ペットロス症候群のチェックリスト
□ 体の疲労感が抜けない
□ 体に不調が起きている(頭痛・腹痛 など)
□ 空腹なのに食欲が出ない
□ 食べ過ぎる(満足感がない)
□ 何をするにもやる気が起きない
□ 何に対しても興味がわかない
□ 楽しみや喜びが感じられない
□ 孤独感や不安感が強い
□ 気がつくと後悔の念が浮かび、
自分を責めてばかりいる
□ ペットの死に関わった人たちが許せず、
いつまでも責めている
□ 視界の端に亡くなったペットが見えたり、
声が聞こえたような気がする
□ 予兆もなく突然、悲しくなり
涙があふれてくる
あなたはいくつの項目が該当しましたか?実は、人によって症状の現れ方は様々なので、あてはまる項目の多い・少ないは、あまり関係ありません。チェックした項目が少なくても、症状が重いようであればペットロス症候群と認められます。
匿名 さん 女性 30代
つい先日、家族のデグーが虹の橋を渡りました。賢くて可愛くて、甘えん坊で、我が子の様に愛しく感じていたので、余りにも早いお別れに心が着いて行きません。
ほとんどのチェック項目に当てはまり、「ああ、そうか…これがペットロスなのか」と思いました。会いたいです。いつか前を向ける日が来るのか…今は後悔と喪失感でいっぱいです。
ペットロス症候群を克服する方法
辛いと思う気持ちを認める
ペットを亡くした直後は難しいかもしれませんが、自分の心が今どんな状態にあるのか「気付く」ということは、心の回復において、とても大切なプロセスです。
気付いて初めて「ああ…」と納得し、悲しみもまた自然なこととして受け入れることができるようになるのです。その意味で、悲しみに溺れそうになった時には、「自分は悲しいのだ」「今の自分が陥っている状態はペットロスなのだ」と認めてしまいましょう。
症状の軽い、重いは関係ありません。どうであれ、悲しいものは悲しいのです。泣きたければ泣けばいいですし、誰かに話を聞いてもらえるなら、聞いてもらうことです。
認めたからといって悲しみが消えることはなくても、少しだけその感情から距離を置き「悲しむ自分」を客観的に見てみることで、失ったものへの罪悪感や後悔など答えの出ない思考のループから、少しずつ悲しみが昇華されるほうへと心の道筋ができていくものです。
匿名 さん 女性 20代
6歳になったばかりの猫を亡くして5ヶ月経ちます。仕事や勉強に追われて寂しさや悲しみを誤魔化し続けていますが、ふとしたときに涙がとまらなくなります。克服しなければ…と焦ってこのサイトにたどり着きました。
涙が出る度に「焦りが更に長引かせているんだな」と実感します。悲しいものは悲しいと認め、たくさん泣いて、感謝の気持ちが上回るのを待っています。
空界 さん 女性 10代
私が飼っていたハムスターが先日亡くなりました。私自身、後悔したり、学校などでハムスターのことを思い出して泣いたり、辛くて早退したりもしました。ご飯も食べれずにいます。
しかし、ハムスターのことを友人や先生に言うと少し気持ちが楽になりました。まだ亡くなったばかりで実感がわかないのですが、やはり人に話すことも大事だと分かりました。
悲しみを癒す方法を試す
ペットロス症候群で悲しい・辛いという気持ちをなかなか他人や家族に話せないという人も多いでしょう。そういった時には、無理に誰かと共有しようとせず、悲しみを表現するための初めの1歩を、もっと簡単にしてみても良いのです。
- お別れしたペットに手紙を書く
(楽しかったね、頑張ったね、寂しい などの素直な気持ち) - メモリアルグッズを作る
(位牌やアルバム、キーホルダーなど) - 泣きたいと思ったら、ペットを想いながら思いっきり泣く
「四十九日」などの考え方があるように、区切りを意識しながらペットに手紙を出してみたり、ペットの遺毛や写真を使ってグッズを作るのも良いですね。何より1人でいる時くらいは、我慢せず悲しみを表現することも大切です。
ペットロス症候群はなぜ起きるのか
ペットを失った後の精神状態…多くの人が、ペットを失ったその直後から後悔と喪失感によるペットロス症候群に苛まれ始めます。
あらゆることが後悔に
人は、自らが「果たしたこと」よりも「果たせなかったこと」のほうがより思考に影響を与えると言われていますが、ペットを失ったことそのものが「果たせなかったこと」として、多くの後悔を生むに至ります。
ペットは自分で生活の質を決めることはできません。飼い主である私たちがその子に対する全ての責任を負っているからこそ、「自分がこれまでしてきた一つ一つの選択は本当にそれで良かったのだろうか」「もしかしたら誤った選択が愛犬の死を招いたのではないか」「少しでも楽にしてあげたいと施した治療が逆に苦しみを長引かせてしまったのではないか」と、自分を責めて罪悪感の虜になってしまうのです。
喪失感のつらさがで心が疲弊させる
後悔よりさらに辛いのが喪失感。例えどんなに小さな体でも、生きてそこにいるという存在感はとても大きなものです。
息づかいやにおい、体の温かさしなやかさ、それらが全て失われてしまった後、二度と触れることができないという現実は、時が経つほどに失った哀しみを強めていきます。
ペットロスを乗り越えるまでの流れ
ペットを失って悲しいのは当然のこと。多くの人が大なり小なりペットロスを経験しています。どん底の悲しみからの回復については、まず自分の心と体に起きた様々な変化を「ペットロス症候群」として、本人が認識できるかどうかにかかってくると言われています。
ドイツの精神科医、エリザベス・キューブラー・ロス博士が発表した「悲しみの5段階」というものがあります。博士の「悲しみの5段階」は、死を目前にした人がたどる心の変化を表していますが、ペットを失った人にも共通する部分があるのではないでしょうか。
博士の「悲しみの5段階」を参考に、ペットを亡くしてしまった時の悲しみから立ち直りまでの流れを考えてみましょう。
1段階「否認」
ペットの死を受け入れられず、その事実を否認する段階。まだ死んでなどいないのではないかと、泣きがらを火葬に伏す決心がつかないような状態。使っていたフードボウルや寝床、おもちゃなどを処分することができない。
2段階「怒り」
自らを責め、そして後悔が怒りとなる段階。「なぜもっと早く気付かなかったのか」「なぜ病気のあの子を置いて出かけてしまったのか」など自分への怒りや家族への怒り、「必要のない治療をしたのではないか、薬の処方が合っていなかったのではないか」と獣医師に対する疑念や怒りがわいて、ペットの死を「何か」あるいは「誰か」のせいにしたくなる。
3段階「取引」
悲しみの重さを何かに無理やり理由づけして和らげようとする心理が働く段階。見えない存在に「あの子を返してくれるなら何でもします」と願うなど。
4段階「抑うつ」
強い悲嘆がその他のポジティブな感情や意欲をすみに追いやり、ネガティブなことばかり考えてしまう段階。何事にもやる気が起きず、ただひたすらに気持ちが落ち込む時期。
5段階「受容」
時の経過に従い悲しみのリアルさが薄れて行き、徐々にその事実を受け入れて行く段階。まだ悲しみは感じるが、「もうあの子はラクになったのだから」「今頃は虹の橋を渡り切っただろうか」と死を前向きにとらえることができるようになり、徐々にかつての日常のペースを取り戻して行く。
立ち直るまでの期間や重症度を左右する要因
ペットロス症候群の程度や回復に至るまでの期間は、その人自身の性格やペットとのこれまでの関係、亡くなった時の状況も大きく関わってきます。
ペットとの関係性や深い絆
ショックなことを引きずりやすい人や悲観的になりがちな人、また、ペットを人間の赤ちゃん同様に可愛がり、擬人化した関わり方をしがちな人は、それだけ失った衝撃も大きく、また回復にも時間がかかりがちです。
同居していた家族の中でも、そのペットにどれだけ思いを寄せていたかによって、ペットロス症候群の現れ方や長引き方にも差が出ることがあります。思いを込めた分だけその反動が大きいのです。
心残りのない看取り方ができたかどうか
突然の死であれ、闘病の末であれ、また天寿を全うした結果であったとしても、後悔は少なからず訪れるものです。たとえ覚悟していたペットの死であっても、喪った直後から「満足のいくお別れの仕方だった」と納得できる人は少ないでしょう。
中でも、事故や病気が急変した場合や、看取りたいと思った場所やタイミングでお別れができなかった場合などは、ペットロス症候群が長引くことも多いです。自分の心や体にどれだけの負担がかかっているのかを、客観的にチェックしてみましょう。
家族や友人がペットロス症候群になってしまったら
もし、家族や友人がペットロス症候群になっているようであれば、周囲のみんなで癒しの輪を作ってあげることが大切です。
「話したければいつでも聞くよ」「何も言わなくても良いよ。そばにいるよ」と、ぜひ伝えてあげてください。
ただし、周りの人の不用意な言葉かけや対応が、ペットロス症候群で辛い思いをしている人を傷つけてしまうこともあるという点には注意しましょう。
「そろそろ忘れなよ。泣くのを止めよう」「新しい子を迎えよう」など、気持ちが追いついていない時にそう言われると、ますます状況が悪化してしまいかねません。
また、ペットとお別れした直後は葬儀や手続きでバタバタしてしまい、そのペットと最も絆が深かった家族に異変が起きていることに意外と気づけないこともあります。
ショックでご飯を食べていなかった、眠ることができていなかったなど、ペットロス症候群の前兆とも言える状態になっていることがあるため、家族みんなでその家族を気にかけておくことが必要です。
辻本由香子
ペットロスは、時に心療内科等が必要になるほど重症化することがあります。同じ意見に同意する必要はありませんが、出来る限り「聞き手」に徹してあげるのは大切です。
仮に思う所があっても、家族や友人に十分時間をかけて接し、否定ではなく共感してあげることで、次第に気持ちが整理されて行くと思います。
ペットロスを乗り越えた「きっかけ」
ここでは、ペットロスを乗り越えた人たち、または立ち直る「きっかけ」を見つけた人たちのコメントをご紹介します。
ケロちゃん さん 女性 30代
私は約5年間ペットロスに悩まされました…16年半一緒に居た愛犬が亡くなってから、頭の中で自分に対して責めてばかりいました。ですが、新しい子を迎えてから前向き考えることができるようになりました。
ペットロスを克服できたのは、今の愛犬のお陰だと思います。もし、今の愛犬が居なければずっとメソメソしてたと思います。昔の愛犬も今の愛犬も、そして「今」も大好きです!
