見守ってくれているはずです。
30代 女性 匿名
先日、18才の愛犬が旅立ちました。
とても大事に育ててきたのですが、ここ3ヶ月ほど痴呆で毎日の夜鳴きに私自身が疲れ果ててしまって、夜中起こされるたびに、愛犬をしかってしまい…2時間超になりますと手をあげてしまうこともありました。いろいろ調べて知識はありましたが、頭では分かっていても…。そんな自分にもまたイライラしてました。そんな中、急に突然旅立ってしまいました。
食欲旺盛で毎回ご飯も完食してたので…病院にも毎月通ってたので…まだまだ先だろうと油断してました。その日も夜中に3回起こされて叱ってしまいました。限界を感じて朝方に私だけ別室にて睡眠をとりにいったあとに、独りで旅立たせてしまいました。悔やんでも悔やみきれません。シニア犬だからこそ、死の前兆にとらわれすぎず、いつ来るか分からないその時の為にできる範囲で側にいてあげることをおすすめします。どんなに後悔してももう抱きしめてあげることはできないのです。
20代 男性 メダリスト
11年と7ヶ月でした
40代 女性 クロエ
ビッグリして起きたら舌がダラリと出て家族起こして病院着くまで人工呼吸して連れて行ったら、朝早いのでって見てくれず、次の病院は見てくれて、あまりの私のパニック状態で病院に連れて行った時は既に天国に行ったらしく…苦しまなく天国行きました。もう一度逢いたい❗
20代 女性 匿名
それから毎日泣いて3年間引きずりました、9年たった今も思い出しては涙が出てしまいます。
亡くなる前は確かにここの記事にあるような事がありました、特に肛門や失禁がわかりやすいかなと思います。
新たにお迎えしたパグのピロも大量のタール便を夜にして、朝まで持ってくれるか気が気ではありません。(朝一で病院に行くつもりです)
その他小動物なども看取りましたが本当に亡くなる時は一瞬で、死に目に会えない事も少なくありません。
仕事にもトイレにもお風呂にも連れていきたくなります、ですがそれは出来ないので家族に任せてなるべく一緒にいる時間を作っています。
今までたくさんの子を看取ってきたせいかペットの死が非常に怖いのと傍に居てあげたい気持ちがとても大きいです、もう全てを放り捨てて最後の時間まで一緒にいられたらいいのに。
うまくまとまりませんがこんな私は過保護にペットをお世話しているとよく言われます、きっと私の様な心配性な方は何も飼われない方がいいのかもしれませんね。
40代 男性 匿名
40代 女性 ぽんた
心不全でしたが前日まで大好きなお散歩も毎日かかさず足腰は老犬と思えない程の筋力がありゆっくり毎日15分間自分の意志で歩いていました。食事も自分の意志で一生懸命残さず食べ20歳の誕生日を迎えられると思っていました。生まれつき心臓に疾患がありましたが19年も長生きしてくれました。心不全は突然です。
ポッかり穴が空いたままですが予兆は全くありませんでした。人それぞれ犬それぞれだとおもいます。
50代以上 女性 匿名
30代 女性 匿名
腹水が溜まり心臓が悪く腫瘍もありましたが薬で治療するしかできませんでした。
亡くなる1週間位前から後ろ足がかなり弱り立ち上がるのが大変になり排便の途中で力尽きて座ってしまったりしてました。
4日前にも排便途中で座ってしまいその後下痢をしてそのまま寝たきりになりました。それから食べ物は一切口にせずたまに水を飲むだけに。そして前日は水さえも飲めなくなってしまいました。このサイトを見て、亡くなる前に鳴く子が多い事を知った日に何ヶ月も鳴いてなかった愛犬が何回も鳴きました。すると水を少し飲み大量の下痢をして3時間後に息を引き取りました。
悲しくて何も手つかず放心状態です。
天国で楽しんでることを心の底から願ってます。
40代 女性 匿名
