環境の大きな違いで生じたカルチャーショック
私は米国暮らしを30年間していました。それは日本で暮らしていた日々よりもずっと長いものとなりました。
まず、帰国したその年にいきなり町内の自治会の役員や班長など複数の役割を与えられ、慣れない日本社会で訳の分からないままそれらをしなければならなくなったことにとても戸惑いました。
更に、日本での英語教室での講師の就職が決まったのですが、雇用先の待遇面に募集内容とは大きな違いがあったことなどが、厳しい研修終了後に発覚したことでかなり大きなショックを受けてしまいました。
これらの出来事は、米国暮らしでは絶対に考えられらないようなことばかりで、私にとってはあり得ない事と受け止めてしまったのです。その結果、私は文化の違いによる酷いカルチャーショックを受けてしまいました。
元々私には、長年父の介護生活をしていた時に発症したパニック障害と睡眠障害があったのですが、それが日本帰国という環境の変化によって、どんどん悪化し始めたのです。
セラピー犬としての犬探し
いろいろ治療のために病院通いもしていましたが、薬に頼る日々をなんとかしたいと、犬を飼うことを考え始めました。セラピードックという意味で、犬を飼おうと考えていました。特別に訓練された犬でなくても、犬を飼うこと自体で私の心が癒されるのではないかと思ったのです。
そして地元の動物愛護センターに足しげく通ったり、インターネットで検索したりと、犬探しが始まりました。実は私は、『その犬によって助けてもらうのだから、私もその犬を何かの形で助けたい』と考えていました。でも、なかなかこれぞと思う犬が見つかりませんでした。
さんざん探してもなかなか私が助けられると確信が持てる犬は見つからなかった中で、地元で動物ボランティアの活動をされている方のポスターを見つけ、すぐに電話してみました。
「犬が欲しいのですが。。」と、私が抱えていた大まかな事情を話し「できれば殺処分されることが決まった犬を助けたいのです。」と打ち明けたのです。
殺処分が決まった犬との出会い
地元の動物愛護センターでは、殺処分が決まった犬は一般公開されていませんでした。
譲渡犬として出されていた犬たちは、飼い主が見つかるまで探し続け、殺処分はされないという事を知り、できれば殺処分されることが決まった犬を引き取りたいと考えていた私は、どうやってそういう犬と面会できるのかが判らなかったので、ボランティアの人に相談したのです。
すると、ボランティアの人が
「ああ、なんというタイミングでしょう!とても人懐こいのに殺処分が決まってしまった犬が1匹いて、なんとか助けてやりたいと考えていたところでした。できればその犬と面会していただけませんか?」
と言ってこられたのです。
その方の話によると、地元の動物愛護センターでは「8歳以上」と判断された犬は、たとえ人懐こくても健康であっても、譲渡対象になることはなく、殺処分されるというルールがあるそうです。そこでは、年齢だけで殺処分という判断が下ってしまうそうです。
そしてその犬は、迷い犬で保護されたため、年齢は不詳でした。それなのに、歯の健康状態から、8歳以上だろうという獣医の判断が下されたことで、殺処分が決まったそうです。歯の状態がとてもひどいそうですが、他の健康面では問題はないということでした。
それでその犬と面会を1度だけさせてもらえることになりました。
どんな犬か全くわからない状態でした。もし、私がその犬に会って、引き取ることを決めなければ、その犬は確実に殺処分されるという状況でしたから、かなり厳しい面会でした。でも、私はその犬と会うと決めた時点で、たとえその犬がどういう犬であろうとも、引き取ろうと決めていました。
すぐにその犬と面会をしました。それはほんの数分間のとても短い面会でした。
犬はコーギーでした。長い間、体の手入れをされていなかったため、ちょっと触っただけでも抜け毛が野球ボール大くらいとれる状態で、臭いも強烈でした。でも、とてもおとなしく、お行儀も良く、人懐こい犬でした。
リードを持たせてもらい、少し室内を一緒に歩かせてもらいましたが、引っ張ることもなく、私に寄り添って歩いてくれました。
即答でした。「この犬を引き取らせて下さい!」
動物愛護センターで犬を引き取るためには、講習を受ける必要があり、次の講習会は10日後、それを受講した後でその犬を引き取ることになりました。
我が家へ
講習を受けるまでの10日間がとても長く感じました。その間に、リードや首輪、ドッグフードなど犬を引き取るために必要な物を買いそろえ、それらを常に眺めていました。
講習終了後にドキドキしながら、犬との再会を果たし、車に乗せて我が家に連れて帰りました。ボランティアの方に借りたケージの中で犬はとても大人しくしていました。
家について、犬をケージから出した時、犬はとても嬉しそうに家の中に入っていきました。あの時の犬の喜びようは今でも忘れられません。全く知らない家なのに、ここが自分の新しい家だということがちゃんと判っていたようです。
犬には夫が”モモ”と名付けました。推定年齢8歳くらいのコーギー犬の雌でした。
我が家に来た当日に、トリマーさんにシャンプー、カットをしてもらいました。数日後には動物病院にも連れて行き、1か月後に歯の手術をすることが決まりました。
犬との生活
モモが我が家に来てから、私の生活がとても規則正しいものとなりました。
モモは家の中で絶対にトイレをしないようにしつけられていた犬でした。そのため、1日最低でも3回は散歩が必要でした。朝、夕方、夜。
外出時にも、連れて行ける時にはできるだけモモも同行させました。
モモが来てから、日々、私の生活がとても変わりました。
それまであまり外出しなかった私が、モモを連れていろんな場所を散歩するようになりました。
大きな変化
また、モモを連れて歩いていると、いろんな人たちが話しかけて来るようになりました。モモを見て、「かわいい!何歳くらい?」「触ってもいい?」と本当に行く先々で年配者から子供まで犬好きな人たちが話しかけてくるようになったのです。
正直、それまでの私は知らない人と喋るなんてことは日本では考えられなかったのです。カルチャーショックが酷かったため、どちらかと言えば、あまり人とは関わりたくないと思っていたのです。
でも、モモが来てから本当に変わりました。
生活が規則正しくなっただけでなく、私の日本での考え方も柔軟になり、それまであまり馴染めなかった近所の人たちともモモをきっかけとして仲良くなっていきました。
モモは、我が家に来て2度手術をしました。1度目は来てすぐの歯の手術。全身麻酔をかけて悪くなっていた歯を数本抜きました。
2度目はその1年後、子宮蓄膿症と卵巣嚢腫にかかっていることが判り、子宮と卵巣の摘出手術を受けました。
治療費は結構かかる犬ですが、お金には変えられないたくさんの幸せを私はモモからいただいています。
モモの命は私が救いました。そしてモモは現在、私の心を救ってくれているとても大切な存在になっています。
テレビでも動物番組で人気タレントが口癖のように言っていますが、『犬は(人間を)裏切りません!』。それどころか、人間のことをいろんな意味で救ってくれる動物です。
日本は殺処分が当たり前のように行われているペット後進国だと私は思っています。アメリカなどの先進国ではペットショップやブリーダーなどからのペット販売が禁止され、代わりに保護犬をという州がどんどん増えています。
日本も、犬の命を”買う”という考え方から”救う”という考え方にどうにか変えてみることはできないものでしょうか?