保護犬との出逢い
それは突然のことでした。当時飼っていたビションフリーゼのぱふと外出し、自宅に帰ってきたところ、ハーネスをつけた中型犬がひとりぼっちで家の前を歩いていたのです。「どうしたの、ひとりで」それが、後に我が家の子となる犬との出逢いでした。
当時飼っていた愛犬(以下 ぱふ)を家の中に入れてから、犬の様子をしばらく見ていると、あてもなく走ったり歩いたり。どこにも飼い主の姿は見えません。「おいで」と声を掛けると、すぐにそばに来ました。近くで観察すると、体は汚れていてハーネスも色褪せ擦り切れています。迷子札も鑑札も見当たりません。
「放っておいたら車に轢かれてしまうかもしれない」そう思った私は放浪犬を庭に招き入れ、警察に電話をしました。数分後には警察官が2人やってきて、放浪犬はパトカーに乗せられ警察署に向かいました。
愛護センターで殺処分寸前に
僅かな時間でも関わった以上、その子のことが気になります。私は数日おきに警察署に電話をし、様子を尋ねました。とても親切な警察官の方が、毎日お散歩に連れて行ってくれていること、なかなか飼い主が見つからないので里親を探していることを教えてくれました。
それでも、飼い主も里親も見つからないまま、警察での保護期間は過ぎてしまいました。保護動物は動物愛護センターに移送されて、決められた期間そこで飼い主を待つことになりますが、期間を過ぎれば殺処分です。私は保護センターに電話し「殺処分する前に、自分に連絡をして欲しい」と頼みました。
それから数日経っても、保護センターからの連絡はありませんでした。胸騒ぎを感じてセンターに電話をすると、なんと「電話連絡することを忘れていた」と言うのです。明日が殺処分予定だと聞いて、私は大急ぎで友人と犬を迎えに行きました。
収容場所でかつての放浪犬「ウィズ」との再会
「これからは一緒」そんな意味をこめて、保護犬の名前はウィズと決めていました。けれど、迎えに行きさえすれば簡単に引き渡されるというわけではないのです。保護犬を引き取るには手続きが必要でした。
- 住所、氏名、年齢、電話番号
- 犬の部屋をどこに設置するか(家の見取り図)
- 家族構成と留守にしている時間帯
- 誰が主に面倒をみるのか
など、スタッフの質問に応答しながら書類を記入し、終生大切に育てるという誓約書を書きました。もう二度と犬が悲しい目にあうことがないように、自分が里親としてふさわしいかどうかを問われているのです。そしてそれは、自分自身の覚悟を再認識する問いでもありました。
その後、収容場所へ移動すると、たくさんの犬の声が聞こえました。それでも私が引き取れるのは一頭だけ。胸を締めつけられる思いでした。私が自分の命にかえてもいいと思っている、ぱふ。ここにいる子もみんな、うちのぱふと何も変わらない命なのです。
「この子で間違いありませんか?」と指し示された犬は、間違いなく数週間前に保護した子、ウィズでした。けれど、顔つきがまったく違う。緊張しきって怯えた表情です。ウィズは私がリードを持つと、すごい力で引っ張りながらセンターの外に走り出しました。
ウィズはセンターの敷地内を走り、慰霊碑を走り抜け、友人が出してくれた車に飛び乗りました。まるで、自分の身に起ころうとしていたことを知っているような勢いです。「こんなことなら、警察の保護期間のあとすぐに引き取れば良かった」そう後悔しました。
保護センターを出た足で、ぱふを診てくれている動物病院にウィズを連れて行きました。「あなたが飼うんですか?」そう聞かれて頷くと、先生はきっぱり言いました。「やめたほうがいいです。この子は懐かない」。
ミックスだけれど日本犬の血が濃いこと、すでに成犬(推定3歳くらい)になっていること、そして警戒心が強いこと。信頼している先生の言葉ですが、今さらウィズを放り出すわけにはいきません。血液検査や触診の結果は問題なかったので、そのまま家に連れて帰りました。