おはぎちゃん さん 女性 30代
私も前に飼っていた子を亡くし、かなりのペットロスに陥りました。看病で付きっきりな生活だったので、突然居なくなってしまった虚無感「心にポッカリ穴があいた」とはこういう事なのだと思いました。「悲しみの5段階」も経験し、抜け出すまで長かったです。
私の場合、今の子を迎えてから、ようやくペットロスを抜け出せました。それまでは「もうこんな辛い思いするならペットなんて飼わない」って思ってたのですが…。
ペットロスから抜け出す方法は、人それぞれでどれが正解とかはありません。でもいつか、今まで私たちを癒し愛してくれた子たちへの感謝が悲しみを上回り、乗り越えられる時が必ず来ます。
匿名 さん 男性 20代
愛犬を亡くした事で母がペットロスになりました。母も私も「ペットロス」というものがある事を知らず、また私もペットを失ったショックから気が動転して、ただただ戸惑うばかりでした。母は強い人だと思っていましたが、ここまで感情的になってしまうものかと驚いたことを覚えています。
この記事を母に読ませましたが、落ち着きを取り戻したように感じます。そして私自身も心が楽になり、立ち直るきっかけになりました。
ネオメンママ さん 女性 40代
初めての愛犬(長男)が、2年前に亡くなりました。この子がいなくなったら生きていけないと思うほど依存していたので、周りからは「万が一のことがあれば、すぐに次男を迎えた方が良い」とさえ言われていました。悲しみに浸りながらも、すぐに次男を迎えました。
ですが、未だに泣き、悲しみに襲われます。そんな時、次男が「母ちゃん僕がいるよ」って言ってくれてる気がして「長男にしてやれなかったことを全部してあげよう!」と奮起できてます。
長男のお骨はまだ家にいます。「毎日ありがとうね」とおやすみを言います。
まとめ
ペットロス症候群になることは、決して珍しいことではありません。きっと、大事な家族とお別れをした人は、多かれ少なかれチェックリストの中に当てはまるものがあったのではないでしょうか。
もしも今、愛するペットとのお別れに備えていて不安だという人がいれば、「してあげたいことリスト」や「看取り方」を家族と話し合い、ペットの終活をゆっくり始めてみるのも1つの方法です。
ペットロス症候群に陥るのは、気持ちの切り替えが上手でないからではなく、「愛するペットとの絆を確かめる時間」が必要だと心や体が訴えている証拠です。やがてはその悲しみが薄れて行きますが、それにに罪悪感を覚えなくて良いのです。それは、ペットとの絆を十分振り返ることができたタイミングなのだと考えてみましょう。
ペットの死も悲しみも、そしてその悲しみが癒えることも、すべては自然のあるがまま…なのです。つらい時には「ごめんね」の代わりに「ありがとう」の言葉を繰り返してみてください。
ユーザーのコメント
30代 女性 おはぎ
後悔や悲しみを長く引きずるか、今までの事を感謝し思い出として昇華してあげられるか…人それぞれでペットロス状態の期間が長ければいいとか短ければいいとかそういう問題でもなく。
私自身も、前に飼っていた子を亡くしかなりのペットロスに陥りました。
完治しない病気を患っていたので、治してあげられなかった後悔と看病で付きっきりな生活だったので突然居なくなってしまった虚無感、「心にポッカリ穴があいた」とはこういう事なのだと思いました。
当時の状態は、このチェックリストにほとんど当てはまります。「悲しみの5段階」も経験し、抜け出すまで長かったです。
私の場合、今の子を迎えてからようやくペットロスを抜け出せました。それまでは「もうこんな辛い思いするならペットなんて飼わない」って思ってたのですが…
ペットロスから抜け出す方法は、人それぞれでどれが正解とかはありません。でもいつか、今まで私たちを癒し愛してくれた子たちへの感謝が悲しみを上回り、乗り越えられる時が必ず来ます。
30代 女性 ケロちゃん
16年半一緒に居た愛犬が亡くなってから、1人で居る時や、ふとした時にポロポロ涙が出てきて、頭の中で自分に対して責めてばかりいました。夢にまで愛犬が出てきて寝ながら泣いていたりもしました。
ペットロスを克服出来たのは今の愛犬のお陰だと思います。飼うと決めるまでは色々大変でしたが、いざ飼ってみたら昔の愛犬のことを思い出すことが多くなりました。思い出す場面も、愛犬が赤ちゃんの頃や元気いっぱいの頃で「あの子は幸せだったなぁ」と素直に思えるようになりました。今の愛犬が居なければ、今頃もメソメソしてたと思います。昔の愛犬も今の愛犬も、今も大好きです。
40代 女性 匿名
3年間、慢性腎不全と闘ってました。
亡くなる当日、一緒に寝ていたのですが、ベッドマットと壁の間に挟まってる所を発見して引き上げた時には虫の息でした。
「起きてー!!」と絶叫して息を吹き返したけど、数分後息を引き取りました・・・
あの時どうして気が付かなかったのかが未だに後悔の嵐です。
今もあの光景が目に焼き付いてます。
翌日、ペット霊園で火葬をしたのですが受け入れられず、泣きながら骨壺に骨を入れました。
今もひょっこり出て来るんじゃないのかな?とか思ってしまいます。
周囲は「泣いてばかりいたら天国に行けない」「笑顔で送らないとダメ」とか言われます。
分かってはいるけど今は無理です。
何もする気力もわきません。
気が付いたら愛猫の写真をスマホで観てます。
他に犬と猫がいるのに。
そのペット達を大切にしないとダメなのに。
今は、ペットロスの真っ最中です。
女性 ランラン、ママより
女性 ランラン、ママより
女性 キララママ
私がもっと早く気付いてあげれたらとか後悔ばかりです。
毎日、私達家族を元気にしてくれて、笑わせてくれたキララ。
死を受け入れられないけど、火葬してあげて骨も持って帰って来ました。
今でも家のどこかに居るようで、胸の苦しみが取れません。
まわりには、泣いてばかりいたらダメって言われるけど、突然に涙が止まらなくて
たまらなく不安になります、もう1匹のシェリもいるから、キララの分もシェリを可愛いがってあげてと言われるけど。
2匹居るのが当たり前みたいになって
毎日、2匹を見て可愛いって思ってたので
心に穴があいたみたいで、毎日苦しいです。
40代 女性 みぃ
20代 女性 ゆうき
ラッキーが必ず家にいた安心感を前提に生活していたんだということに気づかされました。ペットとか動物とかそういうのではなく、家族同然の存在で、言葉で分かり合えないからこそ、言葉以上のもので通じ合っていたんだと思いました。最期の日も、私が散歩の紐を取り出すと、さっきまでぐったりしていたのにムクッと立ち上がって私に近づいてきました。最期の日も、大好きな散歩に行けてよかった。
ラッキーはずっとずーっと、私の弟だよ。
男性 ダボダボパパ
女性 匿名
6月に旅立った子の心の整理がつかないうちに2匹目の子の闘病生活が始まり2匹目の子の方が重病で治療してもらい始めて2週間で旅立ったしまいました。1度に2匹の愛猫を失い只今、ペットロス真っ只中で、近くに話を聞いてくれる人もいなくて毎日辛い日々で毎晩、睡眠導入剤を飲んで寝てあまりにもどうしようもないときは精神安定剤を飲まないと居られない日々を送っています。 よくペットロスには新しい家族(ペット)と生活をすれば改善されると聞きますが我が家には今現在14匹の愛猫がいるのでまた新たに家族を迎える事が出来ないので、やっぱり毎日の同じ生活で旅立ったしまった子の事を思い出してしまい傷心の日々を送っています。気分転換をしに行こうとか外食をしに行こうという気持ちにもなれないのでなかなかペットロスから抜けられそうもありません…。 どうしたら良いのか困っています。
10代 女性 匿名
先日体調が少し悪くなり、病院で全身を検査してもらいました。
検査した結果、異常は何もなく、体の中の全てがキレイで体内年齢が、5歳ぐらいだと言われ、14歳だとは思えないと褒めていただきました。
それでも、最近たまにふらついたり、壁をじっと見つめていたり、鼻や目の効きが悪くなったりするなど、年齢を感じるようになりました。
体も更に小さくなり、今まで着ていた服がぶかぶかになって足がよく抜けていたので、昨日、ペットショップに小さめの暖かい服を買いに行きました。
そこで、ドックフードも買い、あと何回買いに来れるのかな…と思ってしまいました。
寝る前、布団に入った時もそんなことを考えてしまい、死んで欲しくない…と泣きながら寝てしまい、夢でも妹が死ぬ夢を見ました。
まだ、散歩でもぴょんぴょん走って元気ですが、ペットロスについて調べました。
本当に死んでしまったら立ち上がれなくなると思います。。
年齢のことも考えて心の準備していてもいざとなるとダメになりそうな気がしてこのサイトに来ました。
今の、元気な時間を大切に過ごしていきたいと思います。
20代 女性 匿名
1ヶ月前くらいに初期のヘルニアになり、実家で療養してもらってましたが急に動けなくなって口をパカパカしていたそうです。
駆けつけてから8時間ほどで旅立ちましたが、その間ずっとそばにいてあげられて良かったです。最期のときは抱きしめてあげられました。
あまり苦しまずに旅立てたのでよかったのですが、自宅に帰るとラムダと過ごしたリビングやいつも寝ていた場所を見ると、走って帰って来てくれそうに思います。
ふとした瞬間涙がポロポロってより号泣を繰り返してます。
まだ一緒に行きたい場所もあったし、ペットと行けるお店を見つけたばかりだったので…。
ペットロス真っ最中です。
30代 女性 匿名
愛犬の着てた服も捨てられずにいます。
店で買い物とかしてて犬のエサ売り場視界に入ると思い出し落ち込み、心に穴が空いたような苦しい毎日送ってます。
20代 女性 苺
温度管理を出来ていなかった自分を責めて1ヶ月立ちます
なかなか受け入れられなくペットロスを抜け出せないです
仕事にも日常生活にも支障でてます
家族にも相談しようと思っても出来ない日々が過ぎ
寝て醒めたら頭は後悔の念で埋め尽くされてます
なにをしてもハムスター殺したのにって頭が言ってるんです
楽しむことも出来なくて
気を抜いたらハムスターの死でマイナスの感情でたくさんです
無限のループって感じ
40代 女性 ハッティ
20代 女性 匿名
涙が出る度に、焦りが更に長引かせているんだな、と実感します。
悲しいものは悲しいと認め、沢山泣いて感謝の気持ちが上回るのを待っています。
10代 女性 ミ
さらに、13才という年齢もあり病院にいってから急激に元気がなくなった気がします。
薬で眠いのかもしれませんが、いつかいなくなっちゃうと考えて仕事中などふと悲しくなり涙しそうになります。
まだ生きているのになんでこんなに悲しくなるんだろうと自分でも不思議です。
母に怒られたとき、頑張りたいとき、すぐに愛犬のそばにいって元気づけてもらっています。
それがなくなるのだと考えると、とても悲しいです。
いつかいなくなっちゃうとは理解してるつもりですが出来てないのかもしれません。
そのときが来るまで、いっぱい愛してあげようと思いますが、少したつとまた悲しくなり、、、。でも、他のみなさんの投稿を読ませていただいて悲しくなるのは自分だけじゃないんだと思えました。
たくさん愛していこうと思います。
50代以上 女性 匿名
いろいろあって、どん底に落ちた時も支えてくれました。
本当に、同志のようでした。辛いことや悲しいこと、あの子が居たから乗り越えることが出来ました。
今、家族関係で抱えている辛いことをあの子なくして、乗り越えられるか自信がありません。あの子は、私ひとりでもちゃんとしなさいって言っていったのだと思います。でも、自信がないのです。
先日も、あの子がいたから心が収まっていた事が、爆発して主人と喧嘩してしまいました。
結局、何も解決していなかったことが表面化しているということなのですが。
