犬の遺伝子検査の会社による研究
「保護施設から引き取った雑種犬にどのような犬種のDNAが含まれているのか調べたい」、「遺伝病など将来の病気のリスクとなる遺伝子を持っているのかどうか調べたい」などペットの遺伝子に関する検査を請け負う会社はたくさんあります。
そのような会社の1つであるアメリカのエンバーク・ヴェテリナリー社(Embark Veterinary) が、犬の毛色「ローン」に強く関連することが分かった遺伝子変異を見つけたことを発表しました。
遺伝子検査の会社は膨大な数の遺伝子データを持っているため、匿名化したそれらのデータを使って様々な遺伝学の研究を行なっています。
ユニークな斑点模様「ローン」に関連する遺伝子
今回の研究の対象となった犬の毛色「ローン」はジャーマンショートヘアポインターやイングリッシュコッカースパニエル他、いくつかの犬種に見られます。地色に白い毛が細かく混ざって斑点やマーブルのようなユニークな模様を作っているものです。
生き物の遺伝子は非常に多様性に富んでいますが、その遺伝的多様性が実際の生き物にどのような変化、多様性をもたらしているのかは分かっていないことも多いものです。ご存知のように犬の毛色や模様は、他の動物に比べて飛び抜けて多様性に富んでいて、遺伝的多様性と生き物の外見やあらゆる機能との関連を知るのに犬はうってつけの研究対象となります。
エンバーク社は遺伝子検査を注文する顧客に愛犬の写真を添付することを依頼し、研究のデータとして使う了承を得ました。様々な犬種の膨大なデータを容易に集められるのは企業ならではのメリットです。
ゲノムワイド関連解析の手法を使ってのリサーチの結果、ローンの毛色は第38番染色体上のある遺伝子変異と強く関連しており、それはUSH2A遺伝子の中にあることが判りました。USH2A遺伝子の小さい領域の複製の有無が被毛にローンがあるかどうかとおぼ一致していたそうです。
ダルメシアンのスポットとの関連も浮上
このローンに関連する遺伝子変異を様々な犬種で比較したところ、エンバーク社のデータ上のすべてのダルメシアンは、ローン模様のある犬と同じ複製を持っていました。
これまでダルメシアンのスポット模様は、他の犬種のローン模様と関連しているともいないとも言われてきましたが、この結果はダルメシアンのスポット模様はローンから変化したものである可能性を示していて、研究者をも驚かせました。
まとめ
アメリカの遺伝子検査の会社が犬の毛色やパターンと遺伝的変異の関連を調査した結果、ローン模様に強く関連する遺伝子変異が明らかになったという発表をご紹介しました。
毛色や模様に関連する遺伝子は特定の疾患にも関連していることが多いので、毛色の研究が犬の遺伝病撲滅や病気の予防にも、さらに役立つよう期待が出来るのかもしれません。
犬種基準が作られた時代から時が経ち、遺伝子情報が次々に明らかになる中で見た目重視の犬種基準は考え直す時期が来ていると感じます。特定の異常や疾患との関連が遺伝子の面からも明らかになる色があれば、その色を持つ犬を生み出すことよりも健康な犬を生み出すことを優先すべきではないでしょうか。そのためには、ブリーディングや遺伝子研究とは無縁の一般の飼い主や飼い主候補がこのような知識を増やしていくことも、大切なことだと思います。
《紹介した論文》
Kawakami T, Jensen MK, Slavney A, Deane PE, Milano A, et al. (2021) R-locus for roaned coat is associated with a tandem duplication in an intronic region of USH2A in dogs and also contributes to Dalmatian spotting. PLOS ONE 16(3): e0248233.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0248233
《論文についての補足》
ローンと似ている模様にティッキングという模様があります。両者はよく似ていますが、ローンは白地に地色の細かい斑点が散らばっているのに対し、ティッキングは白地に地色の様々な大きさの斑点がローンよりもはっきりと現れます。ローンとティッキングの両方を持つ犬もいます。どちらも、白い部分を出現させるS遺伝子があってこそ現れる模様でありますが、ローンとティッキングは同じ遺伝子によるものなのか、それとも違う遺伝子によるものなのか、という議論が以前からありました。さらにダルメシアンのスポット模様について、ティッキングまたはローンが変化したものだという意見は昔からあったようですが、ローンではなくティッキングが変化したものであると考える人の方が多かったようです。
今回の研究結果から、記事内で説明されている遺伝子の複製(縦列重複)は、ローンは持たずにティッキングだけを持つ犬ではごく少数しか見られなかったので、まだ確証はありませんが、ローンとティッキングは違う遺伝子によるものである可能性が示されたということです。また、縦列重複の有無と関連する一塩基多型(SNPs)も、見つかっています。ローン模様の有無と強く関連している縦列重複のすぐそばに、その重複の有無と強く関連する1つの塩基の違いが数種類あったということです。過去の研究で、第15番遺伝子にあるKITLG遺伝子がローンに関係している可能性が指摘されていましが、今回の研究ではそれは否定されました。また、ダルメシアンにおいては調査した全頭で同じ縦列重複を持ち、一塩基多型についても同じ、または似たような変異を持っていたそうです。つまり、ダルメシアンのスポット模様はこれまで多く言われていたことと異なり、ローンから生まれた模様である可能性が考えられるということです。ローンではなくスポットとなるには、何か別の遺伝子が働いているのだろうと考えられます。
これらの遺伝子変異がどのようにローンという被毛の色の発現にかかわっているかはまだ全く不明ですが、これらの変異はUSH2A遺伝子内にあり、人間におけるUSH2A遺伝子の変異は先天的な聴覚異常を起こすアッシャー症候群タイプ2と呼ばれる疾患の原因となっていることが分かっています。ダルメシアンや典型的なローンを持つ犬が多いオーストラリアンキャトルドッグでは昔から難聴の犬が多いことが問題視されています。ローンやティッキングを持つスパニエル種でも、そこまで多くはないものの難聴の犬が生まれることがあります。今後、それらの毛色と感覚器異常の関係も、科学的にはっきりと分かるようになることが期待されます。
なお、同時期に別研究者らによる似た内容の論文が発表されています。
Brancalion, L., Haase, B., Mazrier, H., Willet, C.E., Lindblad-Toh, K., Lingaas, F. and Wade, C.M. (2021), Roan, ticked and clear coat patterns in the canine are associated with three haplotypes near usherin on CFA38. Anim. Genet., 52: 198-207.
https://doi.org/10.1111/age.13040