犬にトレーニングをするのはかわいそう?
犬と暮らしていると、色んなタイプの飼い主さんと接する機会が増えますね。とても熱心に最新のトレーニングを取り入れる方、犬と人が困らない程度に躾ができればOKという方、トレーニングに対する考え方も十人十色です。中には「犬にトレーニングや訓練をするのはかわいそう」という声もあります。トレーニングにクリッカーを使ったり、犬が人間の出すキューを待っていたりする姿が不自然だという人もいます。
また、トレーニングに興味があるけれど、検索して出てくる言葉を見ると「強化」とか、「正と負」とか、ふだん聞き慣れない言葉がいっぱいで尻込みしてしまうという方もいるかもしれません。そんな「トレーニングは不自然でかわいそう」「トレーニングは理論が難しすぎる」と感じている方に、ぜひご一読いただきたいカナダのドッグトレーナー、クリスティ・ベンソン氏の言葉があります。
トレーニングというのは「学ぶこと」
最初に、トレーニングは犬が望まないことを強制することではありません。トレーニングというのは犬自身が学ぶこと、そして学んだ結果として起こる行動の変化です。それは自然の中で生きている全ての生き物が行っていることです。
天敵の姿を見ると逃げたり身を隠したりすること、どの時期にどの場所に行けば食べ物にありつけるか覚えていること、これらは動物が過去の経験や状況から学び、その結果行動を起こしている例です。つまり「学ぶ」のは生きるためであり、これ以上自然なことはありませんよね。
犬が生活の中で何かを学んでいる例は、多くの人にお馴染みでしょう。犬は季節によって家の中の涼しい場所、暖かい場所を知っていて移動していきます。飼い主がリードを手にすると「散歩だ!」と飛んできます。掃除機の音がすれば、そそくさと自分のクレートに入っていったり、兄弟犬と遊ぶときにあまりに激しくジャレ過ぎたりすると嫌がられると知っています。これらは全部犬自身が自分にとっての良い環境を得るために学んだことです。
何も学ばない生活は自然の中では死を意味しますし、飼育されている動物にとっては退屈で刺激のないつまらない一生を意味します。「学ぶこと」は、生き物が進化の過程で得た必要なプログラムです。こう考えると、トレーニングは不自然でもかわいそうでもないことがわかります。
自然の「学び」のプログラムの再現=トレーニング
学ぶことが犬にとって自然なことなら、良いトレーニングとは、この「学ぶ」という自然のプログラムをなぞって再現することです。「犬にとっての良いことが起こるように犬自身が行動を変える」これこそがトレーニングの目指すところです。人間の視点から見れば、食べ物、愛情、楽しい遊びを犬が学ぶことができる方法を使って提供すること。犬の視点から見れば、食べ物や愛情や遊びにアクセスするために人間に協力することです。
犬が学習を通して行動を変えることを目指して、どうすれば犬も人も平和に楽しく協力し合えるかを体系化したのが、トレーニングです。これを前提として頭に置いておくと、馴染みのない言葉ばかりで取っつきにくいと感じられたトレーニングの方法論が、頭に入ってきやすくなるのではないでしょうか。
まとめ
カナダのドッグトレーナー、ベンソン氏の「トレーニングとは犬が学ぶこと」という言葉と、その意味するところをご紹介しました。トレーニングの方法は誰もが分かりやすく実行できるように体系化されているので、それを不自然と感じる人もいるかもしれませんが、犬が何も学ばないで生きていくことこそが本当の不自然で、犬の福祉を低下させ、時には犬を危険に晒すことにもつながります。
そして「犬にとっての良いことが起こるように犬自身が行動を変える」というポイントを押さえていれば、体罰を容認することや「犬になめられる」「犬がわがまま」という捉え方が、犬にも人にも利益をもたらさないことが分かるのではないでしょうか。
ユーザーのコメント
20代 男性 宇野直人
犬になにか特技を身に付けたいから特別な訓練をさせるのも別に学ぶうえの延長線上と考えれば不自然ではないでしょう。飼い主ならば生きてくための手助け、学びを犬にさせるべきです、生きる=学びなのですから