犬の全身麻酔が必要な処置
犬は人間と違って、息を止めたり、じっと同じ姿勢でいることはできません。なぜ自分が動物病院につれてこられ痛いことをされるのかなど、理解することもできません。
全身麻酔は犬にとって、検査や治療を行う上でストレスや恐怖を軽減させたり、痛みを感じさせないようにしたり、動いてほしくない場面などに必要です。
全身麻酔にはリスクが伴いますが、麻酔をかけてでもやったほうが良い処置がある、麻酔のリスクよりも何もしないリスクのほうが上回る、といった場合に選択されます。では、犬の全身麻酔が必要な処置とはどのようなものがあるのでしょうか。
避妊手術・去勢手術
多くの飼い主さんが、犬の避妊手術や去勢手術を考えるでしょう。避妊や去勢手術は望まれない繁殖を防ぐ以外にも発情によるストレスの軽減や、問題行動の予防、乳腺腫瘍や子宮蓄膿症などの病気の予防にもなるため、獣医師から勧められることもありますね。
去勢手術であれば15分程度、避妊手術であれば30分程度と手術そのものの時間としては短いものですが、人間のように局所麻酔や硬膜外麻酔でじっとしておくことができない犬には全身麻酔が必要となります。
歯石除去などの口腔内処置
歯石除去や抜歯、口の中の疾患などの処置を行う際にも、全身麻酔が欠かせません。無麻酔で歯石除去を行ってくれる動物病院や様々な施設もありますが、無麻酔では歯肉の下の歯石や細菌などを取り除くことができないため処置としてもあまり意味はなく、さらに動物が不意に動いた際にけがをしたり歯を傷つけたりする事故が起こるので避けるべきとされています。
歯石除去や抜歯などを行った方は、その痛みがどれほどのものか想像し局所麻酔の必要性を理解することができると思いますが、犬は局所麻酔では動いてしまいます。痛みを感じさせないための局所麻酔だけでは、処置の恐怖や不安から、自分の身を守るために逃げようとしたり攻撃しようとしたりする犬もいるでしょう。なぜその処置が必要か理解できない犬に与える精神的なストレスは、計りしれないものがあります。
処置中に動いてしまって適切な治療や止血ができなかったり、他の口腔内を傷つけないため以外にも、犬に不必要なストレスを与えないためにも全身麻酔での処置が必要なのです。
動かないことが必要な検査(CT検査など)
犬の検査では、レントゲン、エコー検査、心電図、血液検査などは通常、全身麻酔の必要がありません。
しかし、それらで原因がわからない疾患や、脳疾患、神経疾患、腫瘍、ヘルニア、骨、脊髄、関節などの詳しい検査になると、より精密な断面画像や立体的な画像が必要となったり、検査に必要なサンプルを犬の体から採取するために痛みを伴ったり絶対に動かれては困る検査が必要になったりして、CT検査やMRI検査、場合によっては内視鏡での検査を行うことになります。
検査をする部位や機械にもよりますが、CT検査は10分程度、MRI検査は30~60分程度です。犬が動いてしまうと正確な検査ができないため、一般的には全身麻酔で眠らせる必要があります。
犬のどこを検査するか、また犬の性格、状態によっては、無麻酔でCT検査やMRI検査を行ってくれる動物病院もありますが、やはり犬が動いてしまう場合には全身麻酔が必要となります。
外科手術
人間でも外科手術を受ける際には麻酔が使用されるように、避妊・去勢手術以外の犬の外科手術にも全身麻酔は欠かせません。メスで体を切られるのですから、動いたら危ないですよね。犬は動かないでいることが出来ないので、内視鏡を使用した手術であっても同様です。
犬に行われる外科手術は多岐にわたります。人間と違って、犬は何をされるかわからないという不安や恐怖から、パニックにもなりますし、痛みにも耐えられません。安全に確実な手術を行う上で、全身麻酔はとても重要なのです。
動かないことが必要な治療(放射線治療や透析など)