乗り越えるには、相当の忍耐力が必要で、今、自信がないのです。
後悔のない毎日でしたが、自分を責めてもいませんが、
依存し過ぎた私たちは、どう軌道修正したらよいか、分からないのです。
女性 匿名
今月の11日に愛犬を亡くしたばかりです
はるか遠い異国の地から日本にきました
16歳と7ヶ月でこの世を去りました
すごく強い子で大きな病気を一度もしたことありませんでした
なので病院にいくことがほとんどなく、だいぶ年になってきたのと目に傷が入って結膜炎を起こしていたので病院に行きました
そしたら腎臓の数値が計器で計れないほど高く、末期だと言われました
昨日まで飛び跳ねて元気だったのに・・・突然こんなことになるなんて・・・
生前あまり相手にしなかったな、病院にはすぐ連れて行ったけどあまり遊んであげてなかったな、幸せだっただろうかと毎日毎朝寝て起きて思います
闘病生活は1ヵ月半でした
その間仕事を休みずっと付きっきりでいました
看病のためほとんど寝てなく1時間ウトウトしたその瞬間に逝ってしまいました
ハッとなって起きたら死んだばかりでまだ体はぽかぽかで体もぐにゃぐにゃ
今にも息しそうなくらいの状態で、、
1ヵ月半も私は何してたんだろうと後悔ばかりしています
腎臓病だったのだけど、最後に打った5種混合注射が原因だとネットで見て悲しくなりました
自分が殺したのだと・・・
1ヵ月半も付きっきりだったのにも関わらず最後は看取れなかった悔しさ
あまり相手にしてあげなかった16年
もう悲しさよりも、最後の二日間の愛犬の苦しそうにグッタリした顔ばかりが浮かんで後悔ばかりしています
本当に辛いです・・・
40代 女性 匿名
ペットロス真っ只中です。
15歳で悪性リンパ腫の治療中薬に負けて肝不全になってしまいました。最後は輸血が必要な状態になってしまい1度は輸血したんですが数日後には再度輸血が必要になってしまい。。自宅での点滴、2週間以上毎日採血、皮下出血しながらの皮下注射。。もう病院に来て針を刺すのも辛くなり2度目の輸血はしないで家に連れて帰って来ました。 治療をやめた後悔、輸血犬も探さなきゃいけない無力さ。。色々と考えさせられました。
でも終わってしまうと彼女が居なくなって自分が一番つらくなりました。。
苦痛がなくなって彼女が楽になれてればと願うばかりです。
30代 女性 こまつ
今はだたひたすらに悲しくて寂しいだけで、辛い気持ちを少しでも吐き出したくてこちらにたどり着きました。
長く時間がかかると思いますが、沢山思い出し沢山泣いて、ありがとう!死ぬまで愛してるよ!と伝えたいです。
50代以上 女性 こう
40代 男性 ゆき
1年経っても、ロスから抜け出すことができません。毎日、写真や動画を見てしまいます。そういえば数年前にスマホを買ったのは、愛犬の写真や動画を撮りたいからでした。
玄関のドアを開ければ顔を舐めてお迎えして、リラックスタイムにはヘソ天して、散歩の時は飼い主のペースに合わせて歩いて、知らない人にもかわいいって褒められて、自慢の自慢の愛犬でした。
亡くなった愛犬の代わりになってくれる相棒は、そう簡単に見つけられそうもありません。
40代 女性 モカちん
30代 女性 びび
4月26日にも亡くなりようやく五月に入って二日目。
6月末で17歳になると楽しみにしていたのに、突然亡くなりました。
亡くなる前の昼に、またねとおやつをあげて食べてから友人のうちに出かけ、早朝家族からの連絡で緊急病院にいきました。
午後三時半ごろ寝容態が急変。
家族が来るまでの間お願いして心臓マッサージを続けてもらい、午後四時半頃に家族に見守られながら、心臓マッサージをやめてもらい息を引き取りました。
最初の20分ほどして助からないならもうどうにもならないと言われながらも、願い通りに家族が来るまで心臓マッサージをしてもらいました。
多分心臓マッサージしてるスタッフさんは、亡くなってるのを知っていても最後の願いを聞くために形だけでも生きているようにして貰えたのかなと今考えたら感じる部分もあります。
後悔しないように色々して頂きました。
そういう部分では、少し後悔が軽い部分もあります。
亡くなった日の朝、もう意識もなく、呼吸も止まりそうに何度もなりながら搬送した時、かなり酷い脱水症状と血圧低下を起こしていました。
最後は脱水症状は回復し、脱水からくる血圧低下が回復せずに亡くなったのが直接の死因です。
脱水した原因が胃がんだったのは、搬送した日の昼過ぎに知りました。
最近下痢も多くていつも通ってる病院(緊急搬送した病院ではない)で薬はもらってました。
今思えば、色々予兆はあったと思います。
若い頃に雷が怖くて逃げ込んだ台所に続くフェンスを、登って台所に行こうとする。
(お腹痛かったんだろうな)
飲み水の容器に密着する位間近に頭を置き、そこで眠る。
眠る時間が増えておとなしくなってきた。
水飲みをひっくり返し、ドックフードが形を無くなった感じで水浸しになる。
(その時は解らなかったが、多分かなりひどく吐いていたと思う)
もう数ヶ月も老化が始まったのかなと家族と話してたので、後悔が沢山あります。
結局何が異常なのかもわからないまま見逃してしまったので、どこで見抜けたのかなと後悔で一杯です。
看取って貰った獣医さんは、胃がんの発見は難しいから仕方ないと言われました。
それでも数ヶ月辛い思いをさせてしまったなと思ってます。
そして、その子が残した子が落ち込んでいる姿も辛いです。
気休めにしかならないでしょうが、持ち直したとした場合の残った時間がどのくらいか。
解らなかったサインはこの場合はどこまで判断出来たのを、かかかりつけの獣医さんに聞いていこうと思います。
そして残った子の為にも、次は後悔しない別れにしようと努力しようと思います。
40代 女性 モモ丸とモモ太のママ
結婚して流産した時に私の所へ来てくれました。子供は授かりませんでした。色々あって離婚をし私が引き取りました。一番辛い時に側に寄り添って居てくれました。モモ丸を友達と一緒に霊園に送りに行って家に帰って来て一人になったとたんに夕方荼毘にふされると聞いていた時間になると自分でも抑えきれない気持ちが溢れ過呼吸を起こし駐車場で泣きながら姉に電話をしていました。途中からあまり覚えていないのです。これがペットロスなのかと‥モモ丸は、昨年10月に脳梗塞になりましたが元の様に頑張って歩けるようになってくれましたが歳にはかてませんでした。約5ヶ月朝晩病院の往復と会社の生活でした。最期は、私の腕の中で息を引き取りました。本当に幸せでした。今でも会いたい。抱きしめてあげたい。毎日思い出します。
でも、奇跡の様な事がありました。
モモ丸を霊園に送った日、帰り道に病院にお世話になったお礼に行くつもりで病院のワンちゃんにもおやつをと思いペットショップに寄るとモモ丸そっくりな柄のコーギーが居たんです。友達も私もびっくりしました。コーギーの男の子はなかなか見ないのに。モモ丸が亡くなった日にショップに来たそうでした。もう、二度と犬は飼うまいと思っていたのでそのまま帰りました。
でも、私の様子をみて友達と姉がその子をプレゼントしてくれたのです。びっくりしました。二人からは、モモ丸がお母さんの事を心配してこの子に会わせたんだよ。こんな奇跡みたいな事ないよ。と。
お兄ちゃんのモモ丸の名前からモモ太と名付けました。これからは、モモ太と頑張って歩いていきます。人それぞれだと思います。亡くなっても心の中にはモモ丸は今も生きています。私があの世に行ったら会えるし、頑張ります^_^
50代以上 女性 匿名
40代 女性 スケボンママ
我が家で生まれ姉妹、両親犬と楽しく過ごした日々でした、2ヶ月前乳腺腫瘍が見つかり大きくなった為摘出手術をし麻酔から覚めませんでした。
後悔しか残りません、 おっぱいも上手に飲めず姉妹が眠った後飲ましたり、怖がりで強い風の日は散歩もままならないくらで一人行かせてしまったこと、何もかも後悔でしか
何時も笑顔だったみいちゃん、お母さんもそうしたいけどあなたに会うまで難しいよ
抱きしめたい、撫でたい、会いたいよ
30代 女性 えみちゃん
たくない」色々な思いで頭がぐちゃぐちゃになり、息苦しく、食欲もないそんな状態です。いつかかならず見送る時がくるのでしょうが、まだなかなかそこまで気持ちの整理がつきません。少しでも自分の気持ちが楽になるのかも思って投稿してみました。
50代以上 男性 チェリー
40代 女性 christy
私も4月にミニチュアダックスフンドを16歳10ヶ月で亡くしました。
最期は貧血の数値が上がらぬままでした。
輸血も2回し一時しのぎと言われましたが
自分で立って少し歩けたりして奇跡が起きた!と喜んだのを思い出します。
本当に寂しく、ふと突然涙が溢れてきたりペットロスの真っ只中です。
家の中の色んな場所に写真を置いていて
おはようって話しかけたりしてます。そうしてると少し心が落ち着きます。
これからもずっと一緒だよ。アリス。
30代 女性 ケイコ
今まで、自宅で産まれて亡くなる子、拾って(戴いて)亡くなる子、そして亡くなる原因も様々に看取ってきましたが、死に慣れることなんて絶対にありません。
今回も腎不全で自宅で生まれた猫を亡くしました。
4ヶ月の闘病生活、私的には尽くしたりないくらい、もっともっと一緒に居たかった。
でもその子のことを思うと、苦しみから解放されて、次は幸せに暮らして欲しいとも思います。
産まれて来てくれて、完全人工哺乳で育てて、8年間。
未熟児で前脚もクル病になりましたが、よく長生きしてくれたと思っています。
本当にカワイイ子でした。
そして、私のところに生まれてきてくれて感謝しています。
最期の1ヶ月の闘病生活は壮絶でした。
仕事も休み、毎日点滴とビタミンの経口補給。
私も最期を看取りたくて、一緒にいたくて、看病にあたり、最期は寝たきりだったので抱き上げて体位を変えてあげようとしたら、キレイな顔と目で「ニャー」と元気に鳴いて亡くなりました。
あまりにもキレイすぎて亡くなったことに信じられず、人工呼吸や心臓マッサージもしましたが、戻ってきてはくれませんでした。
でも亡くなったその顔を見ると、まるで寝ているように静かでキレイで、ずっとずっと顔を撫でて見つめていました。
最期に見つめてくれた顔と声は今でも忘れられません。
ありがとう。
今度生まれ変わった時は、もっともっと幸せに暮らしてね。
ありがとう。大好きだよ。
30代 男性 匿名
元々亡くなった祖母が飼っていた猫で、当時祖母は末期癌と戦っていたので猫の面倒まではみられなかったのだと思います。
その影響でショコラさんは人間不信になっていました。
そして同時に糖尿病も患っていました。
噛み付かれ、引っ掻かれ、それでも余生を楽しく過ごしてほしくて、少しずつ信頼関係を築きました。
1日2回決まった時間にインスリン注射を自宅で打ちながら、2年間闘病して、彼は静かに息を引き取りました。
撫でさせてもらえるようになり、抱っこも嫌々ながらさせてくれて、夕食時には僕の膝に乗って魚や肉を催促し、その内に水を替えて欲しい時や構って欲しい時には鳴くようになり、機嫌が良い時に撫でているとゴロゴロと喉を鳴らしてくれるようにもなり、とても嬉しかったです。
長くはもたないと獣医から言われていたので、日々後悔しない為にショコラさん中心の生活をしていました。
ある日突然無駄鳴きをするようになり、しきりに外に出たがり、物を食べなくなり、立てなくなり。
亡くなる日の前日から、泣きながら、撫でながら、できるだけ笑顔で感謝の気持ちを言葉で伝えたり、とにかくずっと傍にいました。
亡くなった後は、亡骸と向かい合って、泣きながら、笑いながら、思い出話をしました。それから、もうショコラさんは元気だから、食べたい物を食べて、いっぱい外で遊べるんだよ、と。
亡骸を病院に預けたあと、家はとても静かでした。
