コーダが1歳になる少し前のある日、動物病院に検診を受けに行ったら「この犬には価値がない。」と言われました。
悪い遺伝・・・
片方しか睾丸が降りてこない停留睾丸の犬だからだそうです。
「この種類の牡犬としての価値がないので、ドッグショーでは評価もされないし、悪い遺伝を後世に伝えないためにも交配なんてもってのほか」と言われました。
交配なんて全然考えていなかったし、発情のストレスや将来の病気リスクを減らすためにもコーダの去勢は必要な事だと思っていました。
獣医の心無い言葉に、ものすごくものすごく面喰いました。ショックでした。
私が迎えたのは『この種類の牡犬』なんかではなく愛犬のコーダなのです。
うちの愛犬に価値があるか無いかを、他人にどうこう言われる筋合いはありません。
地元でチェーン展開している動物病院で、先住犬の最期をお世話になった病院だったのでコーダをお迎えした時からお世話になっていましたが、その一言で動物病院を変えました。
担当した獣医は若い男性でその病院で勤め始めたばかりだったようです。
ドッグショーに出せる?!
ブリーダーからコーダを迎えた時、
「この犬はアメリカチャンピオンの孫子で骨格も良いし色も抜群だからドッグショーや交配に向いている」と言われ、交配にもドッグショーにもさほど興味がなかったのに、
「そうなんだ!よくわからないけど、すごい!」と思っていました。
ドッグショーを数年観覧しに行ってわかったのですが、コーダはショーラインの犬ではありません。
けれどもドッグショーに出せるかどうかは嘘ではありません。
犬のオーナーがJKCの会員であり、JKCに登録されている犬であればどんな犬でもショーに出られます。
チャンピオンの血統だからと言って・・・
「チャンピオン直子」とか、「孫子だから交配できる」とか、そう言う冠をホイホイ信じ込んで素人自家繁殖して犬を金に換えようとしたり、可愛い愛犬の仔犬が見たいと安易に交配してしまう人を増やす「口車」。
ブリーダーは犬種を守り、犬質向上に努めるべきで、安易に素人繁殖を勧めたりするべきではありません。
※動物取扱業でなければ動物を販売する事は法律で禁止されています。
私なんて…
「チャンピオン直子って誰…チャンピオンなおこ?」
「強そう…直子っておばさんが繁殖した犬って事?」
と、ぼんやり思っていたものです(笑)。
なおこではなく、ちょくしと読みますよ。
素人繁殖のリスク
動物の販売免許を持っていたからとて、ブリーディングは簡単に出来るものではありません。
生まれた仔犬全頭への責任もあります。
牡犬と母体である牝犬の健康に異常がなくても、産まれてくる仔犬の遺伝子疾患は産まれてこないとわかりません。
仔犬の目が見えなかったら?歩けなかったら?もし仔犬が障がいを持って産まれてきても、犬の一生が始まるんです。
当然健康な犬よりも医療費がかかりますし、体調がすぐれなければ犬自身が受けるストレスもあります。
犬自身が幸せに暮らすために、必要な社会との関わり方を教えるにも、健康な犬よりも高いレベルのトレーニングを要求されると思います。
生命を生み出す責任
一般の飼い主が繁殖を安易に行い、有償にせよ無償にせよ自分で終生飼養せずに他人に譲る事・または遺棄する事は、非常に無責任で殺処分ゼロに向けての取り組みを妨げていると私は考えます。
コーダは遺伝性・先天性の疾患をクリアしているとうたうブリーダーから来ましたが実際は、仔犬の頃からずっと右目からの涙がとまらないので、涙やけ対策商品を購入したりフードを変えてみたりをずっとしています。
冒頭にも書きましたが右側が弱いようで、生殖器に異常があり、停留睾丸と言う右側の精巣が正常に育たず睾丸として降りてこない状態でした。
去勢手術をした時、お腹に残った精巣も取り除きましたが、術後すぐに右側の鼠径ヘルニアにかかり再手術をしました。
数か月の間に2回も開腹手術をして、ロクに散歩や運動もできなかった時期があったのでコーダにとっても負担であり、通常の去勢手術の倍以上の医療費がかかりました。
愛犬の価値。
獣医やブリーダーや他人から何と言われようと、愛犬のオーナーは私。
ただ生きているだけではない犬生を。
牡犬として、犬種として生物学的価値はないかもしれないけれど、コーダの名誉のためにも個としての存在意義を作りたくて私は彼をモデル犬にしました。
価値がないなんて絶対に言わせない!と意気込みながら。
犬種はもともと使役のために分かれて行きました。
コーダは鳥猟犬でフラッシング(獲物を追い立て飛び立たせる事)とレトリーブ(獲物を回収すること)、そして人間と協調して作業をする事が得意な犬です。
かつての猟犬たちが自分の与えられた使命や任務を遂行するがごとく、コーダは本当にまじめに活き活きとモデルの仕事をこなしてくれます。
「価値が無い」だなんてひどい事を言われたけれど、今思えば『愛犬の生きる価値』を考えさせてくれた、あの獣医に出会えた事はラッキーだったのかもしれません。
何よりもコーダとの日々のひとつひとつが愛おしく、私にとって代えられない価値があります。