犬は転位行動で相手をなだめているのだろうか?
犬同士のコミュニケーションまたは犬対人間のコミュニケーションにおいて、犬は目線やジェスチャーを使ったシグナルを発信します。
相手に対し自分には敵意がないことを示したり、攻撃的な相手をなだめたり、ストレスを感じる状況で自分自身を落ち着かせるための行動などがあります。
犬のコミュニケーション行動のひとつに『転位行動』と呼ばれるものがあり、これは犬が不安や葛藤を感じている時に、自分を落ち着かせるために目の前の事象と関係のない行動をすることです。
具体的には、鼻や口周りを舐める、あくびをする、体のグルーミングをする、地面を嗅ぐなどが挙げられます。吠えたり唸ったりといった行動は転位行動ではありません。
過去の研究では、転位行動には自分を落ち着かせる目的の他に目の前の相手に対し、自分は攻撃する意図はないと相手をなだめるためのシグナルとして機能する可能性が示されています。
しかし現在までのところ、転位行動がなだめシグナルとして機能するという証拠は乏しい状態です。
このたびイタリアのパルマ大学とオーストリアのウィーン獣医科大学の研究チームが、犬の転位行動を検証するための実験を行い、その結果を発表しました。
もし転位行動がなだめシグナルとして機能するなら、犬が葛藤を感じている時により多く転位行動が見られるはずだという予測の下に実験が行われました。
「威嚇する人」と「中立の人」で犬の行動を観察
実験に参加したのは53頭(オス26頭、メス27頭)の家庭犬でした。1〜12歳の中型犬または大型犬で、雑種および純血種のさまざまな犬種です。犬たちは全員が見知らぬ人が近づいても平気であることが飼い主に確認されています。
実験はパルマ大学または犬の訓練所の野外エリアで行われました。犬にはH型ハーネスと2メートルのリードが付けられて飼い主がリードを持っています。
実験エリアにはスクリーンが立てられており、スクリーンの後ろに実験者が隠れています。犬はオンリードで飼い主と一緒にエリア内を探索した後、スクリーンの前で立ち止まります。
スクリーンの後ろから実験者が現れ、体を前に倒した姿勢と額にシワを寄せた怖い顔で犬の目をジッと見ながら10秒間歩きます。その後犬から3メートル離れた場所で同じ姿勢と表情のまま20秒間静止しました。これを「威嚇的な条件」とします。
次に犬と飼い主が同じ状態で、スクリーンの後ろから別の実験者が現れます。今度はまっすぐ直立した自然な姿勢で微笑みながら犬を見て、その後視線をそらすことを繰り返して10秒間歩きました。
次に3メートル離れた場所で同じ姿勢と表情で20秒間静止しました。こちらは「中立的な条件」とします。2つの異なる条件の実験者と対峙している時の犬の行動が録画され、分析に用いられました。
条件によって表れる転位行動に違いがあった
実験中の犬の反応や行動はコード化して分類されました。実験者に対して吠えたり唸ったりした犬は「強い反応の犬」、吠えたり唸ったりといった行動を示さなかった犬を「弱い反応の犬」としました。
犬が示した転位行動は以下のようなものでした。
- まばたき (威嚇64.2% 中立87%)
- 顔を背ける (威嚇81% 中立94%)
- 前足上げ (威嚇13% 中立4%)
- 体を掻く (威嚇 1% 中立11.3%)
- 鼻を舐める (威嚇34% 中立37.7%)
- 口周り舐め (威嚇17% 中立18.9%)
- 地面を嗅ぐ (威嚇21% 中立39.6%)
これらのうち、まばたき、鼻を舐める、口周りを舐める行動は威嚇条件でも中立条件でも、弱い反応の犬(吠えや唸りが無い)に多く見られたことから、これらの行動が「攻撃するつもりはない」という意図と関連していると確認されました。
顔を背けるという行動は、威嚇条件下での弱い反応の犬に多く見られました。反対に吠えたり唸ったりする強い反応の犬は、威嚇条件下では実験者に視線を向ける反応が多く見られました。これは視線を合わせることが攻撃的な威嚇行動であることを確認するものです。
犬の反応の強弱に関わらず、威嚇条件でより多く見られた転位行動は前足上げでした。この行動は恐怖や不安など強い葛藤を感じている時に示されるものです。
全体として、吠えたり唸ったりしない弱い反応の犬がより多くの転位行動を示していました。しかし予測に反して、これら弱反応の犬たちは威嚇条件でも中立条件でもほとんどの転位行動を同じ割合で示しました。
近づいて来る人間が笑顔であっても犬にとっては威嚇する人間と同様に警戒の対象であり、転位行動を発現させることは重要なポイントでした。
研究者は、過去の別の研究での「犬のなだめシグナルはあらゆる社会的な関わりにおいて犬がパーソナルスペースを管理する手段として使っている可能性がある」という点にも言及しています。
まとめ
犬の転位行動は、相手を対し敵意がないことを示し相手をなだめるという機能を持っているかどうかを確認するために行われた実験をご紹介しました。
この実験でも犬の転位行動が、なだめシグナルであるという証拠は確認されませんでした。また、より強い葛藤を感じている時に転位行動がより多く発現されるだろうという予測も当てはまりませんでした。
しかしこの実験は一般の飼い主が知っておかなくてはいけない大切なことを確認しています。
- 犬にとって視線を合わせることは威嚇行動になる
- たとえ笑顔で友好的に近づいても犬によってはストレスや葛藤になることがある
- 敵意がないシグナルと思われていたものはパーソナルスペースの主張である可能性
犬のさまざまな行動によるシグナルは今後さらに精密に研究されるとのことです。全ての人が犬のシグナルを完全に読み解くことはできなくても、見知らぬ犬との関わりは犬の意思を尊重するという点を心しておくと、犬にも人にも安全な関係を保てると言えます。
《参考URL》
https://link.springer.com/article/10.1007/s10071-023-01742-9