玄関のドアを開けてもショコラさんが駆け寄ってこない。
トイレを確認してもずっと汚れない。
大好きだったお風呂場を見ても、ショコラさんはいない。
ベランダの網戸が揺れる音がして確認しても、ショコラさんは入ってこない。
目が勝手にショコラさんを探すんです。
そしてその度に、もう二度と会えないし触れないのだと実感して辛くなります。
家の中の明りが、フッと消えてしまったような感じがします。
物が喉を通らず、かと思えば突然塩分を過剰摂取したりして、睡眠薬を使っても眠れず、何もする気になれません。テレビも点けられません。突然号泣してしまうことも日に数回あります。
別れが約束された関係で、僕の役目は彼の余生をできる限り充実させ、そして最期まで共にいること。
そう解ってはいても、この痛みはどうしようもありません。
せめて今は向こうで楽しく過ごしていることを願うだけです。
50代以上 女性 匿名
うちのシーズーが亡くなって3年、経ちますが会いたいです。
経済的に許すなら次の子が欲しいけど病気した時も治療費かけてあげたいし、今は無理なので余計に辛いです。
周りの人がたかが犬と思ってる(一人は犬嫌い)ので辛いです。
主人も子供もそんなに悲しんでるように見えないし孤独です。
やる気が起きずダラダラと日々を過ごしてしまった感じです。
理解されないと思ってるところが辛いです。
30代 女性 ボン太のお姉ちゃん
10代 女性 聖華
お母さんがおかしくなりました
幻覚見たり犬は死んでないとか言っており子供ながらお母さんはペットロスなんだ‥と思って悲しんでます
50代以上 女性 マルヤマ
後に亡くなったお友達と穏やかに楽しく過ごして私もいつか行くからね、それまで待って居てと願わずにはいられません。それでもこの喪失感はいつ癒えるのか寂しいです。
30代 女性 かおりっち
昨日の今日だからまだ実感もない。
いつも一緒に寝てたからまだいてるように思える。
何であの子がこんな急に…って後悔と気付いてあげれなかったから自分を責めてしまう。
もう一度抱きしめたあげたい…
女性 匿名
先月大好きな愛犬のフレンチブルドッグを亡くしました。
今でも亡くなった時の姿がフラッシュバックしてきます。
夜になると無性に悲しくなって今でもほぼ毎日泣いています。9歳になったばかりだったのに、何故こんなに早く居なくなるんだろう。
前日まで元気だったのに、その日いつも以上に息苦しそうで病院に二回連れて行き、二回目の診察で病院に治ると信じて預けました。
しかしその日のうちに、先生に危篤状態を告げられ、愛犬は先住犬と同じ所へ旅立って行きました。
その子の事を思い出さない日はないです。階段を上がってくる音、起こしに来る気配、ドアのガラスから覗いてくる目、全てが今無くて、悲しくて悲しくて悲しみをまだ昇華しきれません。
叶うことなら、また抱き締めたい。お腹に触れたい。顔を揉みたい。肉球に触れたい。
あの子の匂いを体温を感じたいです。
女性 ぽんやん
20代 女性 ゆう
急なことでまだ実は生きてるんじゃないか、帰ったら生き返るんじゃないかとの思いで今日実家に帰ってきました。そんな現実は待っておらず、泣きながら庭に埋葬しました。今も何故もっと早く異変に気づかなかったのか、こんな飼い主でよかったのかなど後悔しかありません。何事にも集中できずこれから自分がどうなるのかもわかりません。
20代 男性 匿名
この記事を読むまでペットロスというものがある事を知らず、また、私もペットを失ったショックから気が動転してただただ戸惑うばかりでした。
母は強い人だと思っていましたが、ここまで感情的になってしまうものかと驚いたことを覚えています。
母に読ませましたが、落ち着きを取り戻したように感じます。
そして私自身も心が楽になりました。
この記事を書いたHaruさんにお礼を申し上げたく、コメントさせていただきました。
本当にありがとうございました。
40代 女性 ワンコーサト
今月7月22日am6:55家から脱走してしまったうちの子チワワ二人…家の前でドン、ドン…父からやられたの声…えっ…何…二人を見て『イヤー…』駆け寄った時にはピクリともしないひいた車は止まりもしないで去っていたみたい。
あとの事は、ほとんど、覚えてない…号泣…
二人とも一緒に逝っちゃった。9歳、7歳で、まだ、一緒に居れたはずなのに。
なにもする気になれない…
仕事しててもあの子達の子とばかり…
凄く、家に変えるのがいや、いつもお迎えしてくれてたから玄関のドア開けるのが寂しい。
開けるのに時間がかかる。
本当に誰か助けて、あの子達返して。寂しいよぉ。
10代 女性 匿名
ぽっかりと穴が空いたように何もやる気になれません。
何か心を癒してくれる物はないかと思い、このサイトに出会いました。
皆さんの投稿を見ていたら涙がとまりませんでした。喪って初めてかけがえのない存在だと気づくことができました。
悲しみは一生消えることはないけど、あの子の事を一秒でも思って生きていこうと思います。
20代 女性 匿名
職業柄、一人暮らしの私は家を空けることが多々ありました。もっと一緒にいてあげることが出来たなら。もっと早く苦しみに気付いてあげることが出来たなら。私と出会わなければこの子はもっと長生き出来たのではないか。と、後悔しかありません。
今はまだ心の整理が出来ず、お家やおもちゃ、ご飯やおやつ、薬までも捨てることが出来ず生前のまま家にあります。
目に見える所に置いておくのも辛いけれど、全てを片付ける勇気や覚悟もありません。
ふとした瞬間涙が溢れ自分の未熟さに怒りが募り自暴自棄になってしまいます。夜中に聞こえていた回し車に乗る音が聞こえず眠ることも出来ない状態です。
いつか死に向き合い一緒に過ごした短い時間を幸せだったと笑える日が来ることを信じていますが、今はまだ辛いだけの毎日です。
40代 女性 ふぇるり
4月末にいつものように身体をなでていたら、「何だろう?」って思うしこりが…
かかりつけの獣医さんに連れていって、レントゲン・エコー・細胞診をしてもらったところ、悪性腫瘍の可能性が高いので、違う病院でMRIをうけてきてほしいとのこと…
5月のGWに1日がかりで検査に行って、その結果は同じ…悪性のものですとのこと。肺の近くに影があり、肺の中にも影があるとのこと。水もたまっているようだと…
できた位置が難しかったので、手術はおすすめできないと言われ、薬での治療もかなり身体に負担をかけるため、おすすめしないと言われました…
本人の様子を見て、その場その場で対処していきましょうと言われました…
それからの2ヶ月間、ご飯を食べなくなり水も飲まなくなり、8㎏あった体は痩せて4㎏に…食べるのが大好きだったにゃんこがガリガリになっていきました…
少しでも食べてくれないかとお箸で柔らかい缶詰をあげて、状態が良いときは家の中を歩いたり、気持ち良さそうに寝ていました。
しんどい時には、口呼吸で息も荒く、そんな時には、「大丈夫、大好きだよ」と声をかけてなでであげるしか出来ませんでした…
最後の朝は、お風呂場に歩いて行ったので、お水が飲みたいのかと蛇口をひねってあげたら、飲もうとしたのか頭をつっこみびしょびしょになって倒れてました。
タオルで身体を拭いてあげて、抱き上げてバスタオルの寝床に寝かせてあげました。
仕事があったので、様子を見て大丈夫かなと思いつつ、「行ってくるね。そこでじっとお休みしててね。すぐ帰って来るから」と声をかけたら、頭をあげてしっぽをパタパタふってくれました…
元気だった時は、いつも足にすりすりしてお見送りをしてくれてたので、今日も見送ってくれたんだと思いました…
仕事が終わって急いで家に帰ってみると…寝床からは少し離れたご飯置き場の前で倒れて亡くなっていました…目を開けたまま…
その姿を見た後、涙と嗚咽が止まらず、しばらくその場を動けませんでした…
濡れていたのに、暑いからクーラーをかけて出掛けたから、こんな事になったのか?
しんどそうだったのに、なんで仕事に行ったんだろう?とか…後悔ばかりで涙が止まらない毎日です…
今でもまだ、にゃんこの寝床やご飯入れを片付ける気になれず、家に帰るといろいろな物を見たりすると涙が止まりません…
いつもそばにいるのが当たり前で、まさかこんな日がくるなんて…12年…早すぎます…まだまだ一緒にいたかったよ…
40代 女性 ののママ
主人と話して納得して納骨したのに、連れて帰れば良かった、ママ居なくて鳴いてるんじゃないかと悔やむばかり…
どうすればののにもう一度会えるんだろう、時間を戻して欲しい、そんなことばかり考えてしまいます。
お兄ちゃん猫達がいるのに、これじゃ駄目だ、と思ってもやっぱり無理。
自分で感情のコントロールが出来ないままで過ごしています。
30代 女性 なつちん
もう一匹の愛猫と共にあの子を失った悲しみや苦しみをしっかりと味わい、抑え込まずに開放し、通り抜けて生きていこうと思います。
40代 女性 るびー
3日前の夜に突然立てなくなりました。
朝は普通に散歩してたのに。
滅多にいかない一泊旅行が次の日からで後ろ髪引かれる思いで行きました。
明日帰るからとるびーに言い娘に任せて行きました。
帰ってすぐるびーの所へ行くと弱々しくも待っていてくれました。
その日は家族みんなでるびーと一緒に寝ました。
次の日の昼間に旅立ちました。
亡くなる数時間前には私が食べていたアイスを欲しそうにするので少し食べ、お土産のカスタードケーキも三口ほど食べました。
亡くなる直前は息苦しそうでした。
でもあまり苦しまずに旅立てたので良かったと思うようにしています。
もっと優しく声をかければ良かった、もっと抱っこしてあげれば良かった、かまってあげれば良かったと後悔ばかりです。
亡くなって丸2日勝手に涙がこぼれます。
40代 男性 ニューニューパパ
30代 女性 ロンちゃんのママ
父が朝の散歩中に、前から車が来たから避けようと思って、端に引っ張ったら欄干の間から落ちたのだそう。15年生きていて足腰が弱くなっていたので、もしかしたら自分からよろけて落ちていったのかもしれません。
慌てて川に入り、引き上げ、その後シャワーで汚れを洗い流しましたが、その内異変が起き、あっという間に容態が悪くなりました。
その間、わずか2時間程。
医者につく前に心臓が止まり、医者からはお役に立てなくて申し訳ない、と臨終を告げられました。
その日は火葬をして弔い、まだ日中は良かったんです。
しかし、その日の夜から私はおかしくなりました。
暗くすると、ロンが怖がるから(暗闇でも平気な子だった)電気を消せない→だから私は寝たらいけない→寝たらロンが寂しがると結局うつらうつら。
15年も一緒にいたので、あちこち車でよく色んな所へ行きました。
ほぼ、ロンと一緒に通った道ばかりです。
そのためどこへ出かけても、ロンがいない、ロンがここでこの前鳴いた、などふいに思い出し勝手に涙が出てくる。
必要ないのにドッグコーナーに立ち寄り、ロンの餌を見つけて喜んでいる…等
頭ではロンがいないこと、ロンはもう帰ってはこないことを分かってはいるんです。
でも勝手に涙が出てきて、勝手にロンのことを考えてしまい気が狂いそうです。
テレビをつけても、最初はドラマの内容に見入っているのに、たまたま散歩をしているシーンや、たまたま柴犬が映ったらもう泣いているんです。
母は二度と犬は飼いたくないといいます。
毎日の世話そのものよりも、年をとって辛いことがあるのを見るのが嫌なのだそうです。母はテレビや、近所の柴犬を見ているだけで良いそうです。
やっぱり私がおかしいのでしょうか。
現在失業中で、就活しなければいけないのですが、もう何もする気が起きず、私も虹の橋行ったら会えるかなとか、私が欄干から落ちたらロンが戻ってくるかなとか、くだらないことばかり考えてしまいます。
私はどうすればいいですか?
