飼い主さんに自分の最期を見せないわんこさん達
私の小さい頃のお話ですが「犬は飼い主に死に際を見せない」という言葉を聞いたことがあります。
皆さんも、もしかしたらこの言葉に聞き覚えがあるのでは無いのでしょうか...
ずっと一緒に暮らしていたわんこさん達が、ある日突然いなくなってしまってそのまま何処かに行ってしまったというお話や、見つけた時にはもうすでに亡くなっていたなんてお話を時々耳にします。
私たち飼い主としては、長年一緒に暮らしてきた愛犬をこれまでの感謝の気持ちを込めて、腕の中で看取りたいと思う事でしょう。
ですが、「わんこさん達の死に目に立ち会えなかった」という飼い主さん達は少なくないと思います。
死に際に飼い主さんの元から離れるのは「動物的犬の本能」
飼い主さんへの愛情や信頼感から、静かに息を引き取っていく選択をするわんこさんもいると思います。
しかし、この「死に際に飼い主さんの元から離れる」という行動の根本的な理由には、やはり動物としての本能が隠されている様な気がします。
自然界に生きる野生の動物は、弱っている事を悟られないように痛みを我慢するといいいます。
そうして誰もいない静かなところで体を癒し、病気やケガの回復をじっと待つのです。
飼い犬の中には飼い主さんに甘えて、大げさに痛がったり、仮病をしたりするわんこさんもいるそうですが、動物たちは、産まれる時と死ぬ時に最も本能が出るそうです。
それは、動物にとっては一番弱っている時だからでしょうか。
いつ襲われるか分からない自分の姿を、敵や周りから隠すためあるいは、自分を守るためという動物的な本能が働くのかもしれませんね。
自分の老化を悟り、飼い主さんの元から離れるわんこさん
私たち人間もそうですが、老化というのは筋力が低下してしまい、これは休めば治るというわけではありませんよね。
筋力が低下して動く事もままならなくなっていき、動かなくなる事でさらに筋力も低下していくという悪循環が起きてしまいます。
老化を迎え、死が近づいていると悟ったわんこさんは、誰もいない場所で敵などから身を隠して体力が回復するのを待とうとします。
しかし、老化で体力が回復する事がなくそのまま死を迎え、誰にも気づかれないまま土に返っていってしまいます。
犬の不思議な行動には、生き延びようとする野生の本能と知恵で行動している可能性があります。
まだこのお話はあくまでも仮説でしかないですが、現在最も有力な説として考えられます。
最近は室内犬が多いので事情も変わってきている様ですが、
「さっきまで元気だったのに少し目を離したすきに死んでいた」
「わんこさんの介護をしていて少しの間離れて戻ってみたら死んでいた」
というお話を耳にします。
これはもしかしたらわんこさん達の「自分の弱いところは見せまい」という本能が働いていて、飼い主さんが見ている前では必死に頑張っているのかもしれませんね。
もし愛犬の最期を看取れなかったとしても後悔しないでください
もしわんこさんの最期を看取れなかったとしても後悔をせず、今までの思い出に感謝しましょう。その気持ちを込めてお墓を作ってあげるのもいいと思います。
そして居なくなってしまった愛犬を探しても探しても見つからなかった場合「どうしてあの時、側を離れてしまったのだろう...」等の後悔の気持ちが溢れてくると思いますが、それはわんこさんが選んだ道なのです。
それを受け入れてあげてください。
その場合、遺骨はなくてもお墓を作ってあげてもいいと思います。
わんこさんが居なくなってしまってから何か月後、何年後、何十年後でも、飼い主さんの気持ちに整理がついたときでいいと思います。
わんこさんは、飼い主さんのその気持ちだけで嬉しいのです。
私も小さい時に飼っていたわんこさんが外で飼っていた為、ある日突然居なくなってしまい、最期を看取れなかった事があります。
もう年老いていて、ボロボロな状態で居なくなってしまったために、とても心配し学校から帰っては近所などを探し回りましたが、とうとう見つける事が出来ませんでした。