庭でシャンプーすると、体中に大きなダニがいくつもついていました。一体、どれくらいの期間放浪していたのでしょう。どうして元の家から出てしまったのか。本当は何歳なのか。名前はなんなのか。知りたいことは山ほどあるけれど、すべて謎のままです。
保護犬が家族に
先住犬との相性
保護犬を迎えるにあたり、一番気になっていたのは先住犬ぱふとの相性でした。当時、ぱふは9歳。新しい家族、しかも自分の4倍も大きい犬を受け入れてくれるかどうか微妙な年齢です。はじめてウィズに会った日も、ぱふは窓越しにウッドデッキのウィズに吠えまくっていました。
まだそれほど寒くない季節だったので、まずはウィズの居場所をウッドデッキに決めました。デッキに犬小屋を置き、自由に遊べるようにしたのです。ぱふは、突然現れた新参者に怒り心頭。やはり窓越しに吠え続けていました。
数日経つと、だんだんウィズがいることにぱふも慣れ始め、ようやく吠えることがなくなりました。それを見計らって、ウィズを家の中に入れることにしました。それぞれのストレスを考え、リビングに隣接した部屋にウィズのケージを置き、そこをウィズの場所にしたのです。
おそらく元の家ではずっと外犬として生活していたのでしょう。最初は家の中に入るのを、とても怖がっていました。けれどそれも数日のこと。すぐに家の暮らしに慣れて、すっかりくつろぐようになりました。
懸念していたぱふとの関係も、ウィズ自身が「この犬に逆らったら、この家には住めない」と理解したのでしょう。すべてにおいて、ぱふに服従していました。一緒に散歩に出てよその犬がぱふに近づくと、さりげなく間に入ってぱふを守る仕草はとても微笑ましくかわいらしいものでした。
必要とされる忍耐
保護犬に限ったことではありませんが、犬と家族になるには忍耐が必要です。ことに成犬となると、なかなかの手強さ。ぱふには従順なウィズですが、実はとても気の荒い犬でした。すれ違う中型犬以上の犬には吠えかかり、私たち人間の家族を噛むこともありました。
散歩では引っ張り癖が強く、本やネットで得たありとあらゆる矯正方法を試し、何年もかかって直しました。ウィリー状態のウィズと小走りで散歩していると、最初に動物病院の先生が言った「やめたほうがいい」という言葉が何度も脳裏をよぎったものです。
それでも私たちは、もうすっかりウィズがかわいくなっていました。普段は徹底的にやさしく、そして悪いことをしたときには毅然として叱る。単純なことではありますが、そのくり返しで少しずつウィズの信頼を得てきたように思います。
先住犬が亡くなって
9年ほど続いたぱふとウィズのでこぼこコンビも、ぱふが老衰で亡くなることで解消となりました。「ぱふがいなくなったら生きていけない」そう怖れていたことが現実となったのです。身が裂かれるように、辛い別れでした。
そんな悲しみに寄り添ってくれたのは、ウィズでした。ぱふが亡くなって間もない頃、ぱふが使っていたケージで寝ているウィズに話しかけながら、いつの間にか眠ってしまったことがあります。その時の写真を見るたび「私はウィズを助けたんじゃない。助けられたんだ」そう思うのです。
そして、今
すっかりシニアになって
ウィズは、今年推定17歳になります。保護してから14年、あっという間のようで、こうして振り返るととても感慨深い時間です。腎不全、緑内障で左目失明、馬尾症候群。持病も増えました。
すっかりシニアになったウィズは、かつて気が荒かったと言っても誰も信じてくれないほど、温和なおじいちゃんです。一日の大半を寝て過ごすウィズの寝顔を見ていると、ぜつないほどの愛しさがこみあげてきます。
ウィズはこの家に来て幸せでしょうか。それは今もわかりません。私のような心配性であまったれのママで、世話が焼けると思っているかもしれません。けれど間違いなく言えるのは、ウィズが家族になってくれて私はとても幸せだということです。
まとめ
保護犬と言っても、幼犬から老犬まで年齢もさまざま、犬種もさまざまです。けれど、どの子もみんな人を幸せにする力を秘めているのです。犬と暮らそうと考えたなら、ぜひ保護犬を候補にあげてみてはいかがでしょうか。