教えてください。
お願いします。
40代 女性 匿名
亡くなった愛犬は人が大好き、明るく好奇心旺盛で誰からも愛される子でした。大きな病気もなく、とても丈夫だったのですが、13歳の時に乳腺がんになり、その時は手術を乗り越えてくれました。その後はちょこちょこと病院にお世話にもなりましたが、手術したとは思えないほど元気でした。15歳を越えた頃から後ろ足が弱ってきて少しずつ歩けなくなっていきました。がんも再発してましたが、そちらの治療はせず、毎週足腰にレーザーをあててもらい、心臓や肝臓などの薬を飲み、排尿も自力では出来ないため、毎日膀胱をしぼるという日々が続きました。それでも凄く頑張ってくれて、ご飯も一生懸命食べてくれていました。動けなくてもとても明るく前向きな様子を見せてくれていたのですが、何となくそろそろなのかな?と私自身感じ初めて覚悟はしていました。そしてお盆休みに家族旅行の話があがったので、この子の調子が良ければ一緒に行くと言っていたところ、前日も当日も物凄くキラキラした目で本当に調子良さそうだったので連れて行くことに決めました。その数日後の早朝、まるで私の目が覚めるのを待っていたかのように息を引き取りました。前日もご飯は食べられなかったのですが、大好きなガムだけは食べて、グッタリすることもなく、最後の最後まで本当に良い子で……旅行も最後になるとわかっていたのだと思いました。亡くなってからは私も覚悟していたとはいえ、辛かったです。ところが、残った愛犬が私以上に落ち込んでしまったのです。私がお風呂に入ってるだけでも吠えて騒いで、ご飯も食べない、夜もちゃんと寝ない。そして気付きました。私が笑顔でいないとこの子はもっと辛いと。亡くなった子が使ってたクッションを与えたらだいぶ落ち着き、そして私もこれまではあまりかまってあげてなかったなと思い、毎晩のようにボールで遊んだり、クタクタになるまで遊び倒しました。まだ亡くなってから1ヶ月経っていませんが、残った愛犬と前向きに過ごしています。私がいつまでもメソメソしていること自体、亡くなった子は望まないと。勿論思い出して泣いたりしますが、後ろ向きなものではないと思っています。亡くなった子と残った子に救われています。また、私たちのところに来てねと願っています。
50代以上 女性 リュンリュン
子供も独立し、私も仕事を辞め念願の犬を買いました。もともと愛おしむ存在が欲しいタイプの私は溺愛していると思います。
うちの子はいくつかのパターン、言葉を知っています。多分時間帯で用事の内容も把握しているみたいです。
私が趣味の練習に行く時そのグッズを持つと自分からくれーとに入り後追いはしません。それも午前中はほぼ鳴きません。
でもゴミ捨て、外掃除等ちょっとの外出はすごく後追いをします。
これはきっと子犬の頃に抱っこしてしていたせいなのかもしれません。
犬はルーティンをちゃんと覚えます。洗濯や二階への用事、それは私の姿が見えなくなるのでくうーんと鳴きますが、ちゃんと待っています。
が、誰かと出かけるのを見るととても鳴きます。置いていかれるのが嫌なのです。
私が1人で出かけるときはそんなことはないのに。
こうして私と愛犬の暗黙のルールみたいものができたみたいです。
いない生活は考えられないのでかなり心配な飼い主なのですが、私の心を救ってくれた恩人?なので可能な限り一緒に生きたいと思うのです。
50代以上 女性 匿名
50代以上 男性 潮風一番
18日ヘルニアで毎日注射で病院に通うことになりました。
ヘルニアはかなり良くなったのですが急性腎炎が併発し9月23日入院する事になってしまいました。
毎日病院に通いましたが一向によくならず、むしろ吐き気がひどくなり太り気味のベロイもどんどんやせてゆき、病院の進めもあり、急遽引き取ることになりました。
呼吸も脈拍も荒く苦しそうだったのでお腹をさすってあげると楽になるので一晩中そうしてあげました。
26日10時半、呼吸も脈拍も弱くなり静かに行ってしまいました。
隣にいた妻を大声で呼び
駆けつけ泣き崩れ
ながら”ベロイチャン!”と叫んだらなんと止まった呼吸も脈も動き出したのです。でもつかの間でまた静かに消えて行きました。
昨日は一日中二人で泣き崩れ、今日はお寺の手配を済ませましたが部屋中ベロイの物だらけで見る度に涙が出てしまいます。
40代 男性 匿名
2歳のときにアジソン病と診断され、4歳でアトピーになり、毎朝晩の薬服用と毎月の検診は欠かせませんでした。体内のホルモンバランスを上手く保てないので、脱水症状で点滴を受けることもしばしばでした。
我が家には子供がいないので、本当の子供のように溺愛していたと思います。
そんななか、昨秋に食欲不振・嘔吐を繰り返すようになり、点滴や検査入院を繰り返しましたが原因は特定できず、もう一度精密検査入院をして、それでも判明しなければ東大病院を紹介いただけることになっていました。その日の朝9時過ぎごろ入院しましたが、13時ごろ病院から連絡があり、昏倒して意識不明(危篤)だというのですぐに駆けつけました。駆け付けた際には意識が戻っていましたが、手術台の上でぐったりとしていました。近づいて名前を呼んだところ、私に気付き、なんと立ち上がって抱っこをせがんできました。先生が一度自宅に戻られて、明日また連れてくるようにと言われたので車に乗せて連れて帰りました。車中では意識があったのですが、帰宅直後に急変し、家族に看取られて旅立ちました。
大好きだった家族に、これまで大半を過ごした家で看取ってもらうために、最後はまさに死力を尽くして頑張ったんだなと思うと涙が止まりませんでした。
それから1日たりとも忘れませんし、毎日何度も思い返してしまい、時々涙しています。
新しい子を迎えてもこの子のことほど愛せる自信もなく、こちらのエゴでしかないような気がして先に踏み出せません。
仕事で紛らわせようとしますが、喪失感・倦怠感はいまだに拭えません。
20代 女性 匿名
14歳2ヵ月でした。
病院でも14歳なのに元気だねって言われていたんですが急に痩せていき初めは夏バテと言われそれで納得していたんですがあまりにも痩せてご飯も食べなくなったので病院に連れていくと自己免疫性溶血性貧血と言われました。即入院でそれから毎日会いに行っていましたが輸血してもあまり良くならない、乳がんも見つかり酸素が無い時があった為脳に酸素が行かず脳障害にもなり膵炎にもなりました。いつ亡くなってもおかしくない状態、今生きているのが奇跡と言われました。入院してから5日後に亡くなったと連絡がきました。正直覚悟はしてましたがあまりにも急すぎて受け止めきれず、そして何よりもっと早く病院に連れていけなった事、最期傍にいてあげれなかった事が後悔しました。1週間ほど泣き続けやる気もなく家から出ることも出来ずひたすらボーっとしてました。周りの人たちのお陰で今は普通に生活していますが、不意に思い出し泣いてしまうことがよくあります。今もまだ自分を責めることがあります。でも虹の橋で元気に待っていることを思うと私も頑張ろうと思います。今も辛いですがまた逢える日を楽しみに頑張ります。
30代 女性 七ママ
傍で看取れずごめんなさい…。先に逝っ犬と仲良く過ごしてね。
今は、自分を責めてばかりで…生きていくのが辛いです。
40代 女性 匿名
6歳になったばかりでした。
免疫介在性溶血性貧血と診断され、初めての入院にストレスからか餌も食べず、排泄も我慢しているように見えました。面会に行くと餌を食べてくれて、排泄もして。
沢山の点滴や注射、輸血も2回、酸素室に入って抱っこする事も出来ないまま、入院から12日で逝ってしまいました。最後は看取ってあげる事も出来ませんでした。
病院で弱っていく姿を思い出すと本当にこれで良かったのか、家に連れて帰って一緒にいてあげれば良かったと後悔ばかりで涙が止まらなくなります。愛犬に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
50代以上 女性 匿名
40代 女性 匿名
40代 女性 えみっち
享年22才でした。
動物病院へ連れていって、皮下点滴してもらって、明日も来てくださいと言われていたのに、朝方、急に息をひきとりました。
苦しかったらしく、目も開けたまま、くちも開いたままの最後でした。
暖めてくださいと言われていたので、アンカの上にタオルとペットシートしいて、毛布かけて添い寝してたのですが、、、
あまりにもはやすぎる死でした。
埋葬は、裏庭の杏の木のそばへ埋めました。
タオルでくるんで、箱がなかったので、大きい紙袋へ好きだった、ちゅーるとシーバとかつおぶしとカリカリと寒くないようにホッカイロも一緒に入れて、埋めました。
お墓には、ミネラルウォーターと猫缶とお花を供えました。
今日、フォトフレーム買ってきて、写真おさめ、花瓶、お水、猫缶供えました。
昨日、寝ようとふとんに入ったら、右足の上が重く感じて、ああ、そこで寝てるのかなと思いました。
今日は、視界の右端に横顔が一瞬見えました。
さっきは、二階から、走り回る足音が聞こえました。
まだ、この家の中にいてくれてるのかな。
外は寒く雨が降ってるので、こんな寒いのに雨に濡れて風邪ひいちゃうよー!と泣いたからでしょうか。
完全室内飼いだったので、外の厳しさを知らない子だったので。
まだまだペットロスから、抜け出せそうにありません。
生きる気力も食事する気もおきません。
40代 女性 匿名
ただ、細胞診と外部検査により、高グレードのリンパ腫であることが確定してしまいました。
治療は最初の診断時より抗がん剤治療を始め、腫瘍専門の獣医師の指導の下でリンパ腫と闘ってきましたが、最後は溶解性貧血を発症し、病院へ輸血に向かうタクシーの中で亡くなりました。
こんなことなら家で静かに看取るべきだったのかと後悔する一方、やはりチャンスがあれば同じ選択をしてしまう気がします。
愛猫に申し訳ないのは、亡くなる時に、しっかり顔を見て、頭をなでて、大好きだよと声をかけてあげられなかったことです。このことは一生後悔するでしょう。
明日、お葬式を行う予定なので、せめて今日は一緒にいていっぱい話しかけたいと思います。
でも、これまで生きてきた中で、これほどつらい経験はありませんでした。
30代 女性 匿名
40代 女性 匿名
20代 女性 匿名
10代 女性 ほたる
突然、愛猫の最後の瞬間が頭の中に蘇ってきて、号泣する日々がこの1ヶ月間のふとした瞬間にありました。家族は立ち直っているけれど、私だけ、立ち直れず、家族、友達の前では明るく接しているけれど、皆が眠った夜中に1人で静かに泣き続ける日々が何日もありました。猫に手紙を書いても楽になる気配は一向にありませんでした。
最初は、ペットロスにはなっていないと思っていたけれど、この記事を読んで、初めて自分はペットロスに陥っているんだと気付きました。私以外にも辛い気持ちになっている方々も早く立ち直る事を願っています。
20代 女性 匿名
