日本人と犬の関係
けだもの
かつての日本は、『犬』という動物は、”けだもの”として考えていました。
”けだもの”とは、全身に毛が生えていて4本足で歩く哺乳動物のことです。
人間ではない、”けだもの”です。
”けだもの”という言葉は、人間の心を持っていないような人を罵るときに使う言葉でもあります。
犬畜生
”犬畜生”という言葉をきいたことがありますか?
「犬畜生にも劣る行為だ!」というセリフは、少なからず、聞いたことがあるでしょう。
犬畜生=けだものと意味はほぼ同じです。
かつての日本では、犬への意識レベルは低かった
”けだもの”とか”犬畜生”というあまり良くない日本語に、”犬”という生きものが関係しているということが、かつての日本人の”犬”に対する意識レベルの低さと、関係しているのかもしれません。
昭和と犬=番犬
昭和時代の日本人にとって、犬は”けだもの”であり”畜生”でした。
犬好きの人も確かにいました。
犬を飼っている人も多かったです。
でも、あくまでも犬は”番犬”でした。
昭和の日本人は、家に鍵をかけることをあまりしませんでした。
それだけ、治安が良かったということもありますが、鍵をかけられるような作りの家が少なかったという事もあります。
縁側は障子だったり、裏木戸は中から引っ掛けるタイプの簡単な鍵はあるが、外からは鍵はかけられなかったりしました。
そういう作りの家が多かったので、当然、泥棒も多かったです。
留守だったら、いつでも誰でも入れる作りの家がほとんどだったのですから。
鍵があっても、かけない人も普通にいました。
今のように、突然、知らない人が入ってきて、その家の人たちを襲って傷つけたり殺したりという事件は少なかったかもしれませんが、それでも泥棒は多かったのです。
だから、泥棒に入られないように、犬を”番犬”として飼う人がほとんどでした。
つまり極端な話、犬は泥棒よけの道具として考えられていたのです。
ごはん
昭和50年くらいまでの犬のごはんといえば、麦飯に味噌汁をぶっかけて、魚の骨があればごちそうでした。
塩分とか栄養とか、そんな知識がほとんどの日本人にはありませんでした。
わざわざ犬のためにドッグフードを買うとかご飯を作るとかいうのではなく、そのほとんどが残飯をやるという感覚だった気がします。
後半は、ドッグフードが発売されました。
でも、最初の頃は種類は限られていて、ほとんど選択肢はなく、それをやはり麦飯味噌汁ぶっかけごはんに、少し混ぜてあげる程度の人がほとんどだったと思います。
麦飯味噌汁ぶっかけごはんでは、犬に必要なビタミンがとれないと、ドッグフードを販売している会社の宣伝で、少しずつ、犬にもビタミンが必要なんだとだんだん認識され始めました。
散歩
犬の散歩は、その多くが鎖を外して勝手に放す人が多かったです。
平成の今でも、地方の田園地帯はそういうところが残っています。
犬は1日1回、鎖から解放されて、勝手に散歩に行けました。
それが許された時代が、確かにあったのです。
そして、飼い主さんが呼ぶと、どこからともなく帰ってくる…。
特に訓練していなくても、帰ればごはんが待っているということで、犬は飼い主が呼ぶ声でちゃんと自分の家に帰っていました。
野犬化
去勢や避妊手術をするという知識もほとんどなかったので、発情期が来ると犬が帰ってこないこともありました。
しばらくすると、戻ってくることもありますが、そのまま野犬化することももちろんありました。
よく町には、犬の群れがうろついていました。
あの頃は、保健所が定期的に巡回して、そういう犬たちを捕まえていました。
通報があったのかもしれません。
今でも年配の人たちが、飼っていた犬がいなくなってしまっても、保健所にも届けず、警察にも届けず、特に探さない人たちがいるのは、「そのうち勝手に戻ってくる」という昭和の名残かもしれません。
狂犬病
昭和でも、狂犬病の予防接種の義務はもちろんありました。
でも、今ほど徹底していなくて、受けていない人もいたと思います。
今でも、受けない人は結構います。
その理由はお金がかかるから?めんどくさいから?狂犬病は日本には存在していないから?
