1.元気な頃から「後悔しないように」
愛犬を失った飼い主さんが抱く後悔
失ってから思い知ることが多くあります。「もっと遊んであげればよかった」「もっとお散歩に連れて行ってあげればよかった」「もっと早く病院へ行くべきだった」
愛犬を失った飼い主さんの多くは、このような「もっとこうしてあげればよかった」という後悔を感じてしまいます。
これは、愛犬が若くて元気なうちは「分かってはいるけど」頭の隅っこに行ってしまうことかもしれません。
今日を大切に積み重ねていこう
些細な日々の積み重ねの中に後悔の種があることを、愛犬が若くて元気なうちから心に留めておきましょう。
それは決して、愛犬を甘やかすことではありません。愛犬が求めているのはおもちゃやおやつよりも、飼い主さんとの関わりです。
いつもの決まったお散歩コースでも、毎日食べている同じフードでも、振り返ればいつもそばにいる飼い主さんやご家族との日々の中にあるものが愛犬の「欲しいもの」なのではないでしょうか。
2.看取れない可能性も理解しておく
愛犬を看取ってあげられなかった後悔
愛犬を失った飼い主さんの後悔で多いもう1つは「最期を看取ってあげられなかった」という後悔です。
今まで付きっ切りで見守っていたのに、目を離したほんの少しの時間に旅立ってしまった、ということもあります。また、愛犬が入院中に息を引き取った場合も「入院なんてさせずに家で一緒にいればよかった」と後悔される方も多くいらっしゃいます。
それは愛犬の望みではなく飼い主さんの望みかもしれない
私自身も、この春に愛犬を亡くしました。私が中学生の時に迎えた実家の子でした。大学進学で実家を離れてから愛犬に会えるのは年に数回となり、晩年は会うたびに老いを感じる愛犬の姿に常に一緒にいられないことへの寂しさでいっぱいになりました。
そして今年の春、とうとう愛犬が虹の橋を渡ってしまいました。16歳でした。最期は実家の家族に見守られて息を引き取ったそうですが、私は看取ることができませんでした。
「見送ってやれなかった」という寂しさが大きかったのですが、よくよく考えてみると、これは愛犬の願いというよりも「私が」看取りたかったという自身の願望だったのかもしれないと気付きました。
生きているうちに正面から向き合おう
犬は人間のような高度な思考を持たないので、生死観というものを意識して生きてはいないでしょう。
人間ならば「最後にもう一度会いたい」「これだけは伝えておきたい」ということがあるかもしれませんが、今を生きている犬たちは「最後に伝えたいこと」も「看取ってほしいという願望」もおそらくないでしょう。
逆に、野生の動物的には「ひっそりと幕を閉じること」が自然であるという考えもあります。
犬は過去でも未来でもなく、今を生きています。昔会った人のことを「思い出す」ことはあっても、会ったり匂いを嗅いだりしなければその人のことを考えることはないでしょう。
今を生きる犬たちには「看取ってあげること」よりも「生きているうちに正面から向き合ってあげること」のほうがはるかに大切なことなのではないでしょうか。
死の原因となる病気や最期の瞬間に、共に過ごしてきた年月がかすむことはないはずです。
3.葬儀や火葬についての心構え
落ち着いて準備してあげるために
まだ生きているうちから葬儀のことを考えるのはとても心苦しいのですが、現実的には旅立った後の「葬儀や火葬」についての心構えをしておくことは重要です。
愛犬が亡くなってからペット供養をしてくれるお寺やペットの葬儀屋さんを探したり、葬儀や火葬のプランを決めたりするのはとても焦ってしまうためです。
費用面もしっかり準備しておこう
そして、飼い主さんが愛犬のためにしてあげたい供養のために、費用面についてもしっかり準備しておかなくてはいけません。愛犬の生前から「もしもの時は」と決めておくことで、愛犬を後悔なく見送ってあげることができます。
まとめ
「後悔先に立たず」と先人が言うように、後悔はいつも後になってやってきます。しかし、実は日常の中で「愛犬にもっとこうしてあげたい」という思いが胸をよぎることがあるのではないでしょうか。
その「こうしてあげたい」という飼い主さんの思いを、ぜひ愛犬が若くて元気なうちから、今日この瞬間から、行動で伝えてあげてください。
ペットと共生する上で「絶対これが正解!」という答えはなく、どうしたって何を選んだって後悔はするかもしれません。
しかし、それでも今を生きる犬たちにとっては「今この瞬間」が最重要です。愛犬が旅立つまでに行っておきたいことの中には「葬儀についての心の準備」のように現実的なこともありますが、なにより大切なのはただ1つ「今日の愛犬と真正面から向き合うこと」なのではないでしょうか。
ユーザーのコメント
40代 女性 匿名
20代 男性 宇野直人