日々の関わりは餌やりのみ。ってほど構ってあげられなかった。狭いゲージの中、寝る部屋も別。寂しい思いをたくさんさせて、子どもの病院から帰り、寝てるのかなと思いおもちゃの筒の中を覗くともう息を引き取ったあとだった。死因もわからないけど、苦しかったよね。寂しかったよね。辛い時にそばに居てくれたのにポコが辛い時は全くそばにいてあげられなかった。辛かったね。ごめんね。本当に眠ってるようで今にも動き出しそうなのに。いつもご飯の音がすると寝てても飛びついてくるのにピクリとも動いてくれない、、。戻ってきてよ、、、もう一度やり直したい。
ポコ、大好きだよ。ずっとずっと。
天国では幸せになってね。幸せにしてあげられなくてごめんね。
50代以上 女性 匿名
30代 女性 匿名
一日中一緒に居てあげられる人が親になっていたら、あの子はもっと幸せだったのではないか…病気になってからも、歳のせいだろうとすぐに病院に連れていってあげられず、大好きなおやつもご飯も食べられない最期を迎えてしまって、なんでもっと早く気付いてあげられなかったのかと後悔で毎日悔やんでいます。
仕事の休憩中や、少し時間があるとどうしても顔が見たくなり、写真や動画を見ては泣いてしまいます。
もうあの重みを感じることが出来ない、触ることができない、匂いを嗅ぐことが出来ない、と寂しくて仕方ないです。
20代 女性 匿名
亡くなってしまった日、
私が起きたらいつも側に来てくれていたのに
その日は寝ているようで
抱き上げて暖房のところに寝かせてあげました。
ごはんをあげても食べなくて、なんだか元気がなさそうだと思ったので
今思えば、早く病院に連れていってあげれば良かったのに祝日でかかりつけの病院が休みで
その日の予定をキャンセルすることも出来なくて
取り敢えず寒くないようにとアンカをしてベッドに寝かせ、
愛猫に
今から出かけなきゃいけないからごめんね。
明日病院連れていってあげるから
今はゆっくり安静にして休んでてね、すぐ帰って来るからね、 大好きだよ。と言って
おでこにキスをして
私は出かけてしまいました。
出かけた後もずっと愛猫の事が心配でたまりませんでした。
早く帰りたいと。
やっと帰ってきて愛猫の様子を伺うと、眠っているような姿を見て
胸がザワザワしはじめ、
眠ってるだけだよねと願いながら、
だけどもう動かなくなってしまった愛猫を抱きしめて
信じたくない現実に
声を出してひたすら泣きました。
ごめんねごめんね、、
どうしてあの時、この子の側にいてあげられなかったのだろう、、
どうしてあの時、強引にでも予定をキャンセルしなかったのだろう、、
どうしてあの時、かかりつけ以外でも開いてる病院を探して連れていってあげなかったのだろう、、
どうしてもっと早く気づいて病院に連れていってあげなかったのだろう、、
見看ることも出来ず、
大切な家族を守ってあげられなかったことに後悔ばかりです。
あれから母と愛猫のお葬式をし、お骨をお骨壺に入れ持って帰っています。
あの時側にいてあげられなかった分、側にいてあげたくて。
あれから毎日愛猫の名前を呼んでは探してしまいます
愛猫のお骨壺に毎朝毎晩話しかけては
涙が止まりません。
あれから毎日ないてしまっています。
あの日に戻れたらいいのにと毎日のように願ってしまいます。
亡くなってしまった愛猫は
人一倍臆病で人見知りで、それでも段々なついてくれて甘えてきてくれるようになって
それがいとおしくて、毎日のように側に来てくれることがそんな毎日がこれからも続いてくれると思ってた。
私は本当にあの子を愛していたからこそ
守ってあげたかった。
あの子が最期に言ってた言葉を分かってあげられたら。。
毎日TVもメールの返信も何も出来ず、
あの子の動画を見ては
あの日に戻りたくて恋しくてたまりません。
他の猫達も居るので、その子達もかまってあげなきゃと可愛がっては居るのですが、
あの子がいない喪失感に悲しくなります。
今は悲しくて誰かと会ったり遊ぶ気分にもならないのですが、それですごく理解してくれない人もいて辛いです。
いくら猫でも私達の大切な家族なんです。
家族に人も猫も犬も関係ないと思います。
あの子はこれからもずっと
可愛い大好きな私達の大切な家族です。
会いたい会いたいと願っていたら
夢で会いにきてくれました。
嬉しかった。。
でもまた会いたいよ。
助けてあげられなくて
あの時、側にいてあげられなくてごめんね。
でも私達の家族になってくれてありがとう。
これからもずっと大好きだよ。
今は悲しみに暮れる毎日ですが、
もっともっと幸せにしてあげたかった分、
あの子が天国に旅立たれても
沢山幸せでありますように。
今はあの子を想っていたい。ずっと忘れません。
また会えると信じてるよ。
50代以上 女性 匿名
辛いおもいさせてごめんなさい。
女性 ティン
翌月曜から職場には復帰しましたが、そのことに触れられるとすぐに泣いてしまう状態で不安定です。
今は、ごめんね、と、ありがとうが両方湧いてきては涙してしまいますが、正常な反応でみなさん同じようにつらい時期を過ごされていることを知りました。
それだけ愛せていた、大事にできていた証拠だと自分をいつか許せるようになれれば、と思います。
30代 女性 さっちゃん
ペットロスになって、今凄く辛いです。
亡くなった愛犬の為にも、前向きにならなきゃいけないんですけど、立ち直るのに時間がかかりそうです…。
20代 女性 匿名
初めてのペットだったという事もあり、喪失感は凄まじく、亡くなったというのにデパートでヨーグルトみかけて「これ買ったら喜ぶかな」と無意識に考えては「あ、そうかいないんだった」と落ち込んでいます。
仕事も手につかず休んでいる状態で、毎日朝から晩までその子の事を考えては泣き崩れ、骨壷を抱えては廊下でうずくまる毎日です。
戻ってこないのだと、もう遊べないのだと、最早、仕事も在宅ワークにして24時間ずっと一緒にいてあげれば良かった、と後悔している日々。
でもそうですよね。
生きていれば必ずいつかは死ぬもの。乗り越える為には今は思いっきり泣いて、その子との楽しかった記憶を思い出して、その子が今はお空を楽しく走り回っているのだと、死を前向きに捉えるしかないですね。
まだしばらくは辛いですが、今は無理をせずこの子の死と向き合おうと思います。
このサイトをご覧になっているペットを亡くされた皆様。皆様のペットちゃんも無事に天国に行けますように。
40代 女性 匿名
急性腎不全から慢性腎不全になり、自宅で皮下点滴や強制給餌をしていましたが、
心不全も併発してしまい、腹水と胸水で苦しそうに息をする我が子を見て、もう助からないないのなら 苦しんで死ぬより早く楽にしてあげたい...と安楽死を選びました。
安らかに眠る我が子を見て、後悔はしていません。無駄に苦しむより良かったと...
でも辛いです。
私の帰りが遅くなると、玄関の前で心配して待っていてくれた姿や、病気で苦しむ姿を思い出し 辛いです。
最初は涙が溢れて止まらないくらいだったのに、今度は悲しくても涙が出なくなってしまいました。
心が壊れない為の防御反応なのかもしれません。
40代 女性 りえ
仕事の帰りが遅くても、リビングで帰りを待っていてくれました。
辛いことがあると、黙って近くに来てくれた。
たくさん留守番も頑張ってくれた。
亡くなる前の2ヶ月は、毎日一緒にいれたね。
幸福だったのかな?
亡くなる日も、私の帰りを待っていてくれてありがとう。
また、触れたい。
50代以上 女性 あんみつ
ここ1か月以上ほぼ入院生活、最初は急性腎不全で尿管結石、でも入院して1週間たたないうちに石が動いてあと1日~2日様子見て大丈夫だろうと。しかしもう右の腎臓も尿管結石に。。ただそっちの腎臓はもともと腎臓の機能はあまり無くてなので左の腎臓に負担はかかっていたんだと思います。
ただ数値的には上がってなかったのでしばらくして石も動いたのでしばらくは皮下点滴で2日に一度の通院ということで退院しました。
ところが2日後の検査でまた数値が上がり始めて翌日も来てくださいと。すると翌日もさらに上がって、その場でまた入院
1週間たっても数値は少しづつ上がっていき、石は膀胱のすぐ近くまで移動していたのであと少し動けばと。
ただ今回は詰まってから時間もたってるのでSUBシステムの前段階でいったん腎臓の機能が戻るか確認で腎瘻というカテーテルを腎臓に入れて体外に出すという手術をしたほうがいいかもというお話が。
そこで旦那は自然に任せたほうが手術はしないほうがいいと、結局もう少し点滴で流してみてということに。
しかし2週間たっても数値も石もそのままなので腎臓結石の専門の病院を紹介してもらい2時間半かけて。そこで手術に・何とか麻酔も問題なく水腎症になっていた腎臓の水分はカテーテルで外に、数値も少しづつ下がり始めこのまま正常値まで下がてくれれば、しかしご飯をほとんど食べてくれず、数値が高かったため口内炎、喉の痛み、胃も荒れてということで自分からご飯を食べてくれず3kgちょっとあった体重が最後は2.4kgに
しかもご飯も食べれないため貧血もひどくなり何とか輸血をして一応大丈夫と。でもご飯は相変わらず数値も一定まで下がったもののそれ以上下がらず、ずっと静脈点滴をしていたので両手を変えながらしていたけど血管もかなり痛めているから一旦休ませる意味でも、静脈点滴をやめてやめてまた数値が上がれば点滴のおかげでということなので、いずれは点滴は外すわけで。
明日1日外してどうか試しますと。
翌日朝8時過ぎに電話で、昨日夜から朝にかけて外してみたんですがと。朝には数値が上がり始めています。ということは点滴で抑えられていたということなのでもう腎臓の機能はほとんど残ってないので次のSABシステムの手術はやっても意味がないと・・
もうできることはないからせめて家で過ごさせてあげてくださいと::
下手をすれば今日家に帰って亡くなってもおかしくない状態とのこと、朝からバタバタしてその日はご飯ものどを通らず何も食べれませんでした。チョコちゃんはもう体重も減って後ろ脚がふらふらしてよろけて壁にぶつかったり見ていてつらかったです。少しベッドに入ったもののすぐ嗚咽が聞こえて起きてはそばに。
結局翌日午前中、急に自分の足元でぐたー。机の下の潜ろうとしたのでカテーテルを巻いてるのが引っかかるので引っ張って移動させすると少ししたら急に変な声を出したと思ったとたん頭を動かし、なんか変と思って抱き上げ抱え、すると手足をピーンとのばしたり動かしたり頭もまた変な動きで、痙攣?しばらくしたら抱きかかえていた手から右足がスーッと下に落ちていき。。天に召されたんだと思いました。
このままでも可哀想なのでお世話になった2つの動物病院に亡くなったことの連絡してさらにペットの葬儀場を教えていただき明後日に予約が出来ました、箱とドライアイスを持ってきてもらいいまは痛みから解放されゆっくりしているのでしょう。まだ箱を開けると触れるしなでたりしてると涙が止まりません。
