ナナという犬
ナナを迎える
近所に住む義父が愛犬を亡くし、ペットロスに陥いりました。義父はショックから体調を崩し、精神面にも影響が出始めました。高齢のため新たに犬を飼えない義父に代わって、捨て犬だった先代の犬と同じような境遇の保護犬を探し、義父の心の癒やしに役立てようと、徳島県の保護団体からMixの女の子を引き取ります。
ナナという名前の由来は、7月7日に迎えたからで、家族四人で暖かく見守ることにしました。見守ったというのもナナが初めて家に来たとき、知らないところに連れてこられた不安から、玄関に入った途端に怖くてビチビチのお漏らしをしてしまう始末です。
その後も家の中を散策するでも匂いを嗅ぐでも無く、不安で部屋の隅で震えていたナナちゃん。そのとき家にいた長男が同じ部屋で寝転んで知らんふりを演じ、ナナが寄ってくるまで近づかず、4時間程我慢してやっと匂いを嗅ぎに近づいてくる。それぐらい人間に慣れていなかったのか、虐待を受けていたのかは判りませんが、家族に慣れるのにもかなりの時間を要しました。
ナナとの生活
近所の保護犬と比較しても極端に怖がりで、怖さのあまり一度パニックに陥ると家族でも落ち着けるのにかなり手こずる、そんなナナでした。
保護犬の受け入れを検討されている方は、飼い主と犬のお互いがハッピーになれることをトライアル期間で見極めるようにしてほしいと思います。ただ諸般の事情により、トライアル出来ずに迎えた犬が恐怖やトラウマでパニックを起こすような犬で有れば、預かり保育や、家庭教師のようなプロにお任せするのも一つの方法かと思います。
実際ナナも幼稚園に通い出し、とてもお利口だったこと、どんな気性の荒い犬とも仲良く出来る平和の使者のような犬だったことも判りました。それに義父もナナを気に入ったようで、ペットロスのままで有れば寝たきりになる可能性もあったのですが、ナナのおかげで精神面や肉体面にかなり改善が見られ、まるでセラピー犬のような活躍でした。
幼稚園に通い出しても子供は苦手、知らない場所は苦手のままですが、町内の公園は大好きです。不安や恐怖でパニックは起こすものの、少しづつテリトリーが増えてきたナナ。
ナナが我が家に来てからは、犬が泊まれるホテルやペンションを利用してあちこちに旅行に出掛けましたが、今思えば家に居て家族に囲まれているのが一番好きだったんじゃ無いかなと思うことが有ります。
ここでナナの好きな人ランキングを発表すると、1位長男、2位妻、3位長女、4位私の順でしたが、旅行や知らない場所に居るときなど不安な精神状態の時だけ、私のランクがアップしていつも隣にいます。
そう考えると旅行は普段通りのナナでなく、どこか不安をがあったので私の傍に寄り添っていたと考えられます。色々なところに連れて行きたい、旅行で幸せな時間を過ごしてほしいと思っていたのは飼い主だけで、ナナは落ち着く家が一番好きだったのでしょう。
しかしそんな臆病なナナが、唯一有頂天ではしゃいだのが雪山でした。その姿を見たとき、いつか彼女から臆病な気持ちを少しでも取り除き、どこに行っても無邪気にはしゃげる楽しそうなナナにしてあげたい。こんなふうに感じたものでした。
ナナとの別れ
ナナの病状が表面化したのは、眼球への傷でした。そのときの診察結果は「外傷によるものでしょう、様子を見ましょう。」でしたが、みるみる傷は悪化し、口臭がひどくなり、器から飲む水に膿のようなものが混じるようになってしまい、大きな病院で受診した時には、メラノーマ(癌)と診断され、すでに手遅れでした。そこからナナにお迎えが来るまでたった3週間、今思えば苦しむ期間が短くて良かったように思います。
ナナの闘病生活には、昼夜を通しての看病が必要でした。顎の骨が溶け、低い場所にある水が飲めない、食欲も落ちドッグフードも食べられない。少しでも食べられるものを口に運んであげる。何れも人の助けが必要です。西洋ではメラノーマに罹患すると、薬で眠らせてあげると、いいますが、最後の姿を思い出すとその方が良かったのかと未だに迷うところです。
まとめ
今回のテーマは「保護犬との出会いと今」でした。保護犬はナナが初めてで、出会った時は、普通の無邪気な犬にははほど遠い状態でした。いつかは「無邪気に、はしゃげる楽しそうなナナにしてあげたい。」といった目標は叶いませんでしたし、亡くなってからは、あんなことやこんなこと、沢山のことをしてあげれば良かった。何故あのときパニックになって暴れるナナを怒ったんだろうと後悔ばかりです。
ナナの病状が表面化したのは、眼球への傷と前述しましたが、その半年前には右の前頭部に窪みが出来ていましたし、眼球に傷が出来る前はフケが増えていました。何れも診察では原因が判らなかったのですが、やはり飼い主が触れ、観察することでもっと早く気付いてあげられたのではないかと思います。メラノーマは気づけない病気、罹患すれば現在の医学では治療は困難と言われますが、もっと他に何かしてあげたかった思いは中々消えないものです。
保護犬に限らず、生き物と生活することの責任は重く途中で投げ出したり出来ません。出会いがあれば当然別れがあります。そこに至るまでの飼育費や時間、色々なことがクリア出来る目処がついてから、動物は迎えるべきかと思います。そんな覚悟をもって迎えたペットはお別れの悲しみより、多くの微笑みを運んでくれること間違いなしです。
皆さまにも幸せなペットライフが訪れますように...。