犬のトレーニング方法の2つのタイプ
犬のトレーニングには様々な方法がありますが、大まかに分類すると「報酬ベース」または「嫌悪刺激ベース」の2つに分けられます。
報酬ベースとは、犬が望ましい行動をした時にトリーツや遊びなどの報酬を与えて(反対に望ましくない行動をした時には報酬は与えない)「この行動をすると良いことがある」と犬が学習することで、望ましい行動を強化するというものです。
嫌悪刺激ベースとは犬が望ましくない行動をした時に、大きな音や水スプレーなどの嫌な刺激を与えて(反対に望ましい行動をした時には嫌な刺激は与えない)「この行動をすると嫌なことがある」と犬が学習することで、望ましくない行動を減らすというものです。
昔の犬のトレーニングでは嫌悪刺激ベースのものが多かったようですが、近年は報酬ベースのトレーニングが推奨されていて、報酬ベースのトレーニングのメリットや嫌悪刺激ベースのトレーニングのデメリットについても科学的な研究が行われています。この度、イギリス最大の犬保護団体であるドッグズトラストに所属する動物行動学や動物福祉のプロと獣医師たちの研究チームが、普段報酬ベースでトレーニングされている犬と嫌悪刺激ベースでトレーニングされている犬の認知バイアスを比較する実験を行い、その結果を発表しました。
報酬ベースVS嫌悪刺激ベースで比較
この研究に参加したのは、一般家庭でペットとして飼われている犬100頭でした。参加者は以前のアンケート調査に参加したことがある人や動物病院、トレーニングスクール、ブリーダーのリスト、犬種クラブなどを通じて募集されました。
参加希望者には事前にアンケートに答えてもらい、犬の年齢や不妊化手術の状態(去勢や避妊手術の有無)、持病の有無など基本的な情報の他に、普段のトレーニングについてどのような方法を使っているかという質問がされました。
トレーニング方法に関する質問は「2つ以上の嫌悪刺激を日常的に使っている」か「嫌悪刺激は全く使っていない」というものであり、実験に参加した飼い主と犬のペアは「嫌悪刺激を使っているグループ」と「嫌悪刺激を全く使っていないグループ」それぞれ50頭ずつに分けられました。両グループの年齢や不妊化状態、犬種などの分布はほぼ同じになるように参加する飼い主と犬のペアが選ばれました。
ちなみに今回の研究で「嫌悪刺激」としたものは以下の通りです。
- 犬が吠えると声に反応して柑橘系のスプレーが噴霧される首輪
- リモコンで操作する柑橘系のスプレーが噴霧される首輪
- プシューッという音がするスプレータイプの道具
- 叩く、揺するなどの体罰
- 犬が吠えると声に反応して電流が流れる首輪
- リモコンで操作する電流が流れる首輪
- 水鉄砲
- チョークチェーン首輪
- コインの入った空き缶などで大きな音を出す
嫌悪刺激を使うグループの条件として「2つ以上」の嫌悪刺激とした理由は、このリストの嫌悪刺激を2つ以上日常的に用いている飼い主は、できれば嫌悪刺激を使いたくないがどうしてもの時にしょうがなく嫌悪刺激を用いているのではなく、犬のトレーニングには基本的に嫌悪刺激を用いている可能性が高くなるからです。対称グループの方は、上記のような嫌悪刺激は全く使ったことがないと回答した飼い主と犬たちでした。
トレーニング方法が犬の認知バイアスに与える影響
認知バイアスとは、過去の経験や根拠のない直観、または客観的事実ではなく本人の希望などによって歪んで、または事実とは異なるように形成された物事の見方や考え方のことです。
身近なところでは、恋愛相手に対しては良い所にばかり目を向けて欠点は見て見ぬふりをしたり、地震が起きて避難警告が出されても「私は大丈夫」とか「今回も大したことないだろう」と思い込んだり、自分に都合の良いことと悪いことがある場合に都合の良いことしか受け入れようとしないこと、などがあります。
犬の認知バイアスを調べる時には過去の研究によって確立された以下のようなテストがあります。
犬が待っている地点から4メートルの2つの地点に、トリーツの入ったボウルと空っぽのボウルをおきます。ちょうど犬がいる地点を頂点に、2つのボウルが二等辺三角形を描く感じです。
右側のボウルと左側のボウルのどちらかには常にトリーツが入っていて、犬たちはどちらのボウルに常にトリーツが入っているかを事前に訓練されます。犬がどちらのボウルにトリーツが入っているかを覚え、そちら側のボウルに向かって走っていくようになったら、次に2つのボウルの間、つまり犬にとってトリーツが入っているかどうか判断が曖昧になる場所にボウルを置いて、犬にボウルに近づくよう促します。トリーツが入っているかどうか判断が曖昧になる場所は3か所あり、右側と左側のボウルを結んだ線を4等分する点となります。3か所のうち1か所は右側と左側のちょうど真ん中、1か所は真ん中と左側のボウルの中間、もう1か所は真ん中と右側のボウルの中間というわけです。
犬がトリーツを探してボウルに近づくまでの時間を測定して犬の認知バイアスを調べます。
トリーツを見つけようと曖昧な場所に置かれたボウルに近くまでの時間が短い犬は「楽観的」と評され、反対にボウルに行くまでノロノロして時間のかかる犬は「悲観的」と評されます。
結果は、2つのグループの犬たちの認知バイアスは、はっきり2つに分かれました。
嫌悪刺激を使わないグループの犬はボウルに近づくまでの時間が短く楽観的、嫌悪刺激を使っているグループはボウルに近づくまでの時間が長く悲観的と判断できるというものでした。
