犬公方と呼ばれた「徳川綱吉」とは
徳川綱吉(1646年(正保3年)~1709年(宝永6年))は、江戸幕府の第5代将軍です。
綱吉は3代将軍徳川家光の四男として1646年に江戸城に誕生し、1680年に将軍に就任し、亡くなるまでの29年間将軍として君臨していました。
「生類憐みの令」で知られ、「犬公方」とも呼ばれていましたが、その実、儒学に精通し様々な改革を行った事もあり、学問においても優秀な将軍であったと言われています。
綱吉は、それまでの戦国時代の殺伐した気風を排除して徳を重んじる文治政治を推進しました。
1680年に将軍に就任すると、先代第4代将軍である家綱の時代から一変し、綱紀粛正を行い、次々と大名家が処罰を受け、代官の不正すらも許さず、信賞必罰で政治を行いました。
その中の功績として、勘定吟味役という役所を創立し、厳しく幕府の財政や代官等の不正行為等をチェックしました。
また、綱吉は父である第3代将軍家光に儒学の教えを叩きこまれていたため、歴代将軍の中で最も尊皇心が厚かった将軍としても知られています。そして将軍が儒学を重んじた為、この時代に儒学が隆盛を極めましたといいます。
また、綱吉が学問に強く念頭を置いていたかが良く分かるエピソードの1つとして、儒学の振興の為に「湯島聖堂」を建立があります。江戸時代には学問所として使用され、後に「学校教育発祥の地」として、今も多くの学生や受験生が集まるパワースポットとして有名になっています。
このように、綱吉は決して高い評価がある将軍ではありませんが、前半の治世は基本的に善政といわれ、天和の治とも称されるほど優秀な将軍だったそうです。
しかし、ほどなくして転換期が来ます。時は1684年、大老・堀田正俊が殺害された事がきっかけでした。
堀田正俊が殺害されると、それ以降は大老を設置せずに側用人・牧野成貞、柳沢吉保らを重用し、老中等を遠ざけるようになり、これ以降は悪政になったといわれています。
犬将軍「徳川綱吉」と犬食文化の関係
徳川綱吉が行った事柄の中でも、現在の日本にも関わってくる問題としては犬食文化の駆逐があります。
今の日本では犬を食べるという習慣はほとんど聞きませんが、犬の食肉文化はアジアや南太平洋の農耕社会では珍しい事ではなく、日本でもかつては存在していました。
完全ではないが、ある程度犬食を駆逐したのが犬公方・綱吉の時代といわれます。
現在でも中国や韓国では犬食文化があるといわれていますが、日本ではほとんどありません。
徳川綱吉が発布した「生類憐みの令」とは
犬公方が行った政策で良くも悪くも有名なのが生類憐みの令です。
天下の悪法と呼ばれる事がある生類憐みの令は1つのお触れではなく、135回も出された複数のお触れの総称で1685年に最初の生類憐みの令が出されました。(135回もお触れが出された理由は、単純にこれらが守られなかったため)
生類憐みの令は24年間で処罰されたのはわずか69件だけで、守られたのは犬だけでなく、猫・鳥類・魚類・貝類・虫類等にまで及びました。
また、生類憐みの令の本来の目的は、犬を含めた動物を守る為のお触れではなく、当時横行した「捨て子への対策」といわれます。
綱吉は後継ぎがない事を憂い、綱吉の母である桂昌院が寵愛していた隆光僧正の勧めで出したといわれ、他にも長寿祈祷の為という説もあります。
当初は殺生を慎めという精神論的法令でしたが、違反者が減らなかった為に御犬毛付帳制度を作り、現在まで続く犬を登録制度にして、犬目付職を設けて犬への虐待が取り締まられました。
そして、武蔵国喜多見村、四谷、大久保、中野には、野良犬を保護する施設(現在の動物保護施設のような物)を作りました。特に中野では10万匹の野良犬を収容できる大規模な施設で、保護した犬達を手厚く扱ったそうです。
そして1687年には、当初は禁止されていなかった、「殺生を禁止する法令」を制定され、更に1696年には犬虐待の密告者に賞金が支払われる事になり、単なる精神論から監視社会となり、悪法として一般庶民からの不満が高まりました。
但し、江戸などの中心部とは違い、地方ではあまり厳重に運用されませんでした。
綱吉が亡くなると、多くの規制が順次廃止された。
しかし、「牛馬の遺棄の禁止」「捨て子や病人の保護等」は継続して行われ、その後も善政として残って行ったそうです。
まとめ
犬公方、徳川綱吉が行った政策はあまり評価されていませんでしたが、最近になって少しずつですが見直されつつあります。
犬に関して言えば、「犬食文化の駆逐」や「犬の登録制度」など、現在にも続く制度を整備したという点では、もっと評価をされてもいい人物といえるかもしれませんね。
ユーザーのコメント
20代 女性 しずえ
20代 女性 きぃ
20代 女性 ゆり
日本以外の犬食文化は今衰退傾向にありますが、今も行われていることは事実。
世界中の歴史人物に綱吉のようなトップがいればなかったでしょうに…
現代にもし綱吉がいたら、動物保護活動のトップになっているにちがいありません!