秋田犬の雄でまだ5年なんですが・・・たまにはトリミングしてあげようと大型犬でもOKのところで初 きれいにしてもらいました
その後も普通に食事も食べていつも通りだったんですが3日後 今月の5日に朝 檻に行って見ると突然死してしまいました どっか悪かったのか亡くなってからお腹に水がたまっていました
我慢してたのかなっと後悔ばかりです
30代 男性 匿名
2匹目は日曜日で、朝起き上がりもしなくなったので今日明日かなと悟り、昼寝してたら親に起こされ、見にいったら吐いてまして、一旦落ち着きましたが、少ししてまた吐き出しそのまま息を引き取りました。
しかし抱きあげて1分程したら急に息を吹き替えしたのですが、その1呼吸が最期でした。
女性 ぶんまま
年も取り、寝て過ごす事が多くなっていましたが、この日も『散歩行こうか』の声にムクッ起き上がり、玄関までいつものように歩き、いつものように散歩に歩き、、いつものように足を洗って、、体を洗って、拭いて、、いつものようにお布団で遊んで、、、なんかおかしいよ!!の娘の声に、みてみると、、グターっと横になっていました。亡くなる時の姿は残っています。。マッサージしながら、、病院に電話、、心臓発作でしょう。。いつかはくるのはわかっていましたが、、こんなに突然だなんて。、悲しくて、苦しくて、でもね。絶対忘れないよね。家族だもんね。いつも一緒にねてたね。沢山色んな所行ったよね。突然悲しかなって泣いちゃう時もあるけど、楽しかった事大事にするからね。
ありがとう
50代以上 男性 匿名
40代 女性 ライ&メロ
皆さんの書き込みを読ませていただき、涙をぼろぼろ流しながらワタシには耐えられるかな、最期は看取ってあげられるのかな、後悔はしないように見送れるのかななどいろいろ考えさせられました。
まだまだ若いので、その時が来ることなど想像もできませんが、精一杯愛し愛され、お互いに満足してその瞬間を迎えられたらと思いました
50代以上 女性 くーちゃん
無責任な飼い主に、畑の端っこに置き去りにされたかわいそうな子でした。
たまに飼い主は来ていたようだったけど、多分痩せて首輪が抜けて、お腹がすいたよ!!ご飯ちょうだい!って、会社の事務所に来たのが、くーちゃんとの始まりでした。
2、3年前からごはんやお水をあげに行き(飼い主もたまには来ていたようです)、この一年は毎日休みの日も来て、一緒にお散歩楽しんでました。ワンちゃんと触れ合ったことがない私でしたが、すっかりくーちゃんの虜になり、くーちゃんも懐いてくれました。
今年は暑いので、簾や葦簾やすのこで日よけを作りました!!
8月16日の朝、いつもとおなじようにご飯と冷たいお水を持って行き、お散歩してまた明日ね~って。
次の日の朝行くと、もう立つのがやっとの状態になっていて。。。それでも、よたよたしながらも立っておしっことうんち(下痢)はしていました。
夕方、飼い主じゃないなら診られないって言うお医者さんに頼み込んで診てもらったら、エコーで見た先生が、この子この状態で生きているのが不思議なくらいだよ!頑張ってるよ!って言った位手遅れの子宮蓄膿症でした。
もう畑のにはおいておけないので、家に連れて帰りました。車の中でお話しながら帰ってきました。私を優しい目でみてお話聞いていました。
私=大好きなお散歩だったのか(お散歩大好きでした)、最後のお散歩だと思ったのか・・・車から抱き抱えておろすと、立つのもやっとのはずなのに、ちゃんと立っていつものように尻尾を振りながら、歩き出し駆け出しました!私は、慌てて抱き抱えました。
それから寝かせたのですが、息も小刻みで苦しいはずなのに、しっぽをふっていました。お散歩以外で畑から出たのが嬉しかったのか、抱っこが嬉しかったのか・・・。
この時は、飼い主に状態を連絡し、お任せしますということだったので、うちの子になっていました。