様々な言い訳があると思います。
でも、それは法律違反だということを、もしかしたら知らないのかもしれません。
その反面、こんな勘違いをしている人もいます。
先日、飼い主さんが入院してしまった犬の散歩をボランティアとして行ったときのことです。
のどかな田んぼ道を散歩させていたら、その犬のことを知っている年配の女性が話しかけてきました。
そして、なぜ、見ず知らずの私がその犬の散歩をしているのかと聞かれました。
私はボランティアだと言いました。
飼い主さんが入院してしまったため、この犬は狂犬病ワクチンの接種がまだと言う話になり、今度受けに連れて行くと話していたら、その女性はこんなことを言いました。
「じゃぁ、この犬に噛まれないようにしなきゃね!狂犬病をうつされたら困るし!」
この女性は、犬が狂犬病ワクチンの接種がまだということ=狂犬病を持っているととらえてしまったのです。
この女性だけではありません。他の人もそういう勘違いをしている人がいました。
案外、多いのかもしれません。
狂犬病ワクチンの接種をしないと、噛まれると狂犬病をうつされる?
いいえ、日本には狂犬病は今現在は入ってきていません。
でも、いつそれが入ってくるかわからないので、予防するために狂犬病ワクチンを法律として、毎年義務づけているのです。
しかし、それが全ての人にはちゃんと理解されていないようです。
予防接種
混合ワクチンやフェラリア予防、ノミ・ダニの駆除なども、昭和ではほとんど行われていませんでした。だから、犬にはノミやダニがいて当たり前、そして短命でした。
栄養も今ほどよくなかったことと、一切の予防もしていないため、フェラリアにかかって死んでしまう犬が多かった気がします。
これらは現在、ほとんどの人たちが行っていますが、まだまだそういうことも知らないで、昭和時代のままの飼い方をしている人はたくさんいると思います。
外飼い
昭和時代は、犬は外で飼うのが当たり前でした。
鎖で繋いだまま、犬は外の犬小屋で寝ていました。
ごはんを食べるときも、鎖につながれたまま、水を飲むときも鎖につながれたまま…。
暑い夏も鎖につながれたまま、寒い冬も鎖につながれたまま…
台風のときだってそのまま外です。雷のときだってそのまま外です。
散歩をさせてもらえる犬はいい方で、そのまま一生鎖につなぎっぱなしということも、決して珍しくはありませんでした。
これは平成が終わろうとしている今でも、日本では当たり前にまだ行われていますよね?
先進国の欧米人は、犬が外で鎖につながれっぱなしでいるのをみると、「虐待だ!」と思うことを知っていますか?
実際、米国ではそういう飼い方をしている犬を発見すると、警察に「犬を虐待している人がいる!」と通報され、警官が様子を見に来て、あまりに酷い場合は、アニマルポリスも出動し、忠告しても改善されない場合は、最終的に虐待したとして逮捕されることもあります。
日本ではいまだに、犬が外で番犬として飼われていますよね?
いいか悪いかは別として、これは先進国の考え方には反しています。
平成~空前のペットブーム
昭和の後半あたりから、柴犬など日本犬のブームが突然始まりました。
それをきっかけとして、平成になり、ペットショップでの小型犬やブリーダーからの大型犬など、雑種よりも日本人は純血種を求めるようになりました。
昭和では、犬は捨て犬を拾うか、保健所でもらうのが当たり前だったのですが、昭和後半から平成になって、犬は『自分好みの純血種をお金を出して買うもの』と、人々の意識が急速に変わっていきました。
今やどこを見ても、チワワやトイプードル、シーズやダックスフントなどの小型犬から、柴犬などの中型犬、そしてゴールデン・レトリバーやシェパードなどの大型犬、いずれもお金を出して購入したであろう犬だらけですよね?
