動物兵器とされ特攻隊としても使われた犬達の悲劇
あの忌まわしい戦争が終結してから71年が過ぎようとしています。
広島と長崎に、空から巨大な悪魔が下りて来て人間の命を奪い、大地を焦土化させました。
戦争で亡くなられた方々は全国で310万人もいらっしゃいます。
しかし、戦争の記憶は徐々に薄れようとしています。
この様な悲劇は二度と起こしてはなりません。
そのためにも絶対に風化させてはいけません。
戦争で亡くなられた方々に対しまして、心より哀悼の意を表します。
そんな中で忘れ去られてしまったもう一つの悲劇があります。
それは大日本帝国軍部の愚かな考えから、戦争に駆り出され動物兵器として利用された犬達の悲劇です。
犬達は調教に当たった兵士から褒めてもらたい一心で散って逝きました。
犬は第一次世界大戦時から、優れた嗅覚と聴覚を見込まれて戦場に駆り出されて行きました。
所謂それが軍用犬です。
当初軍用犬は警戒・捜索・伝令・運搬などの任務を支援するためのもので、戦闘するためのものではありませんでした。
しかし軍部が兵士達に『犬さえも勇敢に働くのに、まして我々人間は更に頑張らねばならねば』という気持ちを抱かせるため、動物兵器として使用したのです。
その数は日本本土から5万頭、満州を含めると約10万頭の犬が動物兵器として戦場に動員され、それは敗戦に至るまで配備され続けたそうです。
戦況が悪化すると犬の神風特別攻撃隊が組織され、多くの犬達が【物言わぬ悲劇の兵士】として戦場で散りました。
私は当時の軍部の考えが理解できません。
正気の沙汰ではないと思います。
数えきれない程の人間と、何も知らない犬達までも犠牲にしているのですから・・・
敵戦車への体当たり攻撃
特攻犬は主に敵戦車への体当たり攻撃を目的として訓練されたのですが、戦車の走行時に出す激しい音に怯え、自陣に駆け戻って自爆した犬が沢山いたそうです。
また、敵戦車に辿りつく前に射殺されてしまう事も多くあった事から、あまり合理的な作戦とは言えなかったようです。
特攻法は、背中に起爆スイッチとなる木製レバーと爆薬を背負い、木製レバーを垂直に立ながら敵戦車に向かって突っ走り、戦車まで辿り着いたら下に潜り込ませます。
その際に起爆レバーが倒れ敵戦車を破壊すると言う戦法です。
長い期間犬達を調教し任務を遂行させた兵士は、どんな気持ちで命令を出していたのでしょう?
寝起きを共にすると特別な感情が湧いてきますからね。
きっと悲しさで胸が張り裂ける思いだったのではないでしょうか。
この様な記事を書いていると自分の愛犬と重なってしまい、とても悲しくなります。
※この爆弾犬の使用は旧ソ連で行われたもので、日本軍では爆弾犬の使用は無かったということです。
能力不足の犬達の運命
最初は、ここから先の記事は書かないでおこうと思ったのですが、多くの皆様に知って欲しいと思い、考えを変え書かせて戴きました。
調教中、軍用犬として能力不足だと判断されると、殺されて皮を剥がされ軍需用の毛皮にされたそうです。
そして終戦間近の食糧難には食用にされたとも言われています。
軍幹部は【命の尊さ】を分かっていなかったのでしょうか?
そんな中で軍幹部は料亭で芸者と戯れ酒を飲み、高級な料理に舌鼓を打っていたという話もありますから酷いものです。
そのような事をしていたのが全ての軍幹部ではないと信じたいですが・・・
もし当時、この様な事を言っていたら直ぐに射殺されるでしょうね。
戦争は人間を【魑魅魍魎化】させてしまいます。
魑魅魍魎と化した人間が殺人兵器を持つのですから、それは恐ろしい事です。
これは他界した父(太平洋戦争出兵経験者)から聞いた話なのですが、食用にされる犬と一緒に満州鉄道の線路に飛び込み自害した兵士もいたそうです。
自分がその立場ならどうするか考えましたら・・・
私もこの兵士と同じ事をしたかも知れません。
自分が手塩にかけた犬が食べられるくらいなら、一緒に死んでやろうと言う気持ちは痛いほど分かります。
それが親心です。
それが人間なのです。
この時代の背景が狂人化した心を作ってしまったのでしょう。
まとめ
戦時中は犬以外にも猫,馬などの動物が多数軍事用に利用され命を失いました。
人間の命さえも戦争の道具として使われたのですから、動物の死など軍部とっては大して重要なことではなかったと思います。
そんな中で少しだけ心が救われるは、靖国神社に戦争でお亡くなりになられた兵士の皆様と、軍用犬達が祀られていると言う事です。
これがせめてもの慰めとなるのではないでしょうか。
戦争を無くすにはどうすれば良いのでしょう?
