「最後のプレゼント」
私が家族に迎えたときにはすでに、末期の腎不全でした。末期癌の腫瘍摘出を乗り越えましたが、全身転移の疑いもあり予後不良【半年の余命宣告】を受けている状態でした。
幸い、余命宣告を大幅に超えても、とても元気に過ごすことができていました。かかりつけ医と、自分ができることの中から最善を選び、完全手作り食で栄養管理をして1年半過ごしていました。
ですが、末期腎不全の完治はなく、緩やかでも確実に病状は進行していきます。突然、ガクッと食欲がおち、血液検査では腎臓の数値は測定値をふり切っていました。透析、点滴とできることは限られていますが、かかりつけ医のもとで少しでも体が楽になる方法を選択していました。
しかし、急速に全身状態が悪くなり、貧血を改善するために【輸血】をすることにしました。頭では分かっていても、また元気に快復してくれるという希望があり、私は今後の治療や透析のスケジュールなど、かかりつけ医に相談しました。
そんなとき、私に覚悟を持たせてくれたかかりつけ医の言葉
「輸血はお母さんがしてあげられる最後のプレゼントになるかもしれません。」
輸血をして、貧血が改善されれば透析の効果も出ているので、一時的に好きなものが食べられるようになるかもしれない。元気にお散歩に行ける日が、最後の1回あるかもしれない。奇跡が起こって、全身状態が快復するかもしれない。
でもそれは、一時的な快復で、最期の1回何か好きなことをさせてあげられるかもしれないという状態です。
そう言われました。快復できる可能性があれば、最後まで治療を続けるのが獣医師です。私たち飼い主はつい、先生が治療してくださるなら、また元気になれるのだろうと期待します。全身状態の急速な悪化と、これまでの経緯をみれば、しっかり覚悟を決めて向き合う準備をする段階であることから目を背けようとします。
でも、私はこれまで一緒に治療や経過観察をして、私と愛犬の闘病を支えてくれた獣医師から、「最後のプレゼント」という言葉を聞いて、あと1日、2日がこの子に残された最後の時間になるかもしれないと覚悟を持つことができました。
それは、一緒に戦ってくださった先生だからこそ、「プレゼント」という素敵な言葉を使ってくださったのだと思います。そして、しっかり私の心に届いたのだと思います。
この言葉がなければ、静かに穏やかに最低限の治療をしながら、たくさんお話しながら過ごす最後までの時間は作れなかったかもしれません。焦って、もがいて、何とか快復する薬や治療と、情報に振り回されてこの子と過ごせる残り短い時間を消費してしまっていたかもしれません。
あのとき私は、「最後のプレゼント」に救われて、後悔なく穏やかに愛犬を自分の膝の上からお空へ旅立たせることができました。
獣医師の適切な対処のおかげで、愛犬は旅立つその日の朝まで自分の足で歩き、大好きなプリンを食べることができました。傍を離れず、ずっと一緒に過ごすことができて、私は本当に良かったと感謝しています。
「生活の質」この子が望んでいることは?