テレビも雑誌も、こぞってかわいい純血種の特集を組んだりします。
ペット産業はどんどん活気づき、様々なドッグフードに、おやつ、栄養剤に犬のための服や首飾り、リボンなどの装飾品、おもちゃ、シャンプーや歯磨き道具、ベッド、ストローラーなど、時にはこんなものまで?というくらい犬用品が市場には溢れかえっています。
動物病院
以前は、動物病院は町に1軒あればいい方でした。
それがどんどん増え、どこの動物病院でも待合室は常にいっぱいの状態…という光景が珍しくないものとなっています。
ペットの保険なども登場しています。
そのおかげで、犬の寿命は延びました。
180度変わった犬の環境
まだまだ日本は番犬としての外飼いの犬もいますが、室内飼いで家族として迎えられる犬たちの方が圧倒的に増えました。
犬は、昭和の畜生という立場から、一気に家族へと見事に、のしあがることができたのです。
最後に
でも、それで先進国の仲間入りをしたということにはなりません。
保健所に収容される犬たちは相変わらずたくさんいます。
保健所(動物愛護管理センター)には、誰かの助けが必要な犬たちが、たくさんいるにも関わらず、日本では、何十万円も出してペットショップやブリーダーからの生体販売で、命を購入することが当たり前だと考えている人たちがまだまだたくさんいます。
これは、先進国の考え方ではありません。
かなり遅れた考え方をしていることになります。
欧米では、生体販売を法律で規制する動きが各地で見られます。
日本は全然そういう政府の動きはかけらもありませんよね?
なぜなら、ペット産業での経済効果が異常なほど日本は上がっているからだと思いませんか?
犬は今や”金儲けの道具”として、使われているということにどうか気が付いていただければと願います。
命は買うものではなく、助けるものだということをまだまだ認識されていない国民が、世界の中でもトップレベルで多いのは、それは”ペット後進国の日本”であることは、間違いのない事実なのです。
犬好きの人々が、ペット産業を潤していることは事実だとすれば、犬を商品化しているのは果たして誰なのか?ということをこの機会に真剣に考えていただければと願います。
それをあなたがどう判断するかはあなた次第だと思います。
※最後の写真は筆者の知人であるカメラマンのJohn Hwangさんがアニマル・シェルターで撮影したもので、掲載につきましては承諾をとっております。
ユーザーのコメント
女性 匿名
女性 yot
あなたは昭和の日本に暮らしていたのでしょうか?
番犬は悪いことではありません。
欧米の羊の護畜犬は番犬です。人間とは離して羊と一緒に育てるそうです。
仕事で利用する番犬はいいのですか?勝手です。
番犬として活躍してくれる犬に対して失礼です。
昭和でも家に鍵をかけるのが当たり前です(今と同じ。鍵をかけないのは泥棒がいない田舎だけ)
犬の散歩は行っていました。素朴で平穏な飼い方です。
正直、日本犬には、現代の飼い方より昔の方が良いかもしれないです。
東南アジアにもそういう飼い方は多いと聞きました。
調査もせず、狭い視野で一方的な自分の価値観だけで決めつける、
その考え方が古い後進的です。昔の短絡的なやり方です。
もう少し先進的で、多角的な優しい考え方を持ってほしいです。
本当のアメリカ人は思いやりがあり、もっと賢いでしょう。
しかし、自分が正しいと思いすぎるのは問題です。
「どちらも良い面と悪い面がある、どちらでもいい」くらいの柔軟性も良いです。
女性 匿名
そもそも犬を人間の都合のいいようにやたらめったら品種改良してきた西洋文化圏が犬に優しいとは個人的に思えませんね。犬の扱いも結局は宗教観からの違いですよね。日本はアニミズムが主流で、犬も自然の一部なので自力生きていくものだと考えられていましたが、西欧というかキリスト教圏では、人間以外の動植物は人間が使役し管理するべきという考え方がありました。ご自身の経験、ご近所のお話だけではなく、歴史や宗教も踏まえて論じられたほうがより説得力のある文になると思います。現在の犬たちを救おうとされている活動は応援しています。がんばってください。