あのとき旦那が言っても無理にでもすぐに紹介してもらった病院で早く手術をしていればまだ貧血もなく食欲もあり体力もあったので上手くいけば3年くらい長生きできたかもといわれ、後悔ばかりです、ごめんねごめんねと。まだ亡くなった日なのでしかたないでしょうがこの先もう1匹の17歳の猫がいるのに、こんな状態で大丈夫なのかと旦那のことも恨めしいです。無理にでも手術してさえいればこんなにつらい思いもさせないで長生きできたと思うと辛いです。長文失礼しました:
50代以上 男性 キッチマン
梅吉はリンパ腫。小梅は心臓病とたて続けに。妻のリンパ病と私の心臓病を持って逝ってくれたんだなと感謝しかありません。
家にいるときは寝る時もピッタリ私のそばを離れなかった我が家族
忘れられません。いろいろな後悔しか思い浮かばない。悔しいです。辛いです。
40代 男性 わったん
小柄なキジトラの猫ちゃんでここ半年ほど、体重は1,6キロほどでした。
甲状腺亢進症と診断されたのは去年の11月、ナナちゃんが16歳になる直前でした。それから半年近く頑張ってくれました。辛いですね、この掲示板で書き込みしている人たちと
分かち合いたいです。ナナちゃん今まで沢山の思い出と癒しを与えてくれて
ありがとう。またいつか会える日まで
50代以上 女性 匿名
前日の昼まで1日3回の食事はとっていたので、まだまだ大丈夫かなと思いながらも やはり心配で毎週木曜日の点滴でしたが、前の日の水曜日に病院へ行き、点滴の他に睡眠導入剤(少しでも楽に睡眠できるように)を頂き、帰宅後日付けが変わる頃から、今迄に無かった苦しみかたをする様になり、導入剤をスポイトであげても、全く効かず、可哀想で、見てるのが辛かったです 主人と予てから話合っていた様に今日が決断の時なのか 辛いな 刹那いな 悲しすぎるな いろいろな、想いのまま そなちゃん(愛犬の名前)今まで沢山のシアワセありがとう もう頑張らなくていいよ バイバイとお別れし 他の2匹の愛犬ともお別れのご挨拶して。2匹のお散歩が終わったら 先生の所へと行こうね と話して主人が2匹の散歩に出て直ぐに、私の腕の中で逝ってしまいました。先輩犬と同様な亡くなりかたでした。
安楽死ということを私達にさせたくなくて、お家で逝きたくて、ちゃんと 時間を見て逝ったようです。本当にありがとう感謝しかないです。 ごめんなさいペットロスの投稿ですよね、人によると思いますが哀しみかたは、それぞれであり、私は何頭おくっても、ペットロスに、なります 今も涙が出て堪らないし まだ食事らしい物も取れず 夜中も目が覚め隣を探しますが、人間は生きて行かなければ
いけないし ましてや私達には、私達が必要な2頭が居るので、この投稿を入力しながら 気持ちの整理をさせていただいております。
ありがとうございます。
追伸 色々な方が いる中であと2匹居るからいいじゃないですかと、仰る方が、、、何頭いてもその仔の代わりは居ません。
30代 女性 ひかる
10代 女性 空界
20代 女性 もも
血管肉腫を患い、わかった時にはもう手遅れで数ヶ月と言われ覚悟はしていたものの、日が経つごとに辛く悲しくなります。
亡くなる前日苦しいのか痛いのか一睡もできないまやを一晩中撫で、翌日家族で見送りました。
苦しみから解放されたのだとその時は思いましたが、もっと早く気付けなかったのかなどの後悔と、亡くなる瞬間のことが思い出され夜眠れなくなります。
仕事など日常は過ごせますが、帰宅して物音がしたりするとまだまやが家にいるような錯覚を起こし、その都度いなくなったんだと痛感しとても寂しいです。
思い出にできるのはしばらく先になりそうです。
50代以上 女性 ラニ
ロップウサギを肉腫でなくして、二か月経ちますが 自宅にいるのが辛すぎます。
毎朝、始めて会うかのような嬉しさ満載の笑顔で飛びついて来てくれてた
その面影が
朝起きても、今はもういない。
脚の切断からも生還して走りまわって喜んでいた三ヶ月後、急にお腹が腫れてきたけど
最後の最後まで食べれてたね。
けど、だんだん弱り眠るようにスーっと
息をひきとりました。
もう、苦しまなくていいんだよね。そう呟いていますが
あの子がいつも寄り添うように側にいてくれた。
何もしてくれなくてもよくて
ただ喜んで側にいてくれたことがうれしかった・・
あの子の存在が私に安心と安定をもたらしてくれていたのだと
失ってから気づきました。
もう、会えないんだ・・・
あんなに毎日笑っていたのに
悲しみの顔になってしまいました。
こんなに辛くなるのだと、
それだけ私はあの子を愛していたから・・
しばらくはこの気持ちを引きずりそうです。
40代 女性 yumi
2匹いたうち、後に飼った子が4年前に虹の橋を渡った時は、狭いケージの中で1人で逝かせてしまい、後悔と懺悔の気持ちしか残らず、毎日涙が止まりませんでした。
自分を責め、もっと何かできなかったのだろうかと問い続けました。
でも、今回の子は最期を見届ける事ができたので、「ごめんね」ではなく、「ありがとう」と伝える事ができました。
9月に、また新しい子を迎え入れる予定です。骨壺を抱きしめ、きちんと報告をしました。
忘れるわけもなく、忘れるはずもないです。
愛していることに変わりはありません。
大好きな飼い主さんの笑顔が、自分の事で失われている事は、天国にいる愛犬は悲しむだろうな…と思います。
生きている時も、天国に逝った後も、ワンコにとってのhappyは、飼い主さんのhappyだと思います。
50代以上 女性 ジャスミン
10代 女性 パン
亡くなる直前はふらついていて、元気がなくて、食欲もなく、大好きだった牛乳も飲みませんでした。毎年なっている夏バテで、かつお年寄りだからこうなんだろうと軽く考えつつ、毎朝息をしているのをみてほっとする毎日でした。ふらついていたのはおそらくヘルニアだったのかもしれません。
わたしは小一から今年19になる年になりました。まだ人生は続きます。でもレオは生まれてから今日亡くなりました。一緒に成長してきたので、余計つらいです。
50代以上 女性 匿名
火葬も済み、いつもいる場所にいない日々が始まり、涙涙の毎日です。これからのほうが、悲しみは増してくるのでしょうね。犬の散歩友達に毎日のように、話を聞いてもらい、一緒に悲しんでもらっていますが、いつまでもそうしているわけにもいかないでしょう。老衰や、闘病の果てというのなら、それも悲しいけれど、心の準備ができます。旅行に行かなければ、こんなことにならなかったのかと後悔したり、ホテルの過失に、無性に腹立たしさを募らせている現実です。訴訟を起こそうとは思っていませんが、損害賠償等は考えていますが、市の無料法律相談で弁護士さんにも相談しました。、このような事例は経験ないとのことだが、ある程度の額は慰謝料として請求してもいいそうです。お金では、愛犬は返ってきませんし、気持ちが晴れることはありません。せめてもの愛犬の供養になるでしょうか。
まだ、心身ともに不安定な状態ですので、支離滅裂なことを書いていると思います。
女性 828
証拠があるにも関わらずセンターの医師達と連絡が取れるまで言い逃れをしてた近くの動物病院の獣医師と後でわかったのですが無資格の者に薬剤を混合させて摂取と皮下注射しかもカルテに記載なし何を入れたかすらわからないと言う獣医師、私は今でも亡くなる前と亡くなった後入院前と退院日のあの子の苦しそうに私にすがり浅く早い呼吸をしながら私に尻尾ふり目を見つめて腕の中で亡くなった光景が忘れられません。食欲もなく今では水も飲めません。点滴生活です。朝も晩も涙が止まりません。何したら許してもらえますか?と言っていた獣医師の顔も無資格のスタッフの顔もその光景すら吐き気がきます。なぜと自分を責めたりしてる毎日です。ペットロスを克服するといった言葉すら聞くのも嫌です。証拠書類、録音を収集してる間も悔しくて辛いです。時が解決する心の病は死に至る経緯に問題がない場合のみだと思います。今迄4匹を育て老衰まで看取り、悲しみ寂しさもありましたが四十九日法要には頑張ったんだからこの子はと全てを受け入れる事で時と共に乗り越えましたが、今回は食べれない、脱水症状から飲めない涙が止まらないと色々な症状が消えそうにありません
20代 女性 匿名
16歳でした
おっとりしてて、優しくて、他のにゃんこ2匹(8歳と2歳)の面倒も見てくれて、そのくせすっごい甘えん坊の男の子でした
高齢ということもあり、肺や腎臓が悪くなってましたが、他のにゃんこ2匹に比べて食欲もあり、いっぱい話しかけてくる子でした
つい最近、体調が悪そうに見えて、一緒にいるにゃんこにちょっかいかけられないようにと、母にしばらく預かってもらってました
そして数週間が経って、母が仕事から帰ってきた時には母の家の玄関で息を引き取っていました
旦那と母と義理の父とでお葬式をしました
母が凄く悲しんでいた手前、何とか元気づけようと明るく振る舞っていましたが
帰ってから、息が苦しくなり、頭が痛くなり、泣きたくもないのに涙ばっかり出てきて、その日はまともに寝れませんでした
翌日仕事に行き、仕事のことだけ考えて思い出さないようにしてましたが、目眩や動悸が酷く、むせ返るような胸の痛みがありました
帰ると旦那が気を使ってくれたのか美味しいカレーを作って待っててくれて、そのカレーは美味しく食べれましたが…
本当に体の一部を失ってしまったかのような喪失感、耐え難い孤独が夜になると一気に襲ってきます
いつまでも泣いてると、亡くなったあの子に悲しい思いをさせてしまう…そう思ってても辛くて辛くて涙ばっかり出てきます
本当に心の優しい、面倒見が良かった子だっただけにこれ以上心配かけたくないのに…
頑張って他の2匹の子達と何とかやってくから、もうしばらくは泣くのを許してくれるかな?
理不尽に怒ったりした事もあったのに、辛い時や苦しい時に傍で励ましてくれて有難う
本当に心の底から大好きだよ
私がそっちに行くのは時間かかるかもしれないけど、ゆっくり休んで
また会えたらいっぱい遊んで、いっぱいお昼寝しようね
20代 男性 へびいし
死因は、中毒性のものとのことでした。庭にある雑草の、球根をほじって食べてしまったようで、なんか調子悪そうだね、明日医者連れて行こうか?といってた翌朝死んでしまっていたそうです。朝起きて、気付いたときは、まだ温かかったそうで、家族も信じられないまま、生きてるよね?死んじゃって無いよね?と、パニック状態のまま病院にいき、事実を知り、私に連絡したそうです。
私もその日の夜は家族と電話しながら、涙が止まりませんでした。ただ、我が家に来てくれてありがとう、早く生まれ変わって、庭の手入れも完璧にできているようなお金持ちのお家にもらわれるように祈ろうね、忘れないでいようね、と家族と話して、少しは落ち着きました。
そして終末、実家に帰り、お墓参りをしまして、やっと、お別れが出来ました。泣かないと決めていたのに、少しだけ涙が出てしまいました。寂しくないように、共同のお墓に入れてもらったのですが、雷や強い風が吹くと吠える子だったので、周りのワンちゃん猫ちゃんに迷惑掛けないか心配です。やっと少し、前を向けています。僕と家族はとっても幸せをもらいました。あのこも少しでも幸せを感じてくれていたらいいのですが。今はとにかく、感謝しかないですね。ありがとう!ほんとにほんとにありがとう!