犬に楽観とか悲観という言葉を使うとピンと来ないかもしれませんが「嫌悪刺激を与えられたことがなく、良いことをしたらご褒美がもらえる方法でトレーニングをされている犬は、曖昧な状況でも良いことが待っているに違いないと思って行動する」、反対に「日常的に嫌悪刺激を受けている犬は曖昧な状況に希望を持つことなく、どうせ良いことなんてないだろうと思って行動する」と言うと分かりやすいでしょうか。
日常的に嫌悪刺激を用いてトレーニングされていると、犬も「どうせだめだろう」と希望を失ってしまうということが伺えます。これは、長期にわたって犬がネガティブな感情を持つこととなり犬の福祉にも反することだと研究者たちは述べています。
人間の場合はうつ状態になると悲観的になりやすく、報酬に対する感受性も低下すると言われています。犬の場合も日常的に飼い主にとって望ましくない行動に対して嫌悪刺激が与えられている状態だと、たとえ報酬があってもそれがトレーニングのモチベーションとなる可能性が低くなることも考えられるのかもしれません。ただ、報酬や嫌悪刺激に対する感受性はもともとの性格や育った環境などによっても差があります。嫌悪刺激を日常的に与えられている犬では、望ましくない行動を止めるのに小さな嫌悪刺激で済むようになっている場合もあり、報酬や嫌悪刺激、または罰に対する犬の感受性と犬の行動や学習、福祉との関連については、更なる研究が必要だと述べられています。
まとめ
家庭犬をトレーニングする際に、日常的に嫌悪刺激を与える方法を使用していると、犬はより悲観的な認知バイアスを示したという調査結果をご紹介しました。この結果は、犬のトレーニング方法が動物福祉に与える影響を理解する重要性を強く表しています。
ドッグトレーナーや獣医師の中にも、嫌悪刺激をベースとしたトレーニングを勧める人が現在も少なからずいます。一般の飼い主は専門家の言うことだから正しいと思ってしまいがちですが、動物行動学や行動分析学など、様々な分野の研究で嫌悪刺激を使うトレーニングの悪影響、必要のなさは指摘されつつあります(ただし、状況によっては体罰とならない程度の嫌悪刺激を用いる必要もあります)。
飼い主もこのような情報を知っておくと、専門家を選ぶ時の基準にすることができると思います。大切な愛犬がいつも「何か楽しいこと、いいことが待ってるよ!」と思えるような状況を作ってあげるのは飼い主の大切な役目の1つです。
《紹介した論文》
Casey, R.A., Naj-Oleari, M., Campbell, S. et al. Dogs are more pessimistic if their owners use two or more aversive training methods. Sci Rep 11, 19023 (2021).
https://doi.org/10.1038/s41598-021-97743-0
過去にも別の研究者らによって、認知バイアスを測定する実験で嫌悪刺激を使ったトレーニングクラスに参加している犬たちは主に報酬ベースのトレーニングクラスに参加している犬たちよりも悲観的だと示されるとの研究が報告されていますが、今回の研究では、より調査対象を多くし飼い主と犬のペアについて調べられました。その結果、過去の研究と同様に、嫌悪刺激を使って日常的にトレーニングされている犬は悲観的だと言える結果が出たということです。
ただ、犬の認知バイアスとトレーニング方法はどちらか一方が原因で他方が結果であるばかりではなく、お互いに影響を与える問題でもあります。例えば、嫌悪刺激を日常的に与えられているから犬が悲観的になるだけではなく、物事を悲観的に捉える犬は恐怖に起因する行動(飼い主にとっては問題となる行動)を起こしやすいため、それは飼い主にとってコントロールが難しく嫌悪刺激を使うことになるという例が考えられます。本論文においても、報酬や嫌悪刺激と認知バイアスの因果関係については更なる研究が必要だと述べられています。
また今回、「嫌悪刺激を日常的に使用する」とは、リストに示された中の2つ以上の嫌悪刺激を日常的に使っていることと定義されており、そのグループに分けられた飼い主も報酬ベースでのトレーニングもしていると回答しています。つまり、正確に言うと今回の研究は「嫌悪刺激ベースと報酬ベースの両方でトレーニングを行っている飼い主と犬」と「報酬ベースでのみトレーニングを行っている飼い主と犬」との比較となります。よって今回見られたグループによる差は、「一貫した方法でトレーニングを行っていない飼い主と犬」と「一貫した方法でトレーニングを行っている飼い主と犬」との比較になっている可能性も考えられます。トレーニング方法に一貫性がないことのデメリットはこれまでにも多く示されています。
最後に、嫌悪刺激ベースでのトレーニングが推奨されないことは現在広く知れ渡っていますが、本論文で要約されていた嫌悪刺激ベースでのトレーニングのデメリットは以下の通りです。
1. 好ましくない犬の行動の多くは不安や恐怖によるものなので、嫌悪感を与える方法でトレーニングをすることはよりネガティブな感情を作り出し、攻撃行動へとつながるさらなる問題行動を招く恐れがある。
2. 嫌悪刺激を用いた場合、状況によっては飼い主が意図しない偶発的な出来事と嫌悪刺激が結び付けられる場合がある。その場合犬は、飼い主が意図しない間違った学習をする可能性がある。
3. 嫌悪刺激を用いて特定の行動をやめさせても、犬の心理状態を変えられてはいない。そのため、一旦はその行動がやんでもまた繰り返すようになったり、状況が変わればその行動を行ったりする可能性がある。
4. 好ましくない行動を罰するだけでは犬にどうするべきかを教えておらず、犬を混乱させフラストレーションを抱かせる。
5. 嫌悪刺激は犬に危害を加える恐れがある。