一頭のドーベルマンとの出会い
ドーベルマンおはぎとの出会い
愛犬バーニーズマウンテンドッグが亡くなって、ペットロスに陥っていた私を救ってくれたのが保護犬ドーベルマンおはぎでした。
出会いは、愛犬が亡くなってから7ヵ月弱が経過した頃。
パートナーとは「そろそろ新しいわんちゃんを迎え入れる準備をしてもいいかもね」「でも、自分たちから探すのはまだ早いね…」「きっといつか運命の出会いがあるよ」と話していたときでした。
ペットロスで落ち込んだ気持ちが少し和らいでいた時期でしたが、自分たちから新しいわんちゃんを探す気にはなれない。そんな中途半端な気持ちが行ったり来たりしていた時期、友人から保護犬に関する相談があったのです。
私が保護活動を行っていた経緯から、どうやったら里親を探すことができるのか?といった相談だったのですが、写真を見て「私たちが待っていたのは、この子だ…!」と瞬時に思いました。
そして翌日の昼の面会を経て、夜には正式な家族になっていた愛犬。
それが、7ヵ月とまだ幼いドーベルマンおはぎです。
不明確なおはぎの過去
ドーベルマンおはぎの過去は、今現在も明確には分かっていません。
間接的に保護していただいた方の話によると、前の飼い主の家族がアレルギーになってしまい、おはぎは元飼い主の実家に預けられるなどして転々としていたとのこと。
結局、元飼い主の実家では散歩もろくにせず室外に放置されていたようですが、実際に自分が目で見た話ではないので確かなことは不明確のままです。
衰えた筋肉や同常障害
出会ったばかりのおはぎは、前肢の筋肉の衰えで片肢は完全に地面に付くことができず、びっこを引いていました。
長いこと放置されていて暇つぶしをしていたのか、ストレスで毛をむしった形跡が肢にあり、尻尾を追いかけるような同常障害も頻繁に見受けられました。
食事はそれなりに与えられていたようでしたが、水を定期的にもらっていなかったのか、器に水を出すと驚く速さで全て飲もうとするのです…。
そんな姿を見て、いたたまれない気持ちになり、同時に腹立たしさがこみ上げてきました。
愛すべき我が子になってから
周りに愛されるドーベルマン
我が家に来たばかりの頃まだ7ヵ月だったため、寂しい過去を忘れるようにと思い、彼に「おはぎ」という新しい名前をつけました。
ドーベルマンの容姿から考えるとちょっとマヌケなこの名前には、「他人から怖がられないように」という気持ちが込められています。耳や尻尾をカットされ、ドーベルマンという犬種を怖がる人が多いと思ったので、名前は重要だと感じたのです。
ドッグランなどのお出かけ先で名前を聞かれたとき、相手がちょっと笑ってしまうような名前をあえてつけました。
周りを笑顔にする名前
そして我が家に来て3ヵ月程度が経過した現在、ドッグランに行ってもドッグカフェに行っても名前を聞かれたときに、一気にその人とおはぎの関係性が近くなるのを感じています。
おはぎの性格の良さや穏やかさはもちろん、みんな名前を聞いて笑うことで気持ちが和むのか、本当に多くの人たちが「可愛い!」と言っておはぎを撫でてくれます。
苦戦したこと
おはぎが来てから苦戦したことが「社会化」です。
ドーベルマンは犬種の特性上、警戒心が非常に強く多くの社会化が必要です。なのにおはぎの場合は放置されていた時期があるので、より一層大変でした。
来たばかりの頃は、公園に行くだけで緊張と興奮から大量のフケがでて、ひどいときはストレスで血便が生じることもありました。
しかし「何かあったときにこれでは困る」と心を鬼にして、ストレス対策を行いながら社会化を短時間ずつ、しかし毎日頑張ってもらいました。
今ではお出かけが大好きで自分から車に飛び乗るようになりました。
「お出かけする?」と聞くと、大喜びで庭を猛スピードで走ってから出口まで来て、「早く行こう!」と目をキラキラさせるのです。
そんなおはぎの姿を見るのが、私の毎日の楽しみになりました。
これからも、毎日このキラキラとした瞳を見ることができるように、私も彼に歩み寄って生きていきたいと感じています。
まとめ
何年経っても減らない捨て犬。愛犬おはぎに関わらず、今まで保護活動を行ってきた経緯から多くの保護犬と接する機会がありました。
そんな中、毎回「こんなに美しく純粋な生き物を、どうして人は捨てることがあるのだろう…」と感じてきました。
確かに彼らと過ごすのは楽しいことばかりではありません。特に大型犬や運動量を必要とする犬、扱いにくい犬などのお世話は楽ではないと感じることもあります。
犬を飼うということは、彼らの命が尽きるときまで、その命と向き合うということです。介護や病気の発症を中心に精神的に辛い時期もありますし、人のように反抗期を迎える犬もいます。
しかし犬を飼うというのは、その犬の親になるということ。そんな苦労は犬を迎え入れた時点で当たり前のことなのです。そんな覚悟で、犬という1つの命を家族に迎え入れてほしいと感じます。