抗がん剤治療、放射線治療、民間治療、漢方、手作り食などできる治療や、良いと言われる全てのことを駆使し、毎日たくさんの情報収集に追われ、藁にもすがる思いでしたが、なかなか治療の効果がみられず、「これ以上できることはない」と獣医師からも余命を告げられ、ただただ焦って空回りの時間がどんどん過ぎていきました。
当時は、今のようにネット上にたくさんの情報があふれてはいませんでした。動物に人間と同じような高度先進医療を受けさせてくれる病院自体もとても少ない時代で、病院探しだけでも本当に大変でした。また症例数も少なく参考にできるデータを、一般の飼い主が手に入れることはできませんでした。
そんなとき、同犬種、同病で虹の橋を渡った飼い主さんとの出会いがあり、愛犬が治療をうけた動物病院を教えてくださいました。
これまでの検査結果、治療の記録、日々の体調の記録などすべてを持参し、愛犬を連れてこの動物病院を訪れました。当時、治療といえば【完治】、癌といえば【死】、という概念しかありませんでした。これまで選択してきた治療も、完治がなければ死、助けるため、命を守るためには、責める治療だけが全てだと思っていました。
しかし、私たち家族に提案されたのは「この子が嫌がることをしない」という生活の質を保つ緩和治療でした。
癌は抗がん剤や放射線治療でなくては退治できない。今、治療をやめてしまえば、残っているのは苦しんで迎える【死】だとしか考えていませんでしたので、まるで「諦めろ」といわれてしまったような絶望を感じた一瞬でした。
しかし、これまでにはなかった「この子の望んでいることは?」という治療への向き合い方を提案され、初めて「動物にとっての死の迎え方」について考えさせられました。
副作用の強い治療。検査。嬉しそうではない体に良い食事。通院の日々。いつも焦りや悲しみにくれる家族の様子。思い返せば、この子が「癌」に侵されてから、生活は一変し「楽しいこと」よりも、「辛い治療」ばかりが優先になっていました。もちろん、家族全員が、「治したい」「生きてほしい」と愛犬を思っていました。
「生活の質」動物にとって、辛い治療は「辛い」だけの時間でしかないことを知りました。
今、辛いけどこれを頑張ったら良くなるからこの治療を頑張ろう、と考えることはないのです。「辛い」「苦しい」「怖い」そんな思いをさせているのに病状は改善しない。副作用に苦しみ、美味しいご飯も食べられず、癌を退治してあげることもできない。
当時、我が家の愛犬はきっと、病魔に蝕まれる身体的な辛さよりも、良かれと思ってしている治療や家庭看護が苦痛であったと思います。
余命数か月、これ以上できる治療はないと言われた愛犬に対し、全ての治療をやめ、対症療法に切り替えて向き合うことになりました。
大好きな場所へお散歩に行く毎日が戻り、大好きなオヤツやちょっと贅沢なご飯に大喜びしていました。休日には今まで通りドライブをしたり、遊びに行ったり、癌治療が始まる前の生活に戻りました。
それまでは心配ばかりで、体力を使わせてしまうお散歩や外出を控え【安静】にさせ、食事も良いと言われるものだけを与え、味や満足感などよりも質を重視していましたが、そんな事よりも愛犬が好きなこと、喜ぶことを優先させて、宣告をうけた余命を共に生きようと家族の気持ちが落ち着くと全身状態はとても良くなりました。
積極的な治療をやめて2年、11歳。最期の夜は、家族の真ん中で同じ布団で眠りにつきました。そのまま朝起きることなく虹の橋へ旅立ちました。
言葉を持たないからこそ、本当に望んでいることを100%叶えてあげることはできなかったのかもしれません。あのとき愛犬と家族が最期まで幸せに生きるための「QOL」について、気が付かせてもらえる獣医師さんに出会えたことをとても感謝しています。
「ありがとうございました」
長年かかりつけ医としてお世話になってきた、獣医師先生に言われた言葉です。この先生とともに3頭の愛犬と、病気と闘いました。慢性腎不全、断脚、メラノーマ。どの子も元保護犬で、家族に迎えたときにはすでに余命宣告を受けるような状態でした。
食べさせているもの、運動量、睡眠時間など家庭看護の情報をすべて獣医師と共有して闘いました。事細かにカルテに記録し、私が付けている闘病記録のコピーをもち、いつどんな変化が起こっても私と変わらない情報をもって治療にあたっていただきました。
愛犬と家族と獣医師が一緒に病気と闘っている、先生の判断や診断を100%信頼でき任せられる。とても貴重な経験をさせていただきました。
