犬にとって「噛む」ということ
犬は私たちのように、口で物を食べますね。これはいい。ですが、指先で触れて物の様子を知ることのできない犬は、口を手のように使います。まりなどを咥えて遊ぶ犬の姿を思い浮かべてください。犬は、私たちなら手を使うとき、咥(くわ)えるという動作をします。
これは「噛む」のではなく「持つ」にあたる動作ですね。子犬なら甘噛(あまが)み、成犬なら「取ってこい、持ってこい」がこれにあたります。ただ、中型から大型の犬では、咥え加減によっては人や物を傷つけることになってしまう。これが犬の「噛む」ことの問題になるのです。
これとは別に、犬は口を「戰う」のにも手でなく口を使います。つまり、手に刀を持てないから、口を武器として使います。群れの動物として、噛むという動作は犬が必要となれば、本能的というか衝動的にとる攻撃動作です。これは、本来犬に備わった本能ですから、自然な環境では犬とても抑制できない動作です。
「噛む」には二つの意味がある
つまり、犬にとって噛むということは二つの意味があることを、まず抑へておきましょう:
- 手の代わりに使う道具として
- 戰うための武器として
先ほど「自然な環境では」といいましたが、犬が人間に飼われる状況は、犬にとっては実は「不自然な環境」なのだ、ということを理解することから話しが始まります。
噛んでいいとき、いけないとき
今日のお話しは、犬の噛み癖を治す、ということですね。これは、対症療法でどうなるものではありません。犬に「噛んでいいとき、噛んでいけないとき」を大きくいえば文化として体得、つまり「体で覚えてもらう」という作業です。「そんなこと、犬にできるだろうか」という人は、第一級の警察犬が犯人を「噛み倒す」様子を見たことがないのでしょう。そのような犬は、命令一下、犯人を噛み倒し、命令一下、噛むのをやめて平然と担当官の手元に馳せ戻ります。
つまり、犬には訓練によって「噛んでいいとき、噛んでいけないとき」をしっかり学習します。
さて、今日のお話しは犬にどう「噛んでいいとき、噛んでいけないとき」を教えるか、というテーマではありません。範囲をぐっと狭めて、「噛んでいけないとき」をどう教えるか、ということです。それでは、お話しを進めましょう。
噛み癖ということ
噛み癖ということをいいますね。「この犬は噛む癖があるから困る」という具合いです。この「癖」がどうしてついてしまうのか、その辺りをすこし分析してみましょう。
噛み癖の引金
そもそも噛むようになるには、なにか動機があるものです。例えば:
- 歯が生え変わる時期の子犬がクッションなどを噛む、「口の中がムズムズして、なんでもいいから噛みたい!」
- 歯が生え替わる時の生理的な現象
- なでようとした人の指をふと咥えた経験
- 引っ張りっこ、みたいな遊び
などがきっかけで、咥へるから噛むへ、と習慣的に学習してしまうのです。そんな習慣が、飼い主の不注意、無意識、無知から「怪しいやつだ!噛み付いて追い返してやれ!とか、「嫌なところを触んないでよ!」とか、「噛む」という行為に転化していってしまうのです。
飼い主の油断
犬を訓練する過程で、遊び心で悪気なくストッキングを引っ張り合ったり、歯を使う動作をさせている飼い主がいます。飼い主が何かを嫌つ素振りをする、犬はそれを敏感に感じ取って、反発するということがあるといいます。それが人などの場合は、その人に吠え掛かるともいいます。犬の才能の神秘的なところですが、人間と長く共生してきた犬たちは、DNAレベルで人間社会への適応性を身につけている、と思うべきです。
噛み癖を治す原点は、こんなところにあるのです。
噛み癖をどう治すか
それでは、問題の核心部分、噛み癖をどう治すかというお話しに入りましょう。その前に、前提として絶對していけないことをお話しておきます。
それは犬歯切断という言語道斷な処置です。これは犬のキバを半分くらいに切断してしまう外科手術ですが、そんな処置自体が非常識な上に、キバがなくなったことに安心して飼い主がしつけをおろそかにする、という、本末顛倒な結果を生みます。このことは、夢々考えないように、お願いしておきます。