そんな悲しい時に近所のおばさんから「犬は死に際を飼い主に見せない」って言われたので余計に悲しくて泣いてしまいましたが、そのおばさんと一緒に大きな石に愛犬の名前を書いて、お墓を作ってあげた覚えがあります。
お墓参りする事で、居なくなってしまったわんこさんに会えるような不思議な気持ちにもなりました。
死に際を見せてくれないわんこさん達、飼い主さんにとっては辛い事ですよね。
いくら人間との付き合いが長いわんこさん達とは言え、まだまだ動物としての野生本能は残っているものです。
最期を看取れなかったとしても、愛犬の気持ちを受け入れてそっとしといてあげることも大切な事なのかもしれません。
ユーザーのコメント
50代以上 男性 安藤です。
40代 女性 あらしば
そんな優しい次元がいなくなったのは、癌で入院中だった母が亡くなった時でした。昼夜、付きっきりで母の看病をしていた私は、居なくなったことにすぐに気付いてもあげられなかったのです。悔やんでも悔やみきれません。
母のお葬式が終わってから、預けていた兄弟に次元がいなくなった話を聞き、探し回りましたがとうとう見つかることはありませんでした。今でも次元の事を思い出すと涙が止まりません。ですが記事を読んで、楽しかった事を思い出すように努力していこうと思いました。
40代 女性 匿名
。家に帰りたかったろうなぁと謝りたい気持ちでいっぱいです。
40代 女性 匿名
最初に亡くなった長男はその日の朝、私が起きてくるまで頑張ってくれました。
朝御飯をちゃんと食べて、それから亡くなりました。
みんな私が後悔しないように見送らせてくれたのかな、と思ってます。
女性 ゆん
亡くなる数ケ月前からあまり体調が良くなくて
入院したり、通院したりが続いていました。
亡くなる4日前に突然倒れ
尋常じゃない具合の悪さで立っていられない状況でした。
病院に連れて行っても入院中に死んでしまう気がして家で看取ろうと
3日間は殆ど眠らずに、つきっきりで看病しました。
次第に体の温かみがなくなってきて
そろそろお別れだなと覚悟していたのですが
4日目の朝
不覚にも彼の横でうたた寝をしてしまい、慌てて起きると
甘えん坊の彼はひとりで旅立ってしまっていました。
その時は、ものすごく後悔して亡骸に「ごめんね」と何回も言ったけれど
最近では泣き虫の私に旅立つ所を見せたくなかったのかな?
と考えるようにしています。
40代 女性 さくさくら
2匹目は癌になり、もう手の施しようがなくなってしまい一週間程具合が悪くなりいよいよ終わりかと思っていたら、最期の力を振り絞り私の側まで歩み寄りちび太と同じように、私の手の中で旅立って行きました。
今は三匹目をかっていますが、この子も私の手の中で看取ってあげればと思っています。まだ先の話ですが…
50代以上 女性 匿名
10代 女性 ゆうき
ところが2、3年前にシロアリ駆除をしてもらうのに業者さんに軒下で作業してもらっていたら丁度脱衣所にあたるところのしたに動物の白骨死体があると言われ大きさも犬と言うので取ってきて貰いました。
次の日祖母は、おかえりと言いながらお骨を埋めていました。
40代 男性 匿名
最後の2日間はほとんど寝ず様子を見ていましたが、亡くなる前日の夜から呼吸が早くなり体も熱くなり。抱っこをしている私の体が熱を持つほどでした。必死に呼吸をしているのに息苦しさを取ってあげることもできず見守るしかなく。
明方4時30分までは覚えています。次に確認したのが5時30分。えっ、寝落ちした、と思い愛犬を見ると息をしていませんでした。体はまだ熱を持ち、必死に名前を呼び続けましたが息を吹き返すことはありませんでした。
最後を看取る事が出来なかった後悔で何日か火葬ができずそばにいましたが、周りの友人の説得で、ようやく火葬できました。遺骨は今も一緒にいます。
30代 女性 さらみな