放射線治療や抗がん剤を用いたある種の治療、検査だけではなく治療にも用いられる内視鏡を行う場合にも、全身麻酔や鎮静をかけて行われます。血液透析を行う場合にも、管を設置する時や透析を行う数時間の間、犬が動いてしまうようであれば鎮静が必要になります。これらは人間であれば麻酔の必要がない処置ですが、犬にこれらの処置を施す場合は、全身麻酔や鎮静によって動かないようにしなければいけません。
犬の全身麻酔のリスク
犬の全身麻酔で、一番気になるのはそのリスクではないでしょうか。実際に約500~1000頭に1頭の割合で麻酔を原因として命を落としてしまうことがあるからです。これは人間の10倍ほどの数字です。
この数字は、緊急手術や脳や心臓といったハイリスクな手術も含んだ数字のため、一般的な(一次診療の)動物病院で起きる麻酔による死亡率より高く計算されていると考えられます。
動物病院では人間のように麻酔科医が必ず手術室に入り、麻酔の管理を行うという場所はそう多くありません。麻酔を専門とする獣医師が限りなく少ない、また麻酔だけを担当する人員を配置する余裕がない病院が多いということもあり、大抵は獣医師が手術の執刀医や助手をしながら、また看護師さんの助けをかりながら行っています。
麻酔薬にも種類があり、犬の状態によって適した麻酔の種類や量が違うため、出来るだけリスクの少ない麻酔を出来るかどうかは麻酔を担当する人の知識と経験にかかってくるのです。多くの動物病院は全身麻酔での処置や手術を毎日のように行っていますので、事前にレントゲンや血液検査などを行って、全身麻酔のリスクが高くないか、どの麻酔薬を使うべきかを検討し、そのリスクが最小限になるように最大限の努力をしてくれています。
ですから、手術や処置の前に事前検査が行われ、麻酔についても納得のいく説明を受けていれば必要以上に怖がる心配はありません。必要であれば、年齢制限も回数制限もなく、2日続けて全身麻酔を行うこともできます。しかし中には、事前検査を行わず避妊手術をして命を落とした、という事例もあるそうです。健康な体で受ける避妊・去勢手術、口腔内処置であっても、術前検査を行い麻酔のリスクについてもきちんと説明してくれる病院を選ぶと良いのではないでしょうか。
しかし、全身麻酔には『麻酔薬』が使用されるため、どんなに気を付けていても副作用が起こることがあります。それは犬に限らず人間でも見られるもので、事前検査の結果によってはその副作用が強く出ることが予想でき全身麻酔がかけられないこともあります。
一般的に高齢犬、肥満犬、短頭種、病気による全身症状が出ている犬は、全身麻酔のリスクが高まるとされています。ただし、若くて健康な犬でも100%安全なわけではありません。
全身麻酔をかけると、犬の体にどんなことが起こるのでしょうか?ここでは、犬に全身麻酔をかけるリスクを見ていきましょう。
生体機能の低下
犬の全身麻酔の目的は脳の機能を低下させ、痛みを感じない、動かない状態にすることです。しかし麻酔薬は、抑えたくない機能も抑えてしまう作用も持っており、それが想定以上に強く出てしまう、コントロールできなくなってしまうと、副作用となってしまいます。例として、血圧の低下や呼吸の抑制があります。このような麻酔薬の作用は、麻酔薬の濃度や量、麻酔薬と同時に使う薬、人工呼吸器などでコントロールするのですが、そのコントロールがうまくいかないと、呼吸障害や循環障害を起こし、肝機能や腎機能などにも悪影響を与え、ショック状態となって心停止にいたる可能性もあります。また、麻酔薬に対するアレルギー反応によってショックを起こすこともあります。
麻酔によって脳の機能が鈍り、それと同時に犬は自分自身で生体機能のコントロールができなくなります。
代わりに獣医師がその犬に合わせた薬の使用や人工呼吸器などで生体機能のコントロールを行います。しかしそれがうまくいかないと、上記のようなことが起こりえるのです。
そのため、事前にレントゲンや血液検査、エコー検査、心電図検査で心臓肝臓、腎臓などに異常はないかなど検査を行うのです。
