犬の飼い主は猫の飼い主よりも幸せ?
アメリカのマンハッタンヴィル・カレッジの研究チームが、19才から68才までの男女263人を対象に、『動物の飼育、性格、幸福度』をオンラインで調査したところによると、動物を飼育している人がそうでない人よりも、生活の幸福度が満たされていると感じていることが判明しました。
しかも、猫よりも犬を飼っている人のほうが人生の幸福感、生活満足感、ポジティブな考え方、他者との円滑なコミュニケーション能力や社交性があり、ネガティブな思いやあまり神経質すぎないという結果が出たそうです。
なぜ犬と猫で違いが生じるのか
では、なぜ犬と猫の飼い主とで違いが出るのでしょうか?
今回の調査を手掛けたキャサリン・ジェイコブス・バオさんによると、まず動物の種類を選ぶ時点でその人の性格が深く影響を及ぼすといえるそうです。
ポジティブな考えを持つ人でなければ、世話が大変な犬を飼うことは難しいと言えます。
例をあげると、犬と激しく遊んでお洋服が汚れ、よだれがお洋服についたとしても、『汚い、洋服のよだれをふかなければ』と考えるのではなく、『愛犬との時間が楽しい』と笑っていられるような感覚です。
逆に犬が人の性格を変えるということもあり得ます。
例えば、とても潔癖に育てられた人の結婚相手が犬を飼うことを望んで飼った場合、最初は犬が家の中を走り回る光景は考えられない感覚だと思います。
しかし犬の場合は猫よりもしつけにより従順にふるまったり、飼い主が家に帰ってくると全身で喜びを表現したりと、情というものを無条件に飼い主に表現してきます。
その行為が繰り返されることで、自然と家族の絆というものを意識するようになり、犬が望むことをしてあげたいというギブ&テイクの精神が備わってきます。
もちろん猫にもその精神はあてはまるのですが、犬ほど激しい喜びの表現は猫にはあまり見られず、のどを鳴らしたりすり寄ってしっぽを上げるなどゆるやかな優しい表現が多いため、猫の場合には徐々に絆が深まるように感じます。
このような例のように、犬と猫での幸福感の違いは、その人がおかれた環境や人間関係、ペットがもともと持つ表現の違いでも大きく影響されるとのことです。
犬派 vs 猫派の定義に疑問視する声の数々
しかしだからといって、犬派と猫派の区切りをつけることは本当に可能なのでしょうか?
ペットの種類を選ぶことは単に人の好みによるものだと思いますし、私のように猫も犬も飼ったことがある人はどこにあてはまってしまうのでしょうか?
インターネットでのさまざまな意見
- 犬、猫と限らず、いろいろな動物を飼っている人がいるのだから関係ない
- 犬も猫もどちらも好きで飼っている人はどうなるのか?
- 猫だけ飼っていても十分幸福感を得られてポジティブでいられる
- 犬派と猫派を比較したり、論争をわざと起こさせる内容はどうかと思う
- 社交的であることが必ずしも良いという定義は性格の良し悪しの決めつけにならないか?
などといろいろな意見があるようで、私も同感です。
子猫や子犬から育てたことがある私の経験からすると、猫も犬もそれぞれの個々の性格もあれば猫なり、犬なりの種別による行動の違いもあり、一概に犬と触れ合っていれば必ずポジティブになるかといえばそうではありません。
猫の柔らかい毛に触れながら一緒に眠る時間は、とても幸福感に満たされましたし、猫のアイコンタクトでも心の中で会話が出来た時はとても深くわかりあったような気持ちになりました。
子犬をしつける時は人間の子育てと同じように、育児ノイローゼ気味になりましたし、うまくしつけが出来ない時には、『どうして何度言っても言うことを聞かないのか』とネガティブな気持ちになり、苦労して乗り越えたこともあります。
世の中には犬を安易に飼っても、こんなに大変だとは思わなかったと放置したり、保健所に自ら持っていったりする飼い主もいれば、猫の性格があまりなつかないので面白くないと言ってすぐに飼育放棄して野良猫にした結果、猫が増えすぎて殺処分されるといった問題も多々起こっています。
このような社会問題から見ても、犬派、猫派というのはまるであてはまらないと言えるのではないでしょうか?
まとめ
犬を飼っている飼い主のほうが幸せ、猫の飼い主のほうが賢明、などという論争の前に、動物という人間よりも弱い命に対してどう向き合うのか、愛情を持って接するためにはどのような考え方で飼わなければならないのか、子供たちに命との共生についてどのように教育しなければならないのかを議論し合うほうが先決だと思います。
種の違いは犬種の違いのような小さなことであり、動物を飼う意義はもっと他の大切な部分にあると私は考えます。
命を大切に譲り受け、共生を目的として愛を持って接することを皆で考え合うことが、よりよい社会を作っていくうえで最重要課題なのではないでしょうか?