フィラリアにかかり最後は本当に見ていられない程辛そうで本当に申し訳なくて何回も謝りました!亡くなったら心が無になり思い出すたびに泣いていました。
最近実家の雑種犬が11才で旅立ちました。弱っていましたがまさか…こんなに早くお別れが来るなんて思っていませんでした。私の娘達が死に直面して号泣しました。一緒に火葬場に行き泣きながらお別れをしました。悲しいけど最後まで看取れた事を幸せに感じます。
50代以上 女性 匿名
50代以上 女性 匿名
重度の糖尿病で合併症になり、5日間点滴とか治療しましたが、対応が遅すぎた。
自宅で看取りたいから、病院に引き取りに行く予定してましたが、個人病院だったので、ちょっと留守してる間に亡くなってたとの事。
誰にも付き添われずに亡くなったと思うと、申し訳なさと自責、後悔の毎日を送っています。
許してくれますか?遺骨の前で問いかけています。
30代 女性 匿名
30代 女性 匿名
50代以上 女性 匿名
4日間 何も食べず見てるのが凄く辛く 私の事はいいから辛かったら楽になっていいよと声をかける程頑張ってました
とても従順で甘えん坊で最後迄頑張り屋で。
結局最後を看取る事が出来ませんでした
凄く後悔で抱きしめながら謝りました
でも前の晩やたら離れて玄関の前にポツンと座りこんでたので見られたくないのかなぁっと思いました
今日お経を読んでもらい火葬しました
今はまだ気が抜けて涙が出ます
でも良く頑張った愛犬にお疲れ様と、やっと楽になったねと言う気持ちです
10代 女性 匿名
最近に犬がなくなってしまいました。
わずか10才ちょっとで、物心ついた時から一緒にいている犬が突然死…最後を看取れなくて、冷蔵庫の前で亡くなってた。多分朝の5:25前?くらいに。
悔しくてずっと泣いてます。本当にまだ現実を受け止めきれなくて、
いつも学校から帰ってくると聞こえる足音も お休みや行ってきます が言えなくなった。
口、目が開いたままの私の犬は今にも動きそうだった。
いつも帰ってくる前からなにかを察して小さい尻尾をフリフリする、だーいすきなパパが帰ってきても起きなかった。
これで2日目、犬が帰ってくるのを待ってる私
40代 女性 ゆうき
ちょうど四年前の夏、入院中の義母が危篤状態になり、家族全員で向かう前に私一人でホクを動物病院に預けに行きました。
大きな既往症もないコだったので特に不安もなく、この日も数日だけ離れる程度の気持ちで、預けてからさっさと帰ってしまったんです。暑かったのでかなりゼーゼーしていたのが気にはなりました。
義母の不安定な状況の続く夜、動物病院から電話があったんです。見回りに行ったら亡くなっていたと。
目の前が真っ暗になり…そこから動物病院まで家族で戻るまでの記憶が曖昧です。あまりにも突然なお別れに混乱してしまい、自分を責めたり後悔したり…今でもその気持ちは整理出来ていません。
その数日後、ホクをとても可愛がりホクもとても懐いていた義母が亡くなりました。
いま思うと、認知症状の出ていた義母の道案内をするために先に旅立って待っていたのかなぁと。いつか再会できたら、甘えん坊だったけど最期は一人で頑張って立派だったね、と言ってあげたいです。
40代 女性 匿名
20代 女性 匿名
40代 女性 匿名
何度か入院したことがある病院でしたが こなは具合が悪いからすてられたと思ったまま死んでしまったんじゃないかと後悔しかありません。
おとなしくかわいらしかったこな。
子宮の病気で手術をしてそれでも貧血がなおらずダルそうにしていたこな。
その日もダルそうにしていたから病院に連れて行き入院させました。
それが最期に見たこなの顔。
次の日仕事の後お見舞いに行く途中の私に病院から着信があり こなちゃんが息を引き取りました と。
何故ひとりで死なせてしまったのか 私を待ってたんじゃないか さみしかっただろう 苦しい中私を探したんじゃないか 何年たってもその思いしかありません。
なぜあと30分はやく病院にむかわなかったのか 最期にそばにいてやれなかったのか 後悔しかありません。優しくておだやかで大好きでした。
