「善」と「悪」の人間的定義
「善」とは?
まず、私たち人間にとって「善」とは何かを定義してみます。辞書によると、「善」とは「社会的な模範として認められている存在や行為のこと」あるいは「道徳的に正しいこと」とあります。簡単に言うと、「みんなが良いと思う行動」と言ったところでしょうか。
「悪」とは?
では、反対に「悪」を定義してみます。「悪」とは、辞書などによると「文化や宗教によって定義が異なるものの、おおむね人道に外れた行いやそれに関連する有害なものを指す概念」と説明されています。何かを傷つけること、何かに危害を加えること…と簡単に解釈することにします。
犬にとっての「善」とは?
仲間とトラブルなく暮らすこと
そもそも、「善」も「悪」も人間の価値観で決められる概念ですから、犬自身がそういった概念を持っているとは考えられません。ですが、犬は集団生活ができる動物ですから、群れの一員として平穏に暮らす上で守るべきルールがあることを理解し、そしてそれを守れる能力があります。
野生では、群れのルールを破るものに対して、リーダーである犬が制裁を加えることもあるでしょう。ですから、犬にとって「善」とは、「群れのルールを守ること」もそのうちの一つと考えられるのではないでしょうか。
飼い主さんが喜ぶこと
一方、人間の家族として暮らしている犬にとっての「善」とはどういったことでしょう。例えば、「いたずらをせずに一人で静かに留守番ができた」「決められた場所にトイレができた」「飼い主さん(あるいは、訓練士やハンドラー)の指示に従った」とき、思い切り褒めてあげると、犬は満足してとても喜びます。
良いことをすると褒められる…そういう「褒められること」と良い行動を関連付けることで、犬は人間と一緒に暮らすルールや、人間のために働く術を身に付けていきます。盲導犬や災害救助犬、警察犬など、いわゆる使役犬の訓練も、褒めて犬に「良い記憶」を刻みつけていくことで成り立っています。
犬にとっての「善」とは飼い主さんが笑顔になること
つまり、犬にとって「善」、「善い行い」と言うのは、その犬が大好きな人が笑顔になり、自分を褒めてくれることなのではないでしょうか。
自分の気持ちが優しく、穏やかな気持ちでいられること
飼い主さんに対してだけでなく、全く血の繋がらない子犬や子猫を育てる犬がいます。この行動を人間は「善」と捉えますが、犬にしてみればおそらく「良いことをしている」とは思っていないはずです。
ただ、自分がしたいことをしているだけで、強いて言えば、子育てをすることで母性本能が満たされたり、庇護欲が満たされたりするので、おそらく犬自身はとても優しく、穏やかな気持ちに浸っていることでしょう。誰かに褒められて嬉しいから「善」と考える一方で、ただ、本能のまま、人間でいう「善」である行動ができる動物の感性は、人間の価値観や道徳よりもはるかに素晴らしいと思います。
犬にとっての「悪」とは?
群れの秩序を乱すこと
自分が属している群れには、力関係がすでに構築されているにも関わらず、リーダーの指示に従わなかったり、時には逆らったりして、群れでの生活に波風を立て、群れの秩序を乱すようなことばかりしていると、リーダーから制裁を受けたり、群れから追い出されたりして、一匹だけで生きていかなくてはならなくなります。
また、そういった身勝手な犬がいると、弱い者いじめをしたり、労働に応じて公平に分配された食事を横取りしたりして、群れの中の弱い立場の犬が大きなストレスを抱えることになります。「善」の場合とは逆に、野生の犬にとっては群れの秩序を乱す仲間はキライでしょうし、そういった相手に優しく接することもできないでしょう。
ですから、おそらく犬にとって群れの秩序を乱すことも、「悪」の一つと捉えているかも知れません。
飼い主さんに叱られること
そして、人間と一緒に暮らしている犬には、それぞれの家庭の中で決められたルールがあります。
トイレの場所を失敗したり、ついつい、お腹が空いて買い置きのドッグフードを食べ散らかしたり、柔らかな布のクッションの中から水鳥のニオイが微かにするような気がして引き裂いてみたら、羽毛が部屋中に舞い散ってしまったり…と言った、飼い主さんが思わず悲鳴を上げそうになるほどのイタズラも、犬には「飼い主さんを困らせてやろう」と言うような悪意はありません。
けれども、そんなやんちゃをした後、飼い主さんに叱られると、「やってはいけないことをした」と理解します。厳密にいうと、犬は「悪いことをすると叱られる」と考えるのではなく、「してはいけないことをすると叱られる」と考えるので、「悪」について理解できているのではないのかも知れません。
飼い主さんに無視されること
飼い主さんが深い愛情をかけ、犬も飼い主さんを深く信頼し、愛している関係なら、犬にとって一番精神的に辛いのが、飼い主さんから無視されることです。
先ほどの「してはいけないことをするば叱られる」よりも、「してはいけないことをしたから無視されている」と犬が感じたら、そのときの方が犬の心理に深く、大きく作用します。「飼い主さんに無視されるのは、自分が飼い主さんがしてはいけない、という命令を守らなかったから」と犬は無視されることと自分の行動を関連付けて考えます。
悲しい気持ち、寂しい気持ちになることが犬にとっての「悪」
飼い主さんに叱られたり、無視されたりすると犬は悲しく、寂しく、しょんぼりと元気がなくなります。大好きな飼い主さんから怖い顔で叱られて、あるいは背中を向けられて、甘えた声で呼んでも反応してくれない、こんな悲しい気持ちになるのは、二度とイヤだ!と犬は考えるでしょう。
飼い主さんに喜んでもらえることが犬にとっての「善」なら、飼い主さんに叱られ、無視されて悲しい気持ちになるのが犬にとっての「悪」…と言う風に考えられないでしょうか。
まとめ
犬の知能は、3~4歳ぐらいの子供と同じ程度だと言われています。それを踏まえて考えると、3~4歳の子供なら、家庭の中でも、集団生活をしている保育園や幼稚園でも、「やっていいこと」、「してはいけないこと」を教えると、ちゃんと覚えるようになります。
おそらく、その頃の子供たちは、人を思いやって「善」と「悪」を理解するのではなく、「大好きな人に褒められることをするのが善」、逆に「大好きな人から怖い顔をして叱られることをするのが悪」として理解しているという点では、本当に犬と子供の理解力は同じなのかも知れません。
犬は、人間と同じ価値観で「善」と「悪」を判断できるとは思えません。けれども、、犬は犬なりの価値観や本能、そのときの衝動で「善」と「悪」の判断ができる、と言えるのではないでしょうか。
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20代 男性 匿名