なぜ「犬好きに悪い人は居ない」と言われるようになったの?
何万年も昔から最古の家畜動物として人間と共に生きて犬が、最初に与えられた役割は「護衛」です。家族や家畜を護り、危険を知らせる役割を担っていました。これは群れを護るという本能行動で、共に暮らす人間を群れの仲間として護ってきた古い歴史があります。
日本でも昔から犬を番犬として外飼いしていたように、犬は危険を察知する能力に優れています。
- 怪しい侵入者に対し吠える
- 家族に危険を知らせ吠える
- 外敵と戦い護る
- 怪しい動きや雰囲気に警戒する
これらは、家庭犬として生きる現代犬にもみられる本能行動です。
犬が吠えるのは危険を察知している
"泥棒"や"侵入者"に対して、吠えて追い払ったり飼い主に危険を知らせる行動をとるため、「犬に吠えられる人は怪しい」「悪い人だ」と冗談のように言われるようになったと考えられます。
とても良い人なのになぜか犬に吠えられてしまう人、犬が大好きなのに警戒されてしまう人、何もしていないのに犬に咬まれたことがある人は、犬の本能的な行動を見た飼い主が、面白がって言いはじめたとも言われています。
犬に吠えられるのは「悪い人」だから?
ここで小咄をひとつ。
娘が交際相手を紹介しようと父親に話をします。
父親は「うちの犬が吠えなければ会ってやろう」と言いました。
幸い交際相手は大の犬好きで、他の犬に吠えられたこともなかったので、二人は安心して父親へ挨拶にいきます。
しかし、不思議なことにこの犬は、交際相手の姿を見るなり激しく吠え興奮がおさまらず、結局父親とは会うことができませんでした。
「犬好きに悪い奴はいないが、犬に吠えられるのは悪いことを察知しているからだ。」と、父親に強く反対され結局二人の関係は終わってしまいます。
その後、何人か父親へ紹介しようと同じように家へ招きますが、必ずこの犬が激しく吠えたて、父親は誰とも会うことがありませんでした。
その数年後、犬も年老いて寝ていることが多くなり誰が来ても吠えなくなりました。そして、ようやく父親に会わせることができた相手は、「犬がとても苦手」な人でした。
父親は、犬が吠えることもなかったので、シブシブ二人の交際を認めることになりました。
実際は、「交際相手と会いたくない」「娘を嫁に出したくない」と思っていた父親が、見知らぬ相手には指示を出すまで吠え続けるよう教え込んでいたようです。
「犬好きに悪い人はいない」というのは、状況に応じて様々な使い方をされてるということなのですね。
犬が懐かない…犬に警戒される人は怪しいのか?
どんなに人間側が犬が大好きだと言っても、飼い犬以外の犬が"すぐに懐く"というのは珍しいことです。もちろん、人間が大好きなワンちゃんもいますが、なぜか犬から選ばれない人もいます。
全ての犬に当てはまるわけではありませんが、犬はどんな気持ちで「犬好きな人」に対して警戒吠えするのでしょうか?
警戒心、縄張り意識の強い犬や比較的吠えやすいと言われる犬種もあります。
常に誰にでも吠える犬は、「犬好きな人」「犬嫌いな人」どちらにも吠えます。【悪い奴】だから吠えているのではなく、見知らぬ人、自宅に訪れる人、物音などに対していつも吠えるのです。
不思議なことは、どんな人にも吠えない。誰にでも友好的で人が好き。初めての人にもなつくような犬が、「犬好きで何の害もない人」に対して吠えることです。
吠えられた本人はもちろんショックですが、飼い主さんは申し訳なさと、不思議さで戸惑うことになります。
これは、犬からすれば警戒しなくてはいけない行動やしぐさが知らずのうちに出てしまっていることが多いためです。
- 目線を合わせたまま近づく
- 声が低い
- こっそり近寄って触ろうとする
- 無表情で犬を見下ろす
- 飼い主に警戒されている など
「飼い主から警戒されている」場合は、今後その犬と仲良くなれる可能性は低くなるかもしれません。なぜなら、犬は飼い主の気持ちや、心境を感じとるからです。飼い主が怪しい、この人苦手と思っている相手には、犬もなつかない、警戒することが多いのです。
つまり、「犬好きに悪い人はいない」というのは、飼い主自身が自分と共通点のない人、犬を好きだと思えない人とは仲良くしたくない、犬に好かれない人とは仲良くなれない、など都合が良いように使っている可能性が大きいのです。
犬好きに悪い人が居ないなら、犯罪者に犬好きはいないの?