麻酔薬に耐えられるかどうかを判断する、どの麻酔薬をどのくらい使うかを判断するために必要な検査ですが、健康な状態で全身麻酔をかける場合だけではありません。事前検査でその犬の状態は知ることは、獣医師が全身麻酔中の生体機能のコントロールの計画を立てる上で大切なことなのです。
嘔吐
犬に全身麻酔をかけることになると、緊急時を除きほとんどが12時間程度の絶食と、3~4時間前からの絶水を指示されます。
これは麻酔をかけるときや麻酔から覚めるときに嘔吐してしまうと、吐き出すことも飲み込むこともできず、喉や気管が詰まって窒息してしまったり、誤嚥性肺炎を起こしてしまう危険があるからです。
全身麻酔をした経験のある方の中には、麻酔から覚めてすぐに嘔吐してしまったことがある方もいるのではないでしょうか。
全身麻酔をした際の嘔吐の原因は麻酔薬そのものによるものや精神的なものなどいくつかありますが、人間の場合でもはっきり解明されていないことがあります。犬が全身麻酔による手術や処置を受ける際にも、絶食、絶水は守ってくださいね。
腎不全・肝障害
全身麻酔に使用される様々な薬は、肝臓や腎臓などで代謝、排泄が行われます。肝臓や腎臓が悪いと、麻酔から覚めることができずに命を落としてしまったり、腎不全を起こしたり肝障害を悪化させてしまう危険があります。
しかし、肝臓や腎臓に問題があっても事前に行う血液検査で把握することができ、獣医師の判断で全身麻酔を中止したり、麻酔薬を変更したり、問題点を考慮した手術中の点滴を行ったり、対策を講じることができます。
けいれん
ごく稀ですが、、人間でも犬でも、麻酔薬によって起こったと考えられるけいれんの報告があります。
それまでにてんかん発作などの痙攣を起こしたことがない犬で全身麻酔中にけいれんが見られ、抗けいれん薬でけいれんを抑えた後、次の麻酔時にはけいれんが起きた時とは違う麻酔薬を使って無事に手術が出来たそうです。
犬の全身麻酔の種類とその費用
犬の全身麻酔は犬の意識を失わせ、筋肉をリラックスさせ、不安や恐怖、痛みを感じさせないために必要な処置です。
短時間で簡単な検査であれば、鎮静剤を使用することもありますが、長時間の検査や大きな刺激を与えてしまう処置には麻酔薬を使用しての全身麻酔となります。
ここでは、犬の全身麻酔の種類や費用について見ていきましょう。
吸入麻酔
ガス麻酔薬を吸い込ませて行う吸入麻酔は、麻酔の濃度を随時調節できるため、麻酔のかかり具合をコントロールしやすく覚めも早い麻酔です。
しかし、吸入麻酔は麻酔状態の維持に向いた麻酔ですので、麻酔の導入には注射による麻酔や鎮静剤を用います。
麻酔中は、呼吸を確保するための気管チューブの挿管と血液循環を保ち必要や薬剤をすぐに投与できるようにするための点滴、ヒーターによる体温保持などを行い、呼吸や心電図、血圧、麻酔濃深度などを様々なモニターで観察しながら、その都度その犬の状態に適した薬を使用したり、麻酔の濃度を調整しながら生体機能のコントロールをしていきます。
吸入麻酔薬は主に呼吸によって体外に排泄されの代謝が早く、また併用する注射麻酔薬や鎮静剤などによって使う量を最低量に出来るので、麻酔の深さをコントロールしやすい特徴です。注射麻酔を使うことが困難なウサギやハムスター、鳥などの動物では導入麻酔としても吸入麻酔を使うことが多いようですが、犬の場合にも犬の状態や麻酔をかけなければいけない状況によっては吸入麻酔で麻酔導入を行うことがあるかもしれません。
費用は犬の体重で異なりますが、導入麻酔の注射も含めて15,000円~30,000円程度のところが多いようです。
注射麻酔
注射薬を血管に投与して麻酔をかけることができる注射麻酔は、一定の量を注射することで一定時間の全身麻酔がかかります。
注射麻酔には基準の量がありますが、犬の個体によっては効きすぎて呼吸が止まってしまったり、効きが浅くて処置中に目が覚めてしまったり、必要以上に麻酔時間が長くなってしまったりすることがあるので、短時間の処置以外には吸入麻酔をする際の導入として使用されることが多いです。
