犬のしつけ教室に溢れた「なんちゃって『褒めるしつけ』」
巷で溢れている「なんちゃって『褒めるしつけ』」。体罰を使わない、褒めて育てる、というような謳い文句で書かれているため、それに安心して問い合わせをする飼い主さんは少なくありません。
ですが、実際は「褒めることも大事だが適切に叱ることも大事」というもので、決して犬にとって不快を与えないというわけではないことがほとんどです。
「適切なタイミングと強度で叱る」「褒めるだけでは甘やかしになる」と言われると(確かにそうかも知れない…)と考えるかもしれません。
しかし、本当の意味で褒めるしつけというのは、正の強化(犬にとってよい経験・結果となるものを提供し行動を増やす・強化する)をベースに、いかに犬から不快となるものを取り除き、飼い主さんと犬の双方が苦痛ではなく楽しく穏やかに共生できるかを提案するものです。
それゆえに叱る必要も、もちろん厳しくする必要もないので、結果として双方が楽しく取り組める「褒めるしつけ」というものになります。
ここを十分に勉強し理解していないと、叱ることも必要で褒めるだけではうまくいかないという考えになってしまうのです。
本当の褒める犬のしつけは犬に選択肢を与え強制はしない
また、犬を褒めるしつけを実行する場合は気をつけなければいけないことがあります。それは、『トリーツを使った強制になっていないか』ということです。
犬のしつけで大事なのは「強制をしないこと」。どんなときも犬に選択肢を与え、犬がトレーニングをしない選択をしたのであれば、それを尊重することがとても大切です。あくまでも犬のしつけのために行うトレーニングは、犬との協同作業です。文字通り犬と協力して行なわなければそれは優しい強制になってしまいます。
例えば、一定の場所に犬にいてほしいため、それを教えるとしましょう。しかし、犬は途中でここにはいたくないと移動しようとしました。ですがあなたは犬をそこから動かないように押さえたり、「そこにいなさい!」と元の場所に戻すのです。
こうすることで犬はもしかしたら「動いてはいけないのだな」と学習するかもしれませんが、これは決して協同作業でも社会化でもなく、ただの強制です。褒めるしつけというのは強制させるのではなく、どんなときも犬の気持ちを尊重し、強制はしません。
数多くのしつけ教室やドッグトレーナーが存在しますが、大切な愛犬にどんな考えでどんな方法でしつけようとしているのかを事前に精査することをおすすめします。
決して「褒めるしつけ」「おやつを使うしつけ」という表面の言葉だけで判断しないようにしてほしいです。
犬に必要なのは安全と安心からの優しさ
犬に必要なのは厳しさではなく、安全と安心、そしてそのための優しさです。これは言葉遊びで解釈せず、単純にそのまま言葉の意味を捉えてもらえたら大丈夫です。
例えば「怒ると叱るは違う」といいますが、定義としては「怒る」は感情に任せて怒りをぶつけることであり、「叱る」は相手のことを考えて指摘する、でしょうか。
しかし、犬にとってはそんな小難しい定義を知ることもなければ理解することもありません。単に、起こった事実に対して不快であるか快であるかだけです。言葉の意味と定義を理解して行動を起こすのが人間ですが、相手は人間ではない別の動物です。
大事なのは、あくまでも受け取る側がどのように認識するかです。しかもそれが種の違う動物であれば、その動物にとってわかりやすい方法は何かを考えるのは、より細かく考えることができる人間の役割です。
そのため、犬に「しつけ」としてさまざまなことを伝え、理解してもらえるように飼い主として頑張っているかと思います。
ですが、犬にとってわかりやすい方法に厳しさは必要ありませんし、それをすることで得られるのは何もありません。
それでも見た目はお利口な犬ができあがるかもしれませんが、そこにあるのは信頼関係でも穏やかな関係でもなく、犬にとっては常に恐怖と不安を抱えて、それを回避するために媚びている状態です。
これを「信頼関係のできたしつけされた犬と飼い主の良好な関係」と言えるのかどうか、私は疑問に思います。
まとめ
もしも『褒めるしつけ』というワードに出会ったら、すぐにそれに飛びつくのではなく、どんな方法とどんな考え方で行われているのかをまずは見極めてください。
「褒める」といいながら「叱ることも必要」と言っていたり、「主従関係やリーダーが必要」といった表現をしていたりしていれば、それは動物福祉に配慮されていない可能性がとても高くなります。
なぜなら、ドッグトレーニングとは「犬の福祉を向上させるための方法」であり、動物福祉のなかのひとつに痛みや苦痛や恐怖からの解放があることを考えると、それをする必要がないのにあえてそれを与えるという方法は違うからです。
犬はとても純粋な生き物です。良い意味で単純で純粋でデリケートな生き物だからこそ、人間の言葉遊びに付き合わせるのではなくもっと単純な事実に眼を向けてあげてください。