「○○さんご家族と、一緒に治療に向きえたこと、私たちを信頼してくださり最期まで任せてくださったこと、心から感謝しています。
獣医師として、やれることをすべてさせていただけることは多くありません。医療行為だけではなく家庭看護や食事の大切さを教えてくださり、これから獣医として多くの患者様のお役にたてることが増えました。
○○さんご家族の治療や、緩和ケアなどに向き合う勇気や葛藤、家族の強い絆はとても素晴らしく、最期の一瞬まで幸せに生き抜いてくれた○○ちゃんとご家族を心から尊敬します。
本当に出会えて良かったです。【ありがとうございました】」
これは、私に先生がくださったメッセージです。患者家族が獣医師に対して、「ありがとうございました」という場面はたくさんありますが、獣医師から「ありがとう」と言われることは初めてでした。
いつも、先生は家族として当たり前にしていることを、「ありがとう」と言ってくださっていました。
寝たきりになってもボディケアを怠らないことを、「綺麗にしてくださってありがとうございます。」、食欲が落ちてきて食事の工夫をしていることを、「工夫して、食べられる環境を作ってくださってありがとうございます。」など。
飼い主としては、当たり前で感謝されることや愛犬からの見返りなど求めていませんが、一緒に愛犬のことを考えて最善を選びながら、闘ってくださっている気持ちがあるからこそ、患者家族に対して「ありがとう」という言葉が自然と言えるのだと思います。
大切な家族が病気になり、命の終わりはどれほど覚悟していても悲しいものです。後悔することもあります。それでも、最期の一瞬まで苦しませることなくできる限りのことをさせてもらえて、それを支えてくださって本当に感謝でいっぱいです。
誰に何を聞いたら良いかさえ分からなくなってしまう慢性疾患の闘病。不安やもどかしさが膨らんで、空回りしてしまう患者家族。そんなとき、獣医師から愛犬を思ってしていることに「ありがとう」と言ってもらい、私はとても救われました。
まとめ
素晴らしい獣医師との出会いが叶わずに、悔しい思いをしたこと。伝えたいこと、聞きたいことが言葉にならずに、不安と迷いから抜け出せずに空回りしてしまうこと。愛犬を大切にしている飼い主さんは、経験があるのではないでしょうか?
また、こんな獣医師さんと出会えて本当に良かった!と私のように感じられる出会いがあった飼い主さんも多くいらっしゃると思います。
飼い主さんと獣医師や看護師との信頼関係は、愛犬、愛猫と暮らしていく上でとても重要です。獣医療でもセカンドオピニオンが当たり前になりました。後悔をしない選択、愛犬にとって最善の治療やケアをするためには一緒に闘ってくれる信頼できる獣医師が必要です。
皆さんにとって素晴らしいホームドクターが見つかりますように!
ユーザーのコメント
50代以上 女性 モモ丸ママ
40代 男性 匿名
技術はすごいけど何か欠落してる。
そんな獣医が多い。
昨年の10月。
心臓の薬を新しいものに切り替えた日に頻脈の副作用が起きた。数えきれなかった。
翌日はある程度落ち着くも呼吸数は50前後。この事をかかりつけに伝えると僕が出した薬に絶対にありえないと否定。
何かあったら遠い救急病院に行けと。
このように責任ももたない、薬の副作用さえも知らない、認めない、画像診断も出来ない獣医も多く存在する。
獣医にとっては患畜の1匹だろうが飼い主にとってはかけがえのない命。
その差が大きくわかった。
50代以上 女性 匿名
皆さん、泣いてくれました。
小さい頃から病院にお世話なることが多い子でしたが、先生たちには病気になったけど、幸せなワンコだったねと言われ、号泣しました。飼い主には、とても救われる言葉でした。
先生たちは、犬が犬らしくいられるように色々考えてくれました。
そんな先生たちに出会えて幸せです。
50代以上 女性 匿名
『最期は私の腕の中で』と言った私に頷きながら『そうですね』と静かに答えてくださいました。その前に飼っていた愛犬が病院で息を引き取り寂しい思いをさせたのではないかと、ずっと後悔していました。病院のスタッフの方々には本当に良くしていただきましたが以前のような後悔だけはしたくなかったのです。亡くなったあと愛犬が使用していたシートが沢山ありましたが、入院している犬や猫に使ってくださいと病院に持って行くと快く受け取ってくれ、亡くなった仔もこの先生で良かったと思ってくれている気がします。