大がかりな装置を必要としないため、どんな小さな動物病院でも全身麻酔をかけることができます。
注射麻酔のみで処置を行う場合、基準量や犬の状態によって加減した量の注射麻酔を打ち、麻酔の深さが浅くなり始めたら追加で注射を打つ、という方法がとられることもありますし、専用の機械を用いて一定量の注射麻酔薬を決まった間隔で点滴に流すという方法で用いられることもあります。
体重によって費用が異なりますが、5,000円~15,000円程度のことが多いようです。
注射で用いる鎮静剤もあります。「軽い麻酔をしますね」と言われた場合、注射麻酔薬ではなく鎮静剤を使っている場合もあると思います。鎮静剤の注射は血管ではなく皮下や筋肉に行えますし、鎮静状態から覚めさせるための注射薬もある鎮静剤もありますので、短時間で済む処置では多く使われています。しかし鎮静剤なら何の心配もないということではなく、獣医師はその犬に合った鎮静剤を選び、心拍や呼吸をモニターしながら使用します。
局所麻酔
通常、動物病院で麻酔といえば全身麻酔のことです。局所麻酔は脳に作用せず、局所麻酔を打った部位の神経だけに作用するため、脳は覚醒した状態です。
おとなしい犬で皮膚のちょっとした処置などの簡単な処置であれば、局所麻酔だけで行うこともあります。しかし、あまり多くはないでしょう。動物病院で局所麻酔を使用する際は、全身麻酔や鎮静剤とセットになることがほとんどです。
また、強い痛みが予想される手術でも、全身麻酔と併用して局所麻酔を使用することもあります。局所麻酔の費用は、1,500円~3,000円程度のことが多いようです。
まとめ:犬の全身麻酔は『必要性』を見極めることが重要!
つい先日、我が家の愛犬は14歳半という高齢で肺葉切除の手術を行いました。肺に腫瘍がみつかり、手術しなければ余命数ヶ月とわかったからです。
高齢なので全身麻酔のリスクは高まりますが、手術をすれば根治できる可能性もあるとのことから決断しました。
肺がんが他に転移していれば手術適応外のため、事前にCT検査が必要でしたが、CT検査にも全身麻酔が必要です。
かかりつけの動物病院の獣医師と相談して、CT検査と手術を同時に行うことになりました。これまで抜歯や乳腺腫瘍、子宮摘出などの手術を受けてきましたが、その度に全身麻酔が不安でした。
いくら全身麻酔が安全な管理下のもとで行われるとわかっていても、怖くないと言えばウソになります。いつも手術が無事に終わることを祈り、手術中は気が気ではありません。
今回はそれまでと違い、長時間の大手術です。犬の体にかかる負担も増し、高齢というだけでなく不整脈の疑いや肥満気味とあって、全身麻酔のリスクが高く不安も倍増でした。
しかし、紹介された2次診療施設の獣医師は「高齢だからと諦めてしまう飼い主さんも多いですが、年齢は関係ありません。手術をするリスクとしないリスク、どちらがわんちゃんにとって良いか考えてみてください。
もちろん、わんちゃんの状態によっては全身麻酔が行えず、手術ができないこともありますが、この子はできる状態ですよ」と、優しく言ってくれました。
その後、CT検査で転移は確認されず、愛犬の手術は無事に終わり、予定よりも1週間早く退院することができました。元気な姿を見ると、手術をして良かったと思っています。だからと言って、すべてのわんちゃんが何でもかんでも手術すればいい、というわけではありません。
全身麻酔にはリスクが伴います。病状や健康状態によっては全身麻酔のリスクを負って手術をするよりも、寿命まで薬を飲ませるなどの内科的治療を続けることのほうが最適なこともあります。
犬にとって必要な検査や処置、手術を行うためには全身麻酔は欠かせませんが、その処置や手術が本当に必要なものであるのか、それぞれのリスクと必要性を考えた上で判断することが重要です。
そのためには、飼い主さんの自己判断ではなく、信頼できる獣医師とよく相談し、何が愛犬のために一番良いのかを考えてあげましょう。