室内で暮らす犬は1年中毛が抜ける?

「うちの犬は1年中毛が抜けています」
診察でもよく聞く話です。あまりにも普通になっているため、それを異常だと思っていない飼い主さんも少なくありません。
しかし、本来の換毛は1年中ダラダラと続くものではありません。季節の変化に合わせて毛が抜け、次の毛が作られます。
私の臨床経験でも、屋外で暮らす犬では換毛期が比較的はっきりしている一方、室内で暮らす犬では春の換毛が何か月も続いたり、真夏や真冬に突然大量に毛が抜けたりするケースをよく経験します。
これは私だけの印象ではなく、獣医師同士で被毛の話をすると、室内飼育によって換毛が分かりにくくなったという話は珍しくありません。大切なのは「どれだけ抜けるか」だけではありません。私は、古い毛が抜けることと、次の毛が作られることがきちんと連動しているかを重要視しています。
健康な犬では大量に毛が抜けても、次の毛が入れ替わるように生えてきます。一方、被毛の状態が悪い犬ほど、抜けてから次の毛が生えるまでに時間がかかります。
この「タイムラグ」が大きくなると、見た目にも薄毛になっていきます。
「夏だから毛が抜ける」は本当に正常?

特に気になるのが夏です。「暑いから夏毛に変わった」と説明されることがありますが、私は夏に大量に毛が抜けることを、すべて正常な換毛とは考えていません。
夏でもモコモコの被毛を維持している犬はいます。むしろ私の臨床では、そうした犬ほど皮膚や被毛のトラブルが少ないと感じています。
反対に、夏になって冷房を使い始めてしばらくすると、一気に毛が抜ける犬がいます。変化の程度には個体差があります。短期間で一気に薄くなる犬もいれば、1~2ヶ月かけて徐々に薄くなる犬もいます。
そして状態が悪い犬では、抜けた毛がなかなか戻りません。中には夏が終わり、冷房を使わなくなって、さらに秋が深まる頃になってようやく被毛が戻り始める犬もいます。
一方、治療を年単位で続けて被毛の状態が良くなってくると、同じように冷房のある生活をしていても、夏のダメージが小さくなっていきます。さらに状態が良くなると、毛が抜けても次の毛が同時に生えてくるようになります。
つまり私は、単純に「夏に毛が抜けた=換毛」と考えるのではなく、「季節の変化に対して被毛を維持し、きちんと入れ替えることができているか」を見ています。
犬はどうやって「今の季節」を知るの?

そもそも動物はカレンダーを見て季節を知っているわけではありません。気温や日照時間など、自然環境の変化を身体が感じ取っています。
その1つに関係するのが「メラトニン」です。
メラトニンは暗くなることで分泌が増えるホルモンとして知られています。犬でも、明るい時間と暗い時間を12時間ずつにした環境で、血中メラトニンに明確な日内リズムがみられることが報告されています。
また、別の研究では季節によるメラトニン濃度の変化も報告されています。
そして興味深いことに、メラトニンは犬の一部の脱毛症で発毛を促す目的に使われることがあります。私自身も、検査では明確な異常が見つからない薄毛の犬にメラトニンを使用し、被毛が変化するケースを経験しています。
単に毛が生えるだけではありません。毛が密になる、色が濃くなる、長さがそろう、カールが戻る、艶が出るなど、被毛そのものの状態が変わることがあります。
さらに薄毛ではない犬でも、毛が簡単には抜けなくなり、良い被毛の状態を維持しやすくなることがあります。
もちろん、すべての犬に同じ変化が起こるわけではありません。しかし、こうした経験を重ねていると、被毛と「光・暗闇・体内時計」の関係を無視することはできないと感じます。
犬は「暗い夜」を失った?

屋外で暮らしていれば、日が沈めば暗くなります。夏と冬では日の長さも違い、気温も変化します。
ところが人と暮らす犬は違います。
夕方になっても照明がつき、飼い主さんが寝る時間まで明るい部屋で過ごします。夏は冷房、冬は暖房によって、季節による気温差も小さくなりました。人間は犬を暑さや寒さから守り、より快適に暮らせる環境を作ってきました。それ自体を否定するつもりはありません。
ただ、その結果として犬の身体が本来受け取っていた「昼と夜」「暑さと寒さ」「季節の移り変わり」という情報まで弱くなってはいないでしょうか。
犬で「夜の室内照明が換毛を乱す」と直接証明されたわけではありません。
それでも、犬に昼夜や季節によるメラトニンの変化があり、他の哺乳類では季節と被毛の成長や換毛との関係が報告されていることを考えると、私は一つの可能性として気になっています。
人と暮らすようになった犬は、大切な「暗い夜」を失ったのではないか、と。
毛は「生え続ければいい」わけではない?

ここでもう一つ、被毛について面白いことがあります。
多くの哺乳類の毛には毛周期があり、成長し、止まり、抜け、また新しい毛が作られます。一方、人の頭髪やプードルなど一部の犬種、羊毛を作る羊などには、一般的な同種の動物よりも毛の成長期が非常に長いという特徴があります。
羊を使った研究では、野生の羊の仲間であるムフロンや、原始的な特徴を残す品種ソーイ(Soay)では、春に被毛の成長と明確な換毛がみられることが報告されています。
一方で、長く細い羊毛を作るよう人が選択してきたメリノなどでは、季節による被毛の変化が不明瞭になり、一年を通して毛が成長することが報告されています。これは「毛が長いことが悪い」という話ではありません。
ただ私は、毛には「たくさん作ること」だけではなく、「適切なタイミングで抜け、次を作る」という周期そのものにも意味があるのではないかと考えています。
人の「よかれ」は、犬にとっても「よかれ」?

現代の犬は、人と暮らすことでたくさんのものを手に入れました。安全な家があり、食事に困らず、暑ければ冷房、寒ければ暖房があり、病気になれば医療を受けられます。
その一方で、私たちが「犬のためによかれ」と思って取り除いてきた自然環境の刺激もあります。暑さ、寒さ、季節の変化、そして暗い夜。
自然の中で生きる動物にとって、こうした変化は単なる「不快なもの」ではなく、身体に季節や時間を伝える情報でもあります。
だからといって、「犬を外で飼いましょう」という話ではありません。照明を消せば毛が生える、エアコンを使わなければ健康になる、という単純な話でもありません。
現代の生活の中で、犬を完全に自然な環境に戻すことはできませんし、その必要もないと思います。ただ、私たちが快適さを求めるあまり、犬の身体が本来受け取っていた自然からの刺激まで、すべて取り除く必要はないのではないでしょうか。
- 朝になったら太陽の光を浴びる。
- 季節ごとの気温の変化を感じる。
- 日が沈み、夜になったら暗い環境で過ごす。
特別なことをするのではなく、自然に起きている変化を、犬の身体がそのまま受け止められる時間を少し作ってあげる。そんな工夫があってもいいのではないかと思います。人間にとって「快適ではないもの」が、犬にとっても不要なものとは限りません。
暑さ、寒さ、明るさ、暗さ、そして季節の移り変わり。犬の身体は、そうした自然からの刺激を受けながら進化してきました。
愛犬のためによかれと思って整えている暮らしの中に、少しだけ「自然のまま」を残してみる。それもまた、犬の健康を考える一つの方法なのではないでしょうか。
参考文献
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