何らかの犯罪を犯し、刑に服す時に飼っているペットの行く末を弁護士などに依頼する受刑者はたくさんいます。
「悪い人=犯罪者」と結びつけるのは極端な話ですが、「犬好きには悪い人が居ない=犬好きは善人」と仮定すると、罪を犯し他に迷惑をかけたり傷つけたりする人が居るというのは矛盾することになります。
さらに言えば、犬が好きすぎてトラブルに巻き込まれ人を傷つける罪を犯してしまった方は「犬好きで良い人だけど、人を傷つけた悪い人」と究極の矛盾がうまれてしまいます。
情操教育に動物の飼育をすすめる
戦後、高度成長期の日本では国民の生活水準が高まり犬や猫をペットとして迎える家庭が爆発的に増え、ペットブームとなりました。
このとき声高に言われていたのが「情操教育」です。"動物を可愛がる"、"弱いものを守る"、"命の大切さを学ぶ"、"優しい人間に育つ" など、ペットを飼育することは子供の心を育てるとともに一般家庭のステイタスのようになっていきました。
動物虐待と人間への暴力行動や攻撃性・性犯罪・未成年犯罪などの関係性がさまざまな機関で研究されています。一部の発表では、家庭内暴力と未成年者犯罪と動物虐待は、非常に重要な関係性があると発表されました。
家庭内や地域で動物虐待の歴がある未成年者がその後、対象が人へ移り暴力事件や銃乱射事件などへエスカレートしていく傾向が強いという研究結果もあります。動物虐待が、異常な暴力行使欲求のはけ口になっているのではなく、助長することになっているという驚きの分析結果もあります。
「動物が好きか嫌いかは、暴力的犯罪を犯す危険を指針するものとは無関係」という意見もあり、動物が嫌いだから、虐待するのではなく、動物が好きだから傷つけないのでもないそうです。
犬が好き・動物が好きという人が命を捨てる
可愛い動物の姿を見れば、「可愛い・欲しい・触れたい」という気持ちになる人は多くいます。テレビや雑誌で可愛い犬種が紹介されれば、一時的にその犬種の人気が高まるのもそのような人の心の動きからです。
このような感情で動物を可愛がる心がある人は「犬が好き」と言います。
誰しもはじめは可愛くて世話を焼き、大切に守りたいという母性的な感情が生まれます。ですが、「自称犬好きさん」は身勝手な理由で犬を捨てます。
好きという感情や可愛いと感じる心には嘘はないでしょう。しかし、自分の理想と離れる動物の想定外の行動に腹を立て、共生に絶望し、命を捨てることを選ぶのです。
- 犬は動物だから野生でも生きていける
- 保健所に引き取ってもらう
そのどちらも、多くの場合犬たちの命の終わりを意味することも理解しながら、好きで買った犬を捨てられるのです。
そんな人は、本当の犬好きじゃない!と切り捨てる方もいますが、犬が好きというのは嘘でも冗談でもなく真実なのです。
ですが、
「テレビで見た"あの"犬が好き」
「自分の思い通りになる利口な"犬が好き"」
なのです。
飼いきれないと犬を捨てた人が、また犬を飼う割合は50%以上です。捨てた犬のことなど、すっかり忘れ、理想的な犬を手に入れ「犬好きに悪い人はいない」といわれる印象を持たれる犬飼さんの一部に入り込んでいるのです。
つまり「犬好きにも悪い人は居る」ということです。
「犬が好きになっちゃう人」は存在する
意味は真逆で、犬から好きと言われる人がいます。犬が自ら「好き」という行動を見せる相手です。
犬を飼っている人であれば、犬の方から友好的によって来てくれる経験はたくさんあると思います。
犬を飼っている人は、自然と犬との良い距離感で接することが身についているので、犬から苦手意識をもたれることはあまりありません。
ですが、不思議なことに犬や猫、動物とまったくかかわらずに生きてきた人が犬からモテモテになることがあるのです。
犬から好かれる人は良い人?