お水を手ですくって飲ませて、ちょっと買い物してくるから待っててね♥くーちゃん♥って出かけ、20分位で帰ってきて、くーちゃん帰って来たよ~って声をかけお水を飲ませようとしましたが、飲まない。くーちゃんくーちゃんさすりながら名前を読んだとき、小さく泣いて大きく3回息をして天国に逝ってしまいました。待っててくれたんだと思いました。畑の中で一人で逝かせなくてよかったと思いました。
知り合いの葬儀社の方にドライアイスを入れてもらい、翌日傷んでしまう前に火葬し、今は家にいます。
会社に来ると、今でも、少し離れた畑に毎日くーちゃんがいるような気がします。
くーちゃんがいた場所に、毎日、朝昼夕お線香あげにいきます。お花もご飯も。
ついつい、くーちゃん、お散歩行くよーって言ってしまう自分がいます。
寂しくてたまらないです。
今、不思議に思うことがあります。
具合が悪くなる2日前の朝の、いつも散歩のことですが、何コースかあって、お盆で私が休みで早朝だったので、その中でも長めのコースに散歩に行きました。30~40分コースだと思います。
ですが、その日はいつも曲がるところを曲がらず、更に長くなり1時間半くらい、お水を飲ませながらの散歩になりました。途中、遠くなるから帰ろうと何度も引き返すようにしましたが、ガンとして言うことを聞きませんでした。最後まで、尻尾を元気に振りながらのお散歩でした。
畑でいつも一人で寂しかったから、長い時間私といたかったのか、もう長い散歩は出来ないと思ったのか・・・いつもの散歩のはずなのに、私もその日の散歩のことは、ここではこうしたねとか・・・こっちではこうだったねって、はっきり覚えています(毎日の通勤に使う道です)。
くーちゃんは、私にとって最初で最後のワンちゃんです。
ありがとうね、くーちゃん♥
またね、くーちゃん♥
50代以上 男性 大正
5歳の時に、脊髄軟化症(生存率 数%)になり下半身麻痺で、排泄も圧迫排尿と肛門刺激で排便。
出掛けるときは車椅子でした。
それから10年弱生きてきました。
今年のお盆に・・・
私は会社で、ワンコにいつものように『行ってくるね』と声を掛けました。
これが最後の元気な姿でした。
家族の話では
夕方4時頃に、かみさんが晩ご飯の支度で鶏肉を茹でていました。
ワンコは、鶏肉が欲しいからワンワン吠えてたそうです。
熱いから冷めてからあげようとワンコの皿に分けて置いて・・・
10分後位にワンコがキャンキャンと数回鳴き走るように前足をバタバタして目はもう動かない・・・
慌てて救急動物病院に行きました。
エコー検査で腹部を診たら、膵臓辺りに腫瘍があって破裂したのではないかとの説明。現に、お腹に水が溜まってる感じでらしく抜いたら真っ赤な血が混ざってたらしく、年齢的にも手術はリスクが高い。もう意識がない状態でした。
手当をするとしたら、輸血して酸素マスクをして様子を見るだけとか・・・
そのまま家で看取る事に・・・
会社を早退して家に着いたときは、かなり呼吸も弱かったです。
家族3人で見守る中、夜の7時45分に息を引取りました。
家族皆、大泣きでした。
1ヶ月過ぎてもまだひきずってます。
そういえば、絨毯を舐めていたな・・・
止めさせようとしても止めなかった。
やはり、体調に異変がきてたんだなとこの記事で思いました。
父母が亡くなってお経と般若心経を覚えたので毎日ワンコに唱えてます。
楽しい想い出をたくさんくれて感謝する毎日です。
以前、かみさんが『私達夫婦、ワンコが居なかったら終わってたかもね』って・・・
ワンコに感謝です。
50代以上 女性 わん
50代以上 女性 ねね