20代 女性 ニア君まま
黒猫の男の子で名前はニア君、とっても人懐っこい甘えん坊で誰からも可愛がられるほんとに特別な子でした、ままの事もいつも大好きだよってキスしてスリスリしてくれる子でした。ぬいぐるみとテレビと同居猫のエリオちゃんが大好きな優しい子でした。尿結石を患っていて、その日症状が再発しておしっこが出なくて唸っていました、しかしその日は夕方から仕事なんですが、いつもより早上がりでしたので仕事にいってしまったんです、次の朝に病院に行こうねと言って…後悔してもしきれませんこの日に戻れるならなんでもします
帰ってくるといつも御出迎えしてくれるニア君の声がしません、トイレの近くに横たわるニア君の姿が見えました…ニア君の身体はもう固くなって目は遠いい所を見ていました、私はパニックになり生き返ってーと何度も泣き叫び抱きしめました
24時間営業の病院にも電話して助けて下さい!うちの子を助けてと言ったのですが、固くなってるならもうその子は助からないよと言われました、気が狂いそうな気持ちになりました、仕事場の店長やキャストの子がずっと電話してくれて朝も家にきてくれました、そうじゃなかったら何をしていたかわかりません。火葬する時も泣き崩れてしまい立って居られませんでした。
あんな大きかったあの子がこんなに小さくなってしまって悲しくて苦しくて、今も泣くことしか出来ませんごはんも美味しくない。でもニア君は今虹の橋の麓にある素敵な場所にいるらしいので、私が死んだらそこで再会して、キスして抱きしめあった後にそこのニア君のお気に入りスポットや楽しい所を案内して貰おうかなっとそれを楽しみに生きるしかないですね(ʃᵕ̩̩ ᵕ̩̩⑅)シクシク
50代以上 女性 匿名
でも無理に立ち直ろうとは思わない。しばらくは、思い出に寄り添って生きます。
40代 女性 匿名
40代 女性 匿名
何年経っても最期の時がリアルにフラッシュバックするのも。
なんでもかんでも特別な名前をつけては、その名前だけが一人歩きする風潮は好きじゃない。
40代 女性 匿名
50代以上 女性 イクラ
18歳と10カ月でした、17歳過ぎてから、後ろ足が動かなくなり寝たきり生活一年と半年。主人と二人で介護生活をやりきったので悔いはないです、小さい頃から賢い子でお留守番が多かったけどお利口さんでした。今は写真を飾って毎日行ってきます!ただいま〜!と笑顔で声をかけています
40代 女性 ネオメンママ
悲しみにひたりなかわらも、すぐに次男を迎えました。しかしいまだに泣き、悲しみに襲われます。そんなとき次男が、母ちゃん僕がいるよって言ってくれてる気がして、長男にしてやれなかったことを全部してあげようと、奮起できてます。
長男のお骨はまだ家にいます。毎日ありがとうねとおやすみを言います。
50代以上 女性 ちょび
1年半前から認知症を発症、半年前からは夜泣き、首の捻転、足腰の衰えで24時間ヒステリックに泣き叫ばれ主人と交代で昼夜を問わず介護を続けてました。
1ヶ月前、(夜間有人で預かってくれる施設はほとんど無く)やっと見付けたペットホテルに一晩お試しで預けたところ帰宅後から2日間飲まず食わず排泄もなく、夜中に救急病院へ駆け込みました。
結果、命に関わる腎盂炎で緊急入院しましたが奇跡的に回復。生涯点滴を続けることになったものの、食欲も排泄も元通りに戻り、体重も増え問題ないところまで来ました。
認知症状も元通りになりましたが、この動物病院ではホテル入院という形で24時間看護が受けられ私たちの疲労が限界だったこともあり、その後も病院ホテルとして週1回、2回利用しました。
自分たちの休息のために2日間預かって頂き、その間も医師看護師に見守られ退院時の血液検査も今までで一番良い状態。点滴回数も減らすお墨付きをもらうほど良好な状態で皆笑顔で退院し、車に乗せ病院を出発。しかし直後に息をしていないことに気づきそのまま病院に戻りましたがもう間に合いませんでした。
医師でさえ呆気にとられるほどのまさに突然死でした。
こんなに愛しているのにこの子はいつまで生きるのだろうと思い詰めるほどの中、安心して預かって貰える施設にも巡り会えたしまだもう少し介護看護をさせてくれると心のそこから喜んだ瞬間に旅立ってしまった。
こんなに早く旅立ってしまうと分かっていたらどんなに辛くてもそばにおいて置いたのに。
私たちが楽をしたいばかりにあの子の命を縮めてしまった。
認知症で何もわからないように見えてもそれでも住み慣れた我が家で私たちのそばがあの子の一番幸せな居場所だった。
ここからはあの子にとって辛い日々だったのだから苦しまないで逝ったことは良かった事と
分かってはいてもやはり悲しい。寂しい。悲しい。寂しい。
こんなに長生きをしてくれて介護までさせてくれてこれほどの贅沢はないのだろうけど、
泣けて泣けて泣けて。
ありがとうとごめんなさいで涙が止まりません。
50代以上 女性 匿名
40代 女性 匿名
長年の慢性膵炎に加え、大きな癲癇発作を2度起こしてから認知症が始まり、
1年前から徐々に身体の自由がきかなくなり、半年前から後ろ脚が立たなくなりました。
それから夜鳴きが酷くなり、どんどん認知症の症状も悪化。
殆ど母親が面倒を見ていましたが、介護疲れでもう限界だと言っていました。
鳴き続ける愛犬を両親は責めました。母親は介護疲れからですが、
父親はすぐカッとなる性格で、愛犬に手をあげたり怒鳴ったり。
私は仕事でほぼ家にいなかったのですが、
虐待ともとれる状況の時に遭遇したときは父親を制止していました。
そんな中でも、必死に生きていた愛犬。
そして1週間前、嘔吐を繰り返したので病院に行った所、入院。
次の日の検査で肝臓と腎臓の値が悪く、更に肝臓には数個の腫瘍があると。
入院中、下血も起き、このまま治療しても苦しむだけだとのことでした。
この子の為に安楽死を勧めるが、決めるのはご家族で決めてくださいと言われたそうです。
以前から安楽死反対の母親でしたが、嘔吐した時の悲痛な叫びを聞いて
これ以上苦しませるのは可哀想だと安楽死を決断しました。
母親が最期に愛犬と会った時、愛犬はガタガタ震っていて、
母親の顔を見て涙を流したそうです。
母親は、薬を注射される所は可哀想で見られなかったと。
前から寝てる時にスッと逝ってほしいねと言ってましたが、
一番最悪な状況での最期を迎えさせてしまって
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
しかし、私は安楽死反対ですが、あれだけ父親に酷いことをされ、
身体は病気に蝕まれ、夜中にずっと鳴いてたのは痛かったからだと知り、
苦しんでいるのをこれ以上長引かせるより、
早く楽になった方がいいのでは、という思いで
今回の母親の決断には賛成しました。
だけど、これでもう痛い思いをしなくていいという肯定と、
本当は家に帰りたかったのではないか?
数日には大嫌いな病院ではなく、家で自然死を迎えられたのではないかという思い、
答えなのでない安楽死の賛否。
そして仕事を理由に介護を手伝えなかった事の後悔で葛藤が止まりません。
しかし、私よりも多くの時間を過ごした母親は私の何十倍の葛藤をしているようで、
ペットロスになるのは確実な状況です。今、既に魂がぬけているような状況です。
特に亡くなる前、数ヶ月間の認知症が重くなった期間は、
母親も手を出していたようなので、何でそんな事したのかと自責しているようです。
私は愛犬の死を悲しむと同時に母親のペットロスをどう防いだらいいかを模索中です。
そして色々調べているうちに、こちらにたどり着きました。
これから先どうなるのか不安しかないです。
今は本当に愛犬にはゴメンねしか言えないです。
50代以上 男性 ポン太も幸子も逝っちゃった!
ポン太幸子とも精一杯生きてきたつもりです。
ようやく、最近次の子を迎える考えになりはじまました。
10代 女性 あや
30代 女性 匿名
大事なペットとの別れが近い時、別れ際のこともちゃんと考えておけばよかったな、というのが私の後悔です。
いざその時が近くなり、予兆もあったのに、私が猫の死を知らなかった為に、静かに見守って、送ってあげる事が出来なかった。
最後にかけてあげた言葉が、「もうダメか?ダメなの?」になっちゃった。「ありがとう」「大丈夫だよ」って、体を優しくさすってあげたかった。
他にもお世話しなければいけない猫がまだ3匹も居るのに、脱ペットロスにはまだ時間がかかりそうです。
50代以上 女性 はこ
子犬の頃からあまり身体が丈夫な方ではなかった為、病院にはよく連れて行っていた方だと思います。
でも、最近病院に行っていないねと喜んでいた矢先、なんだかおしっこの色がおかしいのと2、3日食欲が少し落ちたようなので、半年ぶりに病院に連れて行きました。
すると、末期の肝臓癌で、手のほどこしようがない状態と言われました。
その時は今までと変わらず元気だし、とっさには信じられませんでした。
でも、だんだん弱ってきて、2ヶ月半後に亡くなりました。
亡くなった後は、私の心は空っぽになり、死んでしまいたいくらいでした。
夜は熟睡出来ず、亡くなった時間ごろになると目が覚めます。
なので、今も毎日睡眠薬を飲んでいます。
少しずつ辛さが和らいできているのかなと思う時もありますが、いろいろな後悔が出てきて、また以前の悲しい気持ちに戻り、涙が出ます。
新しい犬を飼えば少しは気持ちが落ち着くかなとも思いますが、その犬へ亡くなった犬を重ねてしまいそうで、新しく飼う犬にも可哀想な思いをさせそうで、なかなかそれも出来ません。
叶わないことはわかっていますが、戻ってきて欲しいです。会いたいです。
50代以上 女性 カフェ君ありがとう
つまづいたりするようになって、ある日突然足が痛いのかびっこを引くような歩きにくさでそれが日曜日。ただ、歩けてたから急を要することないかと次の日に病院にと考えた結果が母親としては最低だったと。日曜日の夕方うんちをした後お尻を拭こうとシッポを持ち上げたら左後ろ足の付け根の部分が赤くただれ腫れているような。その時に緊急で病院に連れて行ってやってればと。
月曜日の朝方に左足を見たら足の先の方までパンパンに腫れてしまって足の色が変わるくらいになっていました。朝イチで病院に連れていくも即入院。良くなって欲しくて入院をと先生に託して一度家に帰宅。夕方病院に面会に行った時看護師さんが連れて来てくれたカフェ君を見て、もうあかんやろぉーと。前足、後ろ足がピィーンと伸びたまま、口から舌がベロォーンと出て意識があるのか目を見開いたまま。抱っこしてやって、もうお家帰ろうって言ったのが最後。先生の話を聞くのに我が子を手放して病室に戻したのを後悔。
悔いても悔いても悔やまれず。先生からのお話を聞いてた最中に呼吸が浅くなって呼吸がとまったと。なんでやねん?それがわかってたらなんで我が子を私の腕の中に戻してくれへんかったん?と先生を恨む。
そんなこと思ったらあかんってわかってるのに誰かに責任転換しないと心が折れてしまう。歩くのがままならなくなった時点で緊急で病院に連れて行ってやらなかったことに対して後悔。病院にやからと思って入院させた時、なんとも言えない顔で目で私のことをじっと見つめた目が忘れられなくての後悔。
抱っこしてた手を離してしまった後悔。自責の念に駆られ続けています。どうしても病院で別れた時のなんでボクを置いていくの?って言って恨めしそうな目が忘れられなくて急に涙があふれでてきます。
後悔、そして何もしてあげられなくてごめんねと。会いたくてもう一度抱っこしたくてたまりません