ドッグサイエンスの新しい時代が目指すもの
犬についての科学的な研究は、さまざまな分野にまたがってインパクトのあるものとして急速に発展しつつあります。
2017年と2020年には、カリフォルニアにある研究所の主催で国際的な犬研究の科学者が集まった会議が開かれました。
この会議は「私たちの犬とのつながり〜犬と人間の関わり合いの歴史、恩恵、未来」というタイトルで、人間と犬の関係を広く捉え、両者の関わり合いが医学的/心理学的/作業犬としての役割を通じてどのような利益をもたらすのかが検討されました。
この会議からはいくつかの論文が発表されており、ここで紹介するのはそのうちのひとつです。
アメリカのアリゾナ大学、カリフォルニア州立工科大学ポモナ校、ウェスタン・カロライナ大学、ロヨラ・メリーマウント大学、オーストラリアのメルボルン大学の研究者が著者として名を連ねています。
論文のテーマは「ドッグサイエンスの新しい時代、犬と私たちとの関係の再構築」で、ドッグサイエンスが目指すべき方向、あるべき姿について書かれています。
ドッグサイエンスと犬の福祉
著者が最初に挙げているのは科学における犬の福祉です。「新しい時代のドッグサイエンスは犬の福祉を第一に考えなくてはならない」としており、犬を仕事の道具や実験の被験者としてではなく、個としての存在や共同作業者として考えることの重要性が強調されています。
研究に参加する犬を共同作業者として尊重し犬と研究者の関係を再構築することは、科学者の他の動物に対する扱いにも影響を与えると考えられます。
科学者は犬の認知や行動を研究し、そこで得られた新しいエビデンスに照らして地域社会や産業界の犬に関する慣習(トレーニング方法や飼育方法)を見直すよう提言しますが、その基準は研究の実施段階にも適用しなくてはならないとしています。
犬の福祉を尊重するというのは、犬の感覚や感情が重要であると認識すること、つまり研究への参加に関して犬に主体性を与えることを含みます。
研究対象である犬の感情や意志を尊重することは犬の利益はもちろん、ドッグサイエンスが地域社会に受け入れられるためにも不可欠です。
ドッグサイエンスとメディアや社会とのコミュニケーション
犬についての研究の中でも過去10年ほどの間に大きく関心を集めたのは、犬が人間の健康や幸福感に与える影響に言及したものです。ペットを飼っている人の7割以上が、ペットが心身の健康改善に役立つという研究結果を知っていることがわかっています。
しかし、犬についての研究結果を伝えるメディアは「セラピードッグとのセッションによって入院中の子どもの幸福度が向上した」というタイプの記事を好んで書き、「ペットを飼うことはうつ病の症状改善に関連しない」というような記事を積極的に伝えないという現象はたびたび起こります。
これは前者のような記事を人々が好んで読むからです。著者はこのようなメディアとのコミュニケーションについて「研究者は圧力を受けようとも、研究結果の意味を誇張してはならない」と述べています。
研究結果を科学分野と縁のない社会に伝えることについては『科学コミュニケーション』という学問分野が確立され、科学的な研究と一般社会が有意義な関係を持つための指針となっています。
しかし、科学コミュニケーションは「一般社会が科学的根拠を支持し活用することができないのは無知が原因である」という前提で成り立っています。
犬の研究で言えば、体罰を使う訓練方法や、短頭種の犬のような極端な体型を作り出す繁殖方法が間違っていることを示す科学的な根拠は数多く発表されているにもかかわらず、これらの問題は一向に解決していません。
これはドッグサイエンスにおける科学コミュニケーションが現在の前提ではうまく働かないことを示しています。
論文著者は、これからの科学コミュニケーションは単純に市民を教育しようとするのではなく、社会科学や心理学の面から犬に対する人間の行動様式の変化を動機付けることが、結果として動物福祉の改善につながると述べています。
「あなたのやり方は間違っている」という教育よりも、人間の心理学など別の分野の学問に基づいて「このように行動した方があなたにも犬にもメリットがありますよ」というコミュニケーション方法が重要だということです。
研究のためには資金調達が不可欠なのですが、「犬の福祉の重視」と「社会との誠実で効率的なコミュニケーション」は、研究機関や政府から資金提供を受ける際にも重要な点です。
まとめ
犬と人間との関わり合いを検討するためのドッグサイエンス会議から犬研究の第一人者たちが著した「ドッグサイエンスの新しい時代」という論文の内容を一部ご紹介しました。
これからの犬研究は「犬が人間にどのように利益をもたらすか」ということだけでなく、犬と人間が共に幸福を得る方法を見出すことが必要だと言えます。
犬に関する科学的な研究は毎日のように発表されていますが、一般の飼い主さんのもとに届くのはごく一部です。科学的な研究と聞くとついつい敬遠したくなりますが、ひとつひとつの研究が愛犬と私たちの生活の向上につながっていると考えると、ちょっと見方も変わるかもしれませんね。
《参考URL》
https://doi.org/10.3389/fvets.2021.675782