7月に亡くしたダックスフンドは14才、12才終わりから散歩は行きたいけど歩きたくないと、抱っこ袋に入れ途中に歩かせるという生活。亡くなる半年前から入退院を繰り返し、夜間救急に駆け込んだり最後の入院は「家で最後を」と退院。でも、奇跡的に復活!でも2ヶ月後に亡くなりました。多臓器不全でした!最後は寝たきりだったのに私の前に来てチョコント座り抱き上げたら、私の腕の中で果てました。
その2ヶ月後ゴールデンが亡くなりました。約五年癌との戦いでした。2回の手術と水を抜く為の局部麻酔での切開(とてもいい子で大人しくしていました)抗がん剤などの治療、亡くなる半年前から後ろ足が脆くなり、2ヶ月前から歩けなくなり食欲もなくなりました。食事は砕いて注射器で流し込み、食事が出来なくなってからはお医者さんに皮下点滴を教わり自宅療養。大変でしたが人間のエゴかもしれませんが生きてほしかったから頑張ったというより頑張らせたのかなと思ってしまうのも事実です。13才8ヶ月でした。
50代以上 女性 みこちゃん
30代 女性 なつか
随分おじいちゃんだったのに、若々しいきりっとした顔で年齢を感じさせないきれいな子でした。
少し寝る時間が長くなったな…そろそろかな
そうおもっていたけど、あっさりとその日は来ました。
連休初日、夫と息子と私に囲まれ撫でられながら旅立ちました。
今思うと信じられないような出来事ですが
亡くなる10分前私の前に来てお座りをし
大きく目を見開き目元を濡らしていました
私は、あ…………これは
そう思い夫と息子とをお風呂から呼び戻しました。
彼は私に最後のお別れをいいにきてくれたのです。
最後まで忠犬でした。
結婚生活のほぼすべてを共にすごし息子が産まれてからは兄弟として遊んでくれました。
とてつもない喪失感と共に愛しい日々が甦ります。
ありがとうエドワード
あなたはかけがえのない家族、親友、我が子です。
あなたの、生きていたことをここに残したいと思い書き込ませていただきました。
40代 女性 こーちゃんママ
6月頃から多飲多尿で、ご飯を食べなかったりすることも増え、また後ろ足が不安定になってきてるのが気になりだしてました。
それでも自分の足で歩いて、トイレは必ず所定の場所まで行きシートの上でしてくれてました。
年齢的なことや見た目にもなんとなく最後が近づいて来てる気はしてるものの、まさかこんな急にその日が来るなんて思いもしてなくて。
金曜日までお庭で散歩もしたりしてたのに、土曜日の朝、飲んだ水を吐き出し、ヨダレをだしていたので気になり獣医さんに連れて行ったところ、脱水してるとのこと、病院では下痢と嘔吐をしていた為、愛犬は生まれて初めての入院となりました。薬が効いて様子が落ち着いたので日曜日の夕方に家に連れて帰ってきて、ウンチがついた足をお風呂場で綺麗にしてりしてあげた9時間後に激しい痙攣をして私達が体をさすりながら旅立ちました。
一言もワンとも泣かずに。
大好きだよ
ありがとう
またね
の私たち夫婦の声に3回とも大きくウンとうなづいてくれた息子。
子供のいない私達にとって彼は息子でした。何をするにも彼が1番できた私達。
かけがえのない命の旅立ちに、涙が止まることなく溢れて仕方がありません。
結婚して一度も泣いた姿を見たことがない主人が泣いてました。切ないです。
あなたがいるなら、この世を去る日も笑顔で迎えられそうです。
必ず虹の橋のたもとで待っていてね。
ありがとう、大好きだよ、またきっと会おうね、こーしゃん。
40代 女性 匿名
可愛いとばかり思っていたけど、老いてゆく姿に敬意さえ感じるようになりました。
最後までしっかりしていて、でもアンコに目がないという、面白い美人さんでした。
あなたには本当にお世話になりました。
沢山の勉強をさせてもらいました。
ありがとう。
いつか、また会いたいよ。
50代以上 女性 ハム