普段はこなと一緒にかっていた犬たちのお世話で気がまぎれますがふとしたときに こなを一人で死なせてしまった その後悔とこなは私を探していたのではないか?すてられたと思ったまま死んだのではないか?とこなの気持ちを思うと胸がはりさけそうです。何年たっても変わらない 苦しい後悔です。私が家を出るのが遅かったからこなは一人で死んだ 入院させなければいつもの場所でみんなと一緒にいられたのに 看取れなかった後悔とさみしい中死なせてしまったであろうこなの気持ちを思うと時間薬なんてないなと思います。こなごめんね。一人にさせてごめん。大好きだったのに大切だったのにね。苦しいです。
40代 女性 匿名
20代 女性 匿名
2月で14歳になる直前でした。
ミニチュアダックスの我が家の末っ子的愛犬が旅立ちました。夕方まで元気だった子が夜になってご飯を食べず、何故かしっぽをずっと元気に振りながらもヨロヨロと歩いていました。そのあと顔も上げられなくなり冷たいところを探して寝ていました。夜中も辛い体を引きずって寒いベットの下まで行き朝方とても体が冷えていたので急いで病院に連れていき、体温計が反応しないほどの低体温症になってしまっていました。
そのまま入院して血液検査をしましたが肝臓の数値が異常に高く、会いに行った母のこともわからない程弱りきっていました。
翌日の朝早くに、病院から亡くなったと連絡を受け涙が止まりませんでした。
病院が開くのを待ちすぐ迎えに行きました。
大きいダンボールに綺麗な布をかけてもらったうちの子を見た時はボロボロ涙がこぼれました。
家までの道中、車が揺れると時たま体に残った空気が鼻から出てスースーとまるで寝息を立てているような声にまた涙が出ました。
家に着き見慣れた風景の中でダンボールの中で眠っている姿はすごく違和感があり、眠っているようなのにそうではないんだと何度も思いました。
仕事を休めずひとしきり泣いた後、行ってくるねと言って家を出ました。
仕事をしても倒れた日の夜のこと、今朝の違和感、もうフォルダーに残っている様な元気な姿が見れないこと、お散歩にもっと連れていきたかった、もっとたくさん遊んであげれば良かったと後悔ばかりで、涙がじわっと溜まりました。
お昼頃火葬に合わせて中抜けし家に帰りました。
ダンボールの中にはピンクと紫の濃い花がたくさん入っていて、濃い色がすごく可愛くて似合っていました。お気に入りのおもちゃもいつもは一つだけのおやつも沢山、最後に食べられなかったご飯も入れてあげて、家族に本当にたっぷり撫でてもらって、帰ってきた時はボサボサだった毛並みがつややかになっていました。
16時頃に業者が来てくれて可愛いカゴにあの子を移すとき、抱っこされたあの子が、だらんとした姿を見て、あぁ本当に死んだんだと改めて感じました。
小さな遺骨になって可愛い骨箱に入ったこの子を見て、なんだか初めてそこで安心しました。
あの子の小さい頭蓋骨が1番上に乗っていてしっかり重みも感じてやっと帰ってきたと感じて心が軽くなりました。
あの状態からの回復は本当に可能性はゼロに近くわかってはいましたが、どこかで期待している自分がいて、でも家で看取ることはできませんでしたがきっと暖かいところで朦朧とした状態でしたのでどこにいても、同じだったときっと夢の中幸せだったと言い聞かせて心を落ち着かせました。
虫の知らせという言葉が正しいのかわかりませんが、一週間前なかなか来れないおばとも会い、珍しく雪の降らない今年の冬唯一積もった日に少し玄関先に出て不思議そうに雪を踏んで、その後お風呂に入れていつもより長くお湯に浸かってくれて、ご褒美におやつをいつもより沢山何故かあげて、倒れる日の夕方遊んでる様子をたまたま妹が動画にとっていました。
そして亡くなったその日は春一番の風が吹いた翌日で、今年1番の暖かい春のような一日でした。そんな日差しの中空を飛べたこの子はきっと幸せだったと信じます。
