研究の背景
犬がまるで人の顔色を探るように、じっとこちらを見つめていることってありませんか?これは、単に見ているだけではなく、人の表情を視覚的にちゃんと区別しているのだそうです。最近の研究で、犬が人の顔の上半分と下半分のバラバラの画像を、表情をたよりにマッチさせることができた、という報告もあるほどです。犬が人の表情を視覚的に区別できることはほぼ確実といえるでしょう。
しかし、区別をしたとしても、表情の中の感情の動きを理解し、さらにその感情に対して適切に反応できているのか、という点については今までよくわかっていませんでした。そこで、サンパウロ大学とリンカーン大学は、表情を浮かべた犬と人の顔の画像を犬たちに見せ、どのような反応を示し、その反応が感情の理解に基づいているのかを確かめるための共同実験を行いました。
調査方法
2才から7.5才までの17頭のさまざまな犬種(オス9頭、メス8頭)の家庭犬が実験に参加しました。
それぞれの犬を個室に連れて行き、目の前のスクリーンに、ポジティブな表情(幸せ/陽気)とネガティブな表情(怒り/攻撃的)を浮かべた、白黒画像をそれぞれ1対(例:人の怒った顔と笑った顔)映し出します。そして1対の画像が提示される瞬間に1つの音声が流れるようにしました。その音声とは、画像の犬もしくは人が発した「ネガティブな響きの声」「ポジティブな響きの声」「ただの雑音」の3パターンのうちからランダムに選ばれます。これらの実験を、犬と人の2種類の画像で行いました。
1対の画像を5秒見せ、犬の反応を見る、ということを繰り返すのですが、このとき、犬の反応を見る重要なカギとなったのが、「犬が舌をペロリと出す行動」です。
犬の「舌ペロ」がカギ
舌ペロは単純に食べ物を連想したときにも行いますが、おもちゃや遊びをねだるときなど、興奮したり、何か動機があったときにも示されます。また、不安などのストレスにさらされたときにも見られます。わりとよくあるこの行動、私たちもしょっちゅう見かけますよね。そのために犬の舌ペロは、研究の世界でもストレスなどを評価する実験の指標としてしばしば使われてきました。
いっぽう、他者の感情的な刺激と舌ペロがどのような関連があるのか具体的な研究はこれまでありませんでした。そこで、今回は舌ペロという行動に注目し、特に表情の画像を見せたときにどのていど舌ペロ行動が出現するかを見たのです。
研究でわかったこと
実験では、17頭中15頭に舌ペロが見られて、その頻度は、236回のテストのうち、71回(22%)でみられました。具体的には、
- ①ポジティブな表情よりも、ネガティブな表情を見せたときに、犬は頻繁に舌ペロをした。
- ②面白いことに、犬よりも特に人の画像に対して舌ペロが頻繁にあった。
- ③どの音声でも、舌ペロの頻度に影響はなかった。つまり音声ではなく、画像という視覚的な刺激によって舌ペロがでた。
という結果が得られました。
このことから、犬の舌ペロは、単なるストレスへの反応ではなくて、ネガティブな表情(感情)を理解し、適切な反応をしていることがわかりました。
もし舌ペロが刺激への単純な反応だとすれば、もっと頻繁に、どの場面でも見られたはずです。しかしこの実験では、236回のテストのうち、たった71回、22%しか舌ペロは見られませんでした。これは、犬が特定の刺激に対して舌ペロという形で反応しているという意味です。しかもこの実験では、テストの訓練として食べ物を与えたりもしていません。ですから「食べ物がもらえるかも」という期待で舌ペロをしているのでもありません。犬はネガティブな表情という特定の刺激に反応して舌ペロをしていることがわかりました。
これは、犬が人のネガティブな表情を「嫌悪」として知覚しているからこそ、それがストレス反応としての舌ペロに繋がっていると考えられます。つまり、犬は他者の表情による感情表現を適切に理解しているということなのです。
研究の意味
この研究の興味深い点は、犬が感情を理解するという結果もさることながら、犬の画像よりも人の画像によく反応していること、そして犬なのに、得意な音声ではなくて、視覚によって判断している可能性が高いことです。
社会集団の中で、仲間からの複雑な要求をきいたり、自分の行動を抑制したりしてグループを維持するために、他者と意思疎通を図るのは大切な戦略です。この戦略が同じグループ内、同種同士で発達することは想像に難くありません。ところがこの研究では、犬は人という異種の動物の感情をよく読む、しかも人のように視覚的に読むということが示されました。さらに、その反応として、人にも視覚的にわかりやすい「舌ペロ」という行為で反応することもわかりました。
これは、まさに犬が人との生活の中で、対人のコミュニケーション能力を発達させてきた、あるいはそういうことに秀でた犬が選ばれてきた、ということを表しているのかもしれません。顔の表情による意思疎通は人にとって欠かせないものです。人と一緒に生きる犬も、同じように人の顔色をうかがくことが必要になった、ということなのでしょう。愛犬は私たちが思っている以上に私たちの感情を読み取っているのかもしれませんね。