日本での保護活動をもっと広めようとしてくれることでしょう。
私たちが現代の綱吉にならなくては!
40代 女性 さくら
30代 女性 asami
犬の保護シェルターや犬の登録制度は、今現在も残されていることですよね。徳川綱吉の功績は、余り知られてはいませんが、実は、現在に繋がる凄いことなんです。徳川綱吉が将軍職についたことで、今のわんこさんたちが、幸せに毎日を送れる様になったといっても過言ではないとおもいます。
40代 女性 ぱん
目的は捨て子への対策だったなんて、私は徳川綱吉が犬が好きで犬を守るためだけかと思っていました。
その時代は戦国の気風が残っていたようで、病人や牛馬などを山野に捨てたり、旅先の宿で旅人が病気になると病人を追い出したり、見捨てたりするといったことが普通に行われていたそうです。
もしもこの生類憐みの令が出されなければ、その後も病人や捨て子、動物を捨てるの習慣は改善されることはなかったでしょう。この生き物に対する精神はいまでも私たちに残っていると思います。
現在も中国などでは犬を食べている地区がありますが、日本ではこの徳川綱吉がいたからこそ、無いのかもしれません。綱吉がいるからこそ今の私たちがあるのは嬉しいことです。
30代 男性 悟空
しかし、綱吉公が行き過ぎた部分はあるにせよ、憐みの心を持って定めた法であったり、武士社会に残る殺伐した気風を排除して徳を重んじる方向転換をはかったことは、後の江戸時代だけでなく、現代に至るまで良い影響を残している部分があるのではないだろうか。ひとりで大きな事をなし得ることは難しいが、小さな存在でも、意見や考えを持ち実行するだけで何らかの流れを生むことはできるだろう。まずは、目の前の愛犬を精一杯、愛情を持って育てたいと思う。
10代 女性 歴女
私は歴史が大好きで、小学校のころから綱吉公のことに興味を持っていました。高校生になり、再び 綱吉公のことを学ぶと これまでに見えなかった視点で綱吉公のことをみつめることができました。
捨て子の対策 などをたてた綱吉公は 慕われるべきだと思います。また、日本で犬食を駆逐できたのは、まさしく綱吉公のおかげであると思います。
生きているものを大切にするということは とても良いことでしっかりと守るべきものだと思います。
生類憐みの令… できれば復活していただきたいです。
女性 ゴン吉
記事を読んで、日本での犬食文化が無くなってよかったと心から思いました。うちで赤毛の犬を屋外飼育していたのですが、海外の方が愛犬の姿を見た時に片言で「アノ犬、赤毛だからオイシイヨ!」と言われ、血の気が引いたのを覚えています。今でも普通にあるんですね。
生類憐みの令は犬だとばかり思っていましたが、実際は人間の生活に近い場所にいる動物も含まれていたのですね。鳥や魚、貝類は食糧としての位置もあったはずなので、厳しいところもあったでしょうね。
野良犬を保護して手厚く扱う姿は、今の保護犬にも同じものを感じます。流れは違いますが、似たようなことがずっと改善されずに続いてしまっていることに、学んでいないなと思う部分がありました。
現代版の生類憐みの令があったらいいのに、とも思いました。
20代 女性 ラッキー
40代 女性 はる
女性 もふころ
野良犬を収容する施設、それも手厚く保護するためというのは現代にも必要ですね。現代のように殺処分を行うための場所は保護施設とは思えません。
保護ボランティアさんにも限界があるので、もっと大きな団体で運営できる制度ができればいいのにと思いました。
30代 女性 ラブ
動物だけでなく 綱吉は捨て子、妊婦、病人の保護
盲人の鍼技術取得など福祉政策に優れた人でした。
江戸時代にこういう将軍が現れたのは面白いですね