さて、正面から犬の噛み癖を治す段取りをお話ししましょう。
基本的な考え方
犬の噛み癖をしつけ直すに際して、飼い主はまず以下のことを念頭に置きます。
- 好ましい行動、つまり噛んではいけないものを前にして靜止すること
- 好ましくない行動、つまり噛んではいけないものを噛んでしまうこと
この二つの状況にどう対応するか、ということです。ポイントはそれぞれを「飼い主の反応」に結びつけて、犬に学習させることです。難しく聞こえますが、簡単にいえば、好ましい時にはご褒美、好ましくなければおしおきを「飼い主の反応」として、直ちに、いいですか、直ちにその場で示してやる、ということがポイントです。どちらも、「飼い主の声と態度」をしっかり「まぶして」与えるのです。
訓練の実際
最初に大事なことを三点挙げておきます:
●犬をじらせること
じらせることで学習内容の「刷りこみ効果」がたかまります。
●同じ「シグナル」を混同しない
好ましいこと、好ましくないことへの反応に、同じシグナルを使わないこと
●飼い主の家族の協調
飼い主の方針に家族全員が脚をそろへること
さて、噛み癖を治す訓練には「道具」がいります:
●ご褒美(好ましいとき)
犬が大好きなもの、できればカロリーの低いもの。与える時はごく少量に。満腹にさせてはいけません。おもちゃなら、日頃一番気に入っているものえお選んでおく。これは上げたら取り返してはいけないので、、イルモ訓練の最後に与えます。
褒めるジェスチャーとして「なでる」も効果的です。なでるときは、軽く爽やかに「よっしゃー、よ~し、well done 」とか短い言葉を添えること。しつこくなでると、犬が興奮して訓練になりません。
●びっくりアイテム(好ましくないとき)
犬がぎょっと驚くものを用意します。襃美の反對は罰ですが、訓練には犬に苦痛を与えるのではなく、びっくりさせる、おやっと思わせる、えっと意外な思いをさせるのがポイントです。
例えば、いきなり布やを犬の視界にかぶせるとか、ビー玉を入れた空き缶をわざと落とすとか、薄めた酢をスプレーを噴霧するとか、が思いつきます。
以上の繰り返しで、犬は追々に噛む癖が思わしくないことだ、と気づいきます。一に訓練/学習、二に訓練/学習、三、四がなくて五に訓練/学習です。
攻撃性のある犬は
この記事のために資料を漁っていたら、面白い、とても参考になるデータを見つけましたので、ご紹介します。「攻撃を抑制する」、英語では bite inhibition といいますが、犬や狼には「キャンと鳴いたら攻撃をやめる」という群れの暗黙のルールがあるといいます。
マイケル・フォックス博士というこの道の専門家は、生後4~5週間の子犬が噛み付き合っているとき、相手がかすかな鳴き声を上げたとたんに放してやることを発見したそうです。また野生の狼と暮らした経験のあるショーン・エリスという人は、高い音の泣き声を上げた瞬間、狼が攻撃行動をやめた、と報告しています。
このデータが示唆しているのは、犬にも狼時代の血があるのだ、ということ、その習性を訓練に援用できるのではないか、ということです。だが、これはあくまで専門分野での話ですね。
ただ、現に人を噛み怪我をさせたような犬は、素人の飼い主には手に負へるものではありません。ですから、攻撃的になってしまっている犬については、専門家の処置に任せるより方法はありません。
まとめ
犬の噛み癖についてお話しましたが、煎じ詰めれば、飼い主の意識ときめ細かい訓練、しつけに尽きると思います。狼の血があるとはいえ、犬は長いこと人間と生活をともにしてきた大切な動物です。噛むということが犬の生活文化の一部であるかぎり、その習性を賢く取り込んで仲良く生きる道を考えるのが、愛犬家の本来ですし、厳密には人間との言葉がない犬の思いを汲み取るのは、こちらの責任なのですから、噛み癖についても対応できないことはありません。犬たちのために、お願いします。