一つだけ方法があります。
それは【相手を思いやる心】です。
そしてこれが出来るようで出来ないのが人間なのです。
人間がこの地球上に存在する限り戦争は無くならないかもしれません。
しかしだからといって諦めるのではなく、人間は努力はしなければなりません。
世界中の人間が相手を思いやる心を養う事ができれば、そうすればきっと戦争は無くなるでしょう。
それが私の願いです。
そして私は思っています。
愛犬も私も、この平和な時代に生まれて本当に良かったと・・・
ユーザーのコメント
女性 匿名
女性 匿名
殺される犬にとっては戦争中となんら変わらない。悲劇は終わっていない。
私は捨てられていた子を飼っているがこれ以上は飼えず厳しい。生体売買もおかしい。選挙では殺処分ゼロの人に投票する。
女性 匿名
また毛皮を使って食用にすることは、きちんとした命の使い方です。
特にロシアなんていう寒い国では、毛皮を活用することは生きていく上の知恵だと思います。
生類憐れみの令じゃないんだから。
40代 女性 ハナマルのママ
この事実を知って…家族の豆柴のママとしましては耐えられない事です
現在もこうしている間に処分として殺されていく命たちに…嘆いてあるばかりではいけませんよね 自分で出来る事をやっていきたいです(T_T)
30代 男性 匿名
よく調べもせずに適当なお涙頂戴ストーリーを捏造されている件について納得のいく説明をお願いします。
20代 男性 匿名
結局、批判してる側が批判してる愚かな大本営と同じ様に、資源不足による餓死や侵略虐殺を受け入れる事が出来ず、多くの人間を生き残らせる為に戦争する事になる。
人間はより多くが生きる為に戦争をしてるのであって、殺す為に戦争はしてない。
例えば、400万人が戦死する戦争と、2000万人が餓死する資源不足、選ぶとしたら後者を選べるだろうか?
それとも、愚かな大本営と同じく前者を選ぶのか?
20代 女性 汗
食べるものがなくて生きていかなければならない状況では致し方ないことだってある。
戦争は殺すためじゃなく、生きるためにやっているのだし、全体的に平和ボケした愛犬家の一方的な文章だなと感じました。
他者を思いやる気持ちがただあっても意味がありません。
むしろその気持が発端で恨みに変わり、戦争が起きることもある。
犬の飼い主が今の時代、自由に飼い犬を散歩したりできるのも、少なからず周りが思いやりという誰かの我慢の下に成り立っていることも忘れずに…。
この他者への思いやりが”当たり前のもの”と勘違いしてしまったのなら、再び対立や戦争が起きると思いますよ…。
(素直にこの文章を呼んでくれる愛犬家さんはいるんでしょうか…)
女性 匿名
30代 男性 匿名
各地で購買会を開催し、出陳された申請犬を審査し、訓練の度合いや性格、健康状態といった諸条件をクリアした犬を購買するのが軍用犬調達の基本です。
軍隊が欲したのは、即戦力となる在郷軍用犬たち。
訓練を受けていない犬を手当たり次第何千頭と徴発したところで、時間と労力と国費の無駄です。
当時の日本軍には、無訓練犬を飼育訓練する場所も、ハンドラーの数も、訓練期間も、それらにかける費用すら足りなかったのですから。
要するに、「手当たり次第の徴発」なんて意味が無いのです。だったらわざわざ購買会なんか開きません。
「じっさい、戦時中に軍部が手当たり次第に犬の毛皮供出を命令したではないか!」という主張もあるのですが、あれを指導したのは軍需省と厚生省でした(陸軍省と勘違いされやすいのですが、軍需省とは商工省のことです)。
軍部は犬毛皮の消費者であり、生産者ではありません。前提の知識として、当時の畜犬行政と皮革業界の構造からちゃんとお調べください。