その人が悪人か善人かは別として、その犬はその人のことが「好き」ということです。匂いや、雰囲気、声やしぐさなど犬はよく観察して状況判断する動物なので、その人の何かが犬にとって好ましいものであることは間違いないと思います。
このタイプの人は、出会う犬皆がまるで一目ぼれしたかの様に寄ってきます。見ていてとても不思議な光景です。服従姿勢をとり、「危害を加えません」「傍に寄りたいです」「撫でてほしいです」「仲良くしたいです」と、犬の表情と行動からはっきり伝わってきます。飼い主さんたちは、愛犬の家族以外に見せたことがない行動にとても驚きます。
羨ましい限りですが、好かれている本人もなぜなのか?それは分かりません。
ただ共通することは、
- 自ら犬に寄って行かない
- 犬が好きという自覚認識がない
ということです。
だからと言って、良い人というわけではありません。
犬好きな人が攻撃的になってしまう動物愛護精神
「犬好きに悪い人はいない」というなんの根拠もない話が、大きく崩れてきました。近年、「犬が好きすぎる人」「動物が好きすぎる人」たちの動物愛護精神が攻撃的になってきていることに疑問を感じます。
- 犬が大好き
- 不幸な動物を救いたい
- すべての犬が幸せであってほしい
- 殺処分を無くしたい
犬が好き、動物が好きでなんとか不幸な動物たちを救いたいと思う方は心から動物への愛情が溢れているのだと思います。ですが、対人になるとその愛情が【攻撃面】を生み出してしまっています。
意見、方針の違う動物愛護団体同士、保護活動者同士のいがみ合い、誹謗中傷合戦、ネットリンチなど、動物を助けたいという真の目的とはかけ離れた行動や言動が多くみられます。
また、一般の飼い主さんに対して動物虐待を盾に過剰な抗議をする「犬好きさん」たちがとても多く存在しています。犬が好きな人同士のトラブルがとても大きく目立つようになっています。
飼い主と家族にしか分からない、繊細な事情もあるものです。
「食事を与えない」と聞けば、かわいそう、大丈夫なのか?と心配する気持ちになりますが、病気が原因でご飯が食べられない状態なのかもしれません。
「大手術に挑む」と聞けば、術後はどうなるのか?手術を受けることが最善なのか?自分だったら愛犬にどうするだろう?と考えます。
ですが、一方的な価値観と動物虐待・自然の流れに反するなどという言葉を使い、愛犬を大切にしている飼い主さんを傷つけている場面を見ることが増えました。傷つけられた人にとっては「犬好きには悪い人がいる」ことになります。
動物を大切にするということはとても素晴らしいことです。ですが、その気持ちを盾に一方的な価値観で人を傷つけても良いわけではありません。人の気持ちや意見も大切にできない人に言葉を持たない犬の気持ちを理解し大切にできるのでしょうか?
心を育てるはずの情操教育。動物と命と心の交流を通して豊かな心を育て、優しさを育んでいくはずが、愛情が変化してまったく望まない方向へ動き出している危険を感じずにはいられません。
まとめ
「犬が好きな人にも悪い人はいる」という結果にたどり着きましたが、いかがだったでしょうか?
そもそも、なぜこのようなことが言われるようになったのかは謎ですが、犬好きに悪い人がいないというイメージは当てになりません。
動物に優しく接している人を見れば、まるで天使のように思えてしまうかもしれません。ですが、それはあくまでも与えられる印象なので実際にはまったく良い人ではないかもしれません。
もしかすると、他の人には良い人でもあなたには悪い人なのかもしれません。
犬がそれを見抜いて、態度を変えているのかどうかは分かりません。
ですが、犬が自ら選ぶ「好き」「嫌い」には言葉では説明ができない【なにか】を感じとっているのかもしれませんね。