虹の橋が本当かはわかりませんが、家族の誰かが橋を渡るまで時間も忘れるほどに遊んでいてくれるといいなと思います。
人間と動物は逝くところが別とはよく聞きますが、私は絶対に会えると信じています。
でも、しばらくは家の中にいてくれたら嬉しいなとも思っています。
この子の小さかった記憶も元気だった記憶も怒ってる記憶も倒れた日のことも空に上がった今日のことも生涯忘れることは無いです。
ありがとう大好きずっとそばに居させてね。
20代 女性 匿名
6月23日に18歳のお誕生日を迎えて大好きな野菜たっぷりカレーと♡に型どったチーズを乗せた特別なご飯をいつも通り完食して元気に歩いて過ごしてました。
しかし30日の朝突然立てなくなり慌てて病院に駆け込んでご飯もあんまり食べれないし水分も取れないのでブドウ糖を点滴してもらう為に入院して一時期はご飯も食べてお水も寝ながらだけど飲めるようになり立つような仕草も見せてた為奇跡の復活を果たしてくれるかもと思っていました。
しかしその願いも虚しくまた食欲も無くなり臓器も全て使い果たしてるからどうしようもなく「ブドウ糖」を点滴する為に2、3日通院しましたが9の夜に私の隣で眠るように亡くなりました。
亡くなるほんの少し前に顔を上げて尻尾を振って「今までありがとう」って伝えてくれたような気がしました。
私が保育園の頃から居て妹のようでおやつやお弁当のおかずを取られたりして喧嘩もしたけど最後まで可愛いくて愛おしい妹でした。
天国でも元気でね♡
40代 女性 匿名
私にとって初めてのわんこです。
皆さんの壮絶な体験談を読んで、涙しました。
いつかは老いる愛犬。
最後の日が来るまで愛します。
50代以上 女性 小桃のかあやん
虹の橋でいつかまた会える日に備えて、元気に走り回っていますよ。
私は今、7歳のチワワ(♀)と暮らしています。
きっと折り返し地点に来たのでしょうね。
お別れの日を考えただけで苦しくなります。
その日が来るまで、精一杯愛してあげようと思います。
考えたら、この子からは返せない程の愛をもらっていますよね。
きっとみなさんのところも。
40代 女性 匿名
病気治療をしながらですが、一年ぐらい前から歩けなくもなり、徐々に年を取っていきました。
命日となる日の3、4日前に始めて癲癇のような痙攣をおこし、かかりつけ病院に行きました。翌日は休診日で鎮静剤をもらい、その日は症状も夜に二度とあったものの翌日の休診日は症状もなく、荒くなっていた呼吸も落ち着いていましたが水も飲まなかった、、その翌日の早朝に呼吸が荒くなり病院に行き、この子がいちばんしんどいのは何か、それを緩和させてやりたいと覚悟を決めて言いました。一緒に居たかったけど水分の点滴を勧められ、残して帰りました。翌朝早朝に亡くなった連絡があり、先生方みなさんの帰宅後に、ひとりで息を引き取ったとのことでした。
ひとりで天国に向かうのは本当に怖かったと思います。寄り添って看取ってやりたかった。
家に位牌などが用意できた今、楽しかったことと後悔が代わる代わる押し寄せ、悲しみが深くなるばかりで涙が溢れます。
40代 女性 匿名
40代 女性 ムゥママ
朝までは、ご飯もいっぱい食べて一緒にお昼寝もしてたのに、
夕方頃に、涼しいお気に入りの玄関に一人で行き、
そこで寝てたので、特に気にしていませんでした。
乳癌の宣告受けて1月、まさかこんな早くに亡くなとは
微塵に思っていませんでした。
何となく気になって様子を見に行くと、息絶えており、
絶望と喪失感で何もする気が起きず、看取ってやれなかった
後悔が募るばかりでした。
今回の記事を見て、少し救われた様な気がします。
40代 女性 くう♪のママ
12年でしたが、朝は元気にご飯を食べ、私は仕事に、子供達はそれぞれ学校に行きました。
夕方、仕事が終わり、帰宅すると…
ケージの中で、いつもどおりの寝姿で起きてこないオリーブちゃんが。
ケージを開けて、名前を呼び、触ったところ、既に冷たくなっていました。