うんち、おしっこ、家の中には排泄なし、自慢の子でした。1ヶ月前頃から色々餌変え、チュウブでやっと、昨日は口開けなくなりました。早朝は、体温冷たくて、オムツにどっさり便、びっしょりのオシッコ、最後でした。私に抱かれ幸せだったと思います。
50代以上 男性 よっしー0612
クリスマスまではペットのケーキも食べれる状態でしたが、最後の3日間は自分からは食べないで、いつもシリンジでご飯を与えてました。夜は、鼻が乾くのでワセリンを塗ってましたし、横で寝てました。亡くなった当日は私は仕事でしたが、その時、ここ数日声を出さなかったのに2回私が抱っこした時に声を出しました。
妻の話では、私が玄関を出たら横になり寝てたが、眠るように亡くなったと言われました。最後まで仕事に行く前の見送りをしてくれたと思うと今でも涙が出てきます。
ただ、いつまでも悲しんでいると、ハナちゃんが虹の橋を渡れないので、私自身元気になろうと思ってます。
40代 女性 のんたまる
亡くなる5日ほど前から食欲もなく毎日食べていたおやつも食べなくなり心配になって病院に連れて行くと、悪性の腫瘍がありいつ亡くなってもおかしくない状態だと告げられました。
出来る事を最大限にしてあげたいと思った私は血液の点滴をしたり痛み止めを打ったり少しでも痛みが緩和されればと…
点滴中のわんこの目は確かにうつろでした。私がそばにいるのは何となくわかっているような…でもちゃんと目が合わない気がする。うちの犬は老犬でしたが具合が悪くなる前まではちゃんとみえてました。
もう先が長くないなら毎日通院するから連れて帰りたいと病院の先生に伝えたところ、「私もそれがいいと思います。」と言われた。
1日だけ入院させ連れて帰り夜一緒に寝ました。
私の腕の中でその日息を引き取りました。
トイレだけは粗相しないわんこでしたが、おしっこと便が垂れ流し状態になっていました。
辛そうな中何度も立ち上がろうとしトイレに行こうとしていた愛犬。最後までよく出来たわんこでした。
「ありがとう。これからもずっと大好きです」
50代以上 女性 そら
急に立てなくなったその翌日の朝、朝ご飯は少し受け付け無さそうに見えたが完食しその後、部屋の中をしっかりした足取りで歩いてました。その時、私がいつもと違う行動に気づいていたらと...後悔していると共に あと、もっと早くいろんな事を知るべきだったと思います
50代以上 女性 こはる
2019年1月2ndオピニオンで原因不明との事
2次医療センターで、胃上部と肝臓の境目に
胃腺癌が出来ていて、リンパにも転移、余命3か月との宣告
3rdオピニオンで、分子標的療養薬 パラディアでの治療を
紹介されるも、副作用で下痢、嘔吐、下血等書いてあり
普段でも、下痢気味、嘔吐が有るので、多分この薬は
体力が持たない、苦しみを伴う延命治療に悩んで、このまま看取る事に決めました
好きな牛肉赤身の細切れとカステラという我儘な食事になりました。
自力で食べてくれると喜び、吐くと落ち込む
私自身が、お腹が空いても、食事も喉を通らない
そんな、介護の日々を送っています。
まだ、最後の看取り瞬間のの覚悟が出来ておらず
みなさんの、書き込みを泣きながら読ませて頂いています。
ぎゅっと抱きしめられる内に、宝物を抱きしめておきます。
限られた残りの愛しい日々、寄り添って生きます。
50代以上 男性 ビーグル大好き
30代 女性 匿名
15歳6ヶ月、ミニチュアダックスフンドの可愛い長女です。
4月4日に慢性腎不全と診断されてから、急な下り坂を転げ落ちるように悪化しました。ほんの1ヶ月半前はめちゃくちゃ元気だったのに…
