研究の背景
かつて、顔の表情を駆使してコミュニケーションがとれるのは人間だけだと考えられてきました。人間以外の哺乳類は、爬虫類などと比べれば「表情筋」という表情をつくる筋肉が発達していますが、それでも人間ほど複雑な顔の表情をつくることはできません。
また、単に自分の感情を表現することには使えても、意思疎通のための道具とはなっていないというのが大方の見方でした。
しかし、近年はチンパンジーなど人間以外の動物が顔の表情をコミュニケーションツールとして使っていることが報告されるようになりました。
では犬ではどうなのでしょう。その疑問に応えるべく、イギリス・ポーツマス大学のカミンスキー博士らが、犬の表情が人間の行動の違いによってどのように変化するか、生き物ではない「食べ物」に対する反応とはどのように違うかを調べました。
実験方法
1才~12才の、24頭のさまざまな犬種(すべてペットとして飼われている家庭犬)が実験に参加しました。
約3×4mの静かな部屋で実験者と犬が対面。犬と人との距離は1mとし、そのような環境の中で人が犬を見つめる場合と見つめない場合、フードを持つ場合と持たない場合の4種類の場面について、それぞれ犬の表情がどのように変化をするかを調べました。
表情の変化は、客観的データを得るため、筋肉の動きによって表情を分類する「DogFACS(Facial Action Coding System)」というコードを使用して分析を行っています。
実験した4場面
2.人は犬と向かい合わせで対面するように立つ。フードは持たず、両手のひらは犬に見えるように向ける
3.人は犬に背を向けて立つ。両手のひらにフードをのせ、手を後ろに回して犬に見えるように向ける
4.人は犬に背を向けて立つ。フードを持たず、両手のひらは後ろに回して犬に見えるように向ける
研究でわかったこと
実験の結果、2つの興味深い事実がわかりました。
1つは、フードのあるなしが、犬の表情の変化にたいして影響を与えなかったこと。
もう1つは、犬と向かい合わせで対面して人が犬に注目すると、後ろ向きで立っている時よりもずっと犬の顔の表情に変化があった、ということです。言い換えると、犬は生き物ではない(コミュニケーションしない)ものに対してはあまり表情の変化をみせず、人が犬を見つめているとき(コミュニケーション的な行動を人がとったとき)に、高い割合で表情が豊かになるということがわかったのです。このことから、犬が単に感情の発露として表情をつくっているだけではなく、コミュニケーションとして、相手に合わせて柔軟に表情をつくっていることが解明されました。
特に面白いのは、最も頻繁に見られた、FACSのコードAU101という表情の変化。これは、額の中央部分の筋肉を上にあげる、つまり目を見開くようにする表情です。AU101は重要な意味を持つ表情と考えられていて、この表情を行う保護犬は、それをしない犬よりもずっと早くに里親が見つかるのだそうです。その理由は、AU101が人の「悲しみを表す表情」に似ていて、犬に対して人が同情的になるから、ということと、AU101は人の子供がよく行う「大きく目を見開いて見つめる」表情にも似ていて、その幼い感じに人がつい反応してしまう、ということが要因とされています。カミンスキー博士は、このような理由から、昔から人はAU101を行う犬を好んで選んできたのかもしれないと言及しています。犬は、人と関わる長い間に、顔の表情によってコミュニケーションを図る術を徐々に獲得してきたのかもしれません。
研究の意味とは?
群れをつくり、社会性を持つ動物にとって、他者とコミュニケーションを図ることは生き抜く上で非常に重要なことであり、顔の表情もその重要なツールの1つと言えるでしょう。これは決して人の専売特許ではありません。特に犬のような、高度な社会性を持つ動物が相手との円滑なコミュニケーションのために表情を使うことは想像に難くありません。また、人という「視覚的なコミュニケーション」に多く依存する動物との関わりのなかで、見た目でわかりやすい「表情をつくる」能力を徐々に磨いていったのも不思議ではないでしょう。今後、犬がどんな場面でどんな表情を見せるか、もっと研究が進めば、私たち飼い主が愛犬の気持ちをより深く理解するためのよい指標となるでしょう。
《参考》
J, Kaminski(2017) Human attention affects facial expressions in domestic dogs. Scientific Reports No.7, Article No.12914
doi:10.1038/s41598-017-12781-x
https://www.nature.com/articles/s41598-017-12781-x#Tab1