綺麗なままの姿で、いつもと変わらない寝顔のようにいたオリーブちゃん。
きっと、みんなに最期の姿を見せず、そして苦しんだ様子もない事から、眠るように虹の橋を渡って行ったんだと思います。
その時には、そばにいてあげられなかった自分になんで?と怒りや後悔がありましたが、この記事を見て、少し心の中の後悔が軽くなったような気がしました。
楽しい思い出をありがとう。
オリーブちゃんは、最後まで美人な女の子のままでいてくれました。
出逢えた事に感謝しています。
50代以上 女性 ふ〜ちゃん
最後は看取れました。余り苦しまず天国へ旅立ちました。
愛護センターから家族として迎えた子で誰からも愛される様にラブと名ずけ名前通り愛されました。
飼い主よりミニダクの男の子が凄く寂しそうです。
母でありお姉ちゃんで有ったラブちゃんが居なく成って。
ラブちゃんの分迄ミニダク11才ふ〜ちゃんを愛し暮して行きます。ラブちゃん天国から見守ってね
ありがとうラブちゃん。
50代以上 男性 匿名
親犬は、ガンで左目をやられていたのに、左目が見えないのに、子供の犬が寄って行くと、顔を舐めるような気の利く犬でした。
15年生きたのに、半年もの間ガンで苦しみ亡くなりその日自分が学校から帰ってきた時には動かない状態でしたが、体が暖かく感じた為、聴診器で心音を確かめた所、未だ弱々しく打っていて段々と弱まっていき、自分の事を待っていてくれたのだと、考える事が出来ました。遺骨は、未だ手元に有りますが、家の誰かが亡くなった時に一緒に墓に入れる予定にしています。
50代以上 男性 金ちゃん
20代 女性 匿名
ガンで数ヶ月闘病生活していました。
でも、私が寝る前の日課である
筋トレをしていたところ…
私の方に寄ってきて、ジーッと見つめてきたので…
私は抱き上げました。
そしたら…
私を見つめて、ぐったりと体に力が入らなくなり…瞳が細かく揺れて…息をしなくなりました…。
最期の時、私の腕の中を選んでくれてのが、何故だか分かりません…。
最期は飼い主から離れるという記事はよく見かけますが、逆のことを書いてる記事を見かけたことがありません。
嬉しいですが…
何かを伝えたかったのなら、それを知りたいです…。
20代 男性 匿名
30代 女性 匿名
50代以上 男性 まさひろ
亡くなるとき オシッコとウンチをして 綺麗に片付けてあげるとありがとうと言わんばかりに顔を見てきて もの凄い勢いで尻尾をフリフリしながら亡くなりました
あまりの凄い尻尾のふりに まだまだ元気だねと笑いながら話しかけていたのに 尻尾が止まった時に生き絶えるとは… 私は5年経った今も泣いちゃいけない気がして泣けません
20代 女性 匿名
私は大学進学のために実家から遠く離れた地に住んでおり、長期休みに合わせて帰省をしていました。夏休みの帰省後に愛犬に骨肉腫が発覚し、簡単に帰ることもできない距離でいつ愛犬が亡くなるかも分からない日々を過ごしていました。冬休みに入って直ぐに帰省すると、横たわって自分で動くことができず、痛みで鳴いている愛犬の様子に初めは戸惑いを隠せませんでした。小さい頃から元気いっぱいで可愛い姿だった愛犬の苦しそうな姿に、涙が溢れました。短い帰省期間の中で、私ができる精一杯のことをしてあげて、今までありがとうの気持ちを伝えることができました。また実家から離れなければならず、愛犬を最後に撫でてお別れした時のことは今でも忘れられません。帰りの飛行機も電車も涙が止まりませんでした。私が実家を出た2日後に愛犬が亡くなったと連絡を受け、とても悲しくもっと一緒にいたかったという気持ちでいっぱいでした。きっと愛犬は私が帰省してくるのを頑張って待ってくれていて、悲しまないように私がいなくなってから亡くなるという選択をしたんだなと思いました。たくさんの癒しをくれた愛犬には感謝の気持ちしかありませんし、家族の元を離れて初めて気づけることもたくさんありました。これからは生きてるうちにたくさんの感謝を伝えていきたいと思います。
20代 男性 匿名