毎日皮下点滴しておりましたが、5月に入ってからご飯を食べなくなり、それでも鶏むね肉とボーロだけは食べてました。それも長続きせず、ここ1週間以上何も食べれてません。水を飲んでも吐く、何も食べてないのに何回も夜通しタール便。正直見ていられません。肛門も閉じなくなってきたので、昨日から皮下点滴やめて、家でゆっくりしています。本当に壮絶です。何度も覚悟しましたが、まだ頑張っています。もう頑張らなくていいよって声かけてますが、本人は頑張りたいようなのでしっかりと看取ります。
独身時代から苦楽を共にした長女。可愛い可愛い長女。本当に大好き。一生私と生きてて欲しい。いかないでほしい。でも早く楽になって欲しい。
感情がごちゃごちゃで、どうしたら良いかわかりません…辛いです。
40代 男性 あれ、おらんで。
二匹とも目も見えんようになったし、鼻も耳もダメになっていて、移動するときはクルクル回りながら移動していました。
死ぬ姿見られとうなかったんか、死ぬ時くらいは勝手にさせてくれと思うたんかは知りません。
40代 男性 ショコのパパ
50代以上 女性 匿名
16歳の誕生日まであと2週間でした。
亡くなる1年半前に突然の嘔吐でぐったりし病院へ行き、検査の結果、お腹の腫瘍で1週間持たないと言われショックでした。
ついさっきまで元気に遊んでいたのにとでも樹里は先生も驚く回復力で復活してくれました。
激しい運動は避ける様言われましたが、私は自由に遊ばせる事にし、公園でも走ったりしてとても楽しそうでした。
2回目に倒れた時は夜間で救急病院へ。
3㎏の小さな体、肝臓全体が腫瘍でいっぱいになっていて朝まで持たないだろうと。
いつかこの日が来るのはわかっていたのに…
主人と家に連れて帰りそれから1週間水しか飲めない状況で樹里は頑張ってくれました。
痛みに耐えてひゅんひゅんと泣きながら。
最期は呼吸も不安定になり獣医さんと相談して
安楽死を選びました
私と主人の腕の中で静かに旅立った我が子
薬を入れた瞬間、目の光が消えた…忘れられないです。
骨になってしまいましたが、今はリビングで見守ってくれています。
一緒に迎えるはずだったお誕生日のケーキ、食べてくれたかなぁ
樹里ちゃん幸せな時間をありがとう
30代 女性 永川千夏
10代 女性 匿名
40代 男性 かっちゃん
3日前から食事をとらず、昨日は息ぐるしく呼吸をしていました。
でも昨日は、最後の力を振り絞って大好きな散歩に行けました。
本当にありがとう、お疲れ様、リリィ絶対に忘れないよ。
50代以上 女性 みるきー
それからかかりつけ医で検査し慢性腎臓病と肺炎という診断で尿道結石もあって大学病院にも入院したけれど血中酸素濃度が低いため手術はできませんと。酸素室レンタルして内科治療の日々の中だんだん弱っていくぴゅあを見るのは辛すぎました。亡くなる3日前からご飯も薬も受け付けなくなり、点滴するために毎日病院へ。病院の順番を待っている間に私の腕の中できゅぅぅんとひと声泣いてぐったりしたから慌てて獣医師さんの元へ駆け込み最後の救急処置をしてくださりましたが旅立っていきました。よく頑張った‼️悲しみはまだまだ消えないけれどぴゅあに愛された事も死ぬまで消えないからね。大好きだよぴゅあ‼️
50代以上 女性 M
4年間介護しました。添い寝は言うまでもなく、手作り流動食、歩行サポートの道具も作りました。若いころはトリマーさんまかせにしていた、シャンプーも爪切りも、お耳掃除も、きちんと家で家族でできました。老犬でも、きれいなおじいちゃん犬でいてほしかった。2時間寝て、2時間起きてを繰り返していました。どんな状態でも、すっごくかわいい愛犬でした。コロナのおかげで在宅勤務が出来たのも介護ができた要因で、ありがたかったです。家族みんなで支えました。大変かと言われると、そうかもしれませんが、大丈夫。お世話できます。
「お世話させてもらった。出来るだけやり尽くした」思いがあります。達成感もありますが、それでもまだ、お世話したい気持ちが残っています。幸せをありがとう、クウちゃん。大好き。