藤原道長
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原道長
飼い主を救った愛犬
基本的に平安貴族には猫派が多かったといわれていますが、その中にあって藤原道長は犬が好きでした。
白い犬が特に好きだったようで、自ら散歩に連れて行っていたそうです。
ある日、愛犬とともに法成寺というお寺をおとずれた際、道長の愛犬が突然吠えだし衣の裾をくわえ、門の中へ入ることを引き止めました。
それをあやしんだ道長は陰陽師・安倍晴明を呼び出して調べさせると、そこには道長を呪う内容のお札が埋まっていたことが判明。
犯人は藤原顕光に命じられた道摩法師で、その後藤原顕光は失脚しました。
藤原道長は愛犬の嗅覚に助けられた、というお話です。
西郷隆盛
西郷さんと愛犬・ツン
有名な上野の銅像にもなっている西郷隆盛の愛犬、名前は「ツン」。
もともとはダイエット目的で兎狩りをする時のお供に、猟犬として飼い始められました。
ですが西郷隆盛は非常に愛情深い人柄だったそうで、その愛情はツンにも注がれます。
長州の仲間たちが幕末の京都で夜な夜な遊んでいたのに対し、西郷隆盛は昼間に祇園を訪れて、愛犬にうなぎを食べさせていたのだそう。
そんな愛犬家の西郷隆盛は、西南戦争の際にもツンを連れていたそうで、城山で己の最期を悟った際、ツンの首輪をそっと外してやった...という逸話が残っているほどです。
吉田茂
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田茂
シェーン号の子が欲しい!
「ワンマン宰相」ではなく「ワンワン宰相」と例えられるほどの犬好き!
サンフランシスコ講話条約を結んで帰国の途につく際、つがいのケアーンテリアを買い求めて「サン」「フラン」と名付けたそうです。
その他、大磯にあった吉田邸にはスピッツ、シェパード、柴犬など10匹以上の犬がおり、中には「ブランデー」「ウイスキー」「シェリー」なんていう名前の犬もいました。
また、当時のテレビドラマ「少年ジェット」を見た際には、ドラマに登場するシェパード・シェーン号の血統を引いた犬を大変欲しがり、女優・若尾文子の愛犬ベニーがシェーン号の子を産むことを聞きつけると、さっそく譲ってもらうなどの逸話が残っています。
余談ですがそのシェーン号、実はベニーが出産する前に既に徳川義親氏のところへムコ入りしており、仔犬を2頭もうけています。
その2頭生まれたうちの1頭は明仁天皇(当時は皇太子)の愛犬となり、もう1頭は警察犬となりました。
シェーンの子を譲り受けられなかった吉田茂はたいそうがっかりしたそうですが、そんな時にベニー出産の話を聞きつけ、上記のような縁に至ったようです。
西大后
ペキニーズを愛してやまなかった西大后
清の国の西大后は大のペキニーズ好きでした。それ故ペキニーズは王朝から門外不出、ペキニーズという犬種の標準仕様書を策定したそうです。
皇帝からも大変愛されたペキニーズは、その葬儀でも棺をお墓に先導する役を担います。
特に西大后の葬儀では「モータン」という名前のペキニーズがその役割を担いました。
なおアヘン戦争の際にイギリス軍が北京の宮廷に攻め入った時には、神聖な皇帝の犬たちがイギリスの野蛮な連中の手に渡ることを嫌った宮廷の人々が、なんとペキニーズを全頭処分しようとまでしました。
ですが結局その残酷な全頭処分は果たされず、奇跡的に5頭が残ったといわれています。
酒井忠以
帝から位をもらった狆
酒井忠以は江戸時代中期から後期の播磨姫路藩第2代藩主で、江戸藩邸に狆(チン)を飼っており、大変かわいがっていました。ある日、酒井忠以が所用で京都まで行かなければならなくなった時のこと。犬たちが駕籠にまとわりついて離れません。
家臣たちが引き離そうとしても、犬たちが噛み付いてまったく言うことをききません。
仕方なく品川まで連れて行きますが、そこまで行っても犬たちが騒ぎまったく手をつけられなかったので、結局京都まで連れていくことになりました。
この噂を聞いた当時の帝は、畜生とはいえ主人を思う心掛けは大したものだと大変感心して、酒井忠以の犬たちに六位の位を授けたということです。
聖徳太子
人の言葉を話す!?賢い雪丸
現代では奈良県のゆるキャラにもなっている聖徳太子の愛犬「雪丸」。
言い伝えではありますが、元旦に雪丸が鳴くとその年は豊作になる、人の言葉を話すことができる、お経を唱えることができた...なんていう言い伝えが残るほど、大変賢い犬だったということです。
さらに雪丸は「死後は達磨寺に葬ってほしい」との遺言を残したともいわれていて、推古天皇が建立した達磨寺にはその言葉通り、雪丸像が建立されています。
上井覚兼
南蛮犬という珍犬
上井覚兼は戦国時代の島津家の家臣で、優れた教養人として知られています。
天正12年、上井覚兼は備前の有馬鎮貴から南蛮犬を預かります。
当時南蛮犬は珍犬とされており、この犬を見るために島津一族の島津義虎や島津忠長をはじめとした多くの見物衆が集まるほどでした。
その後、上井覚兼は主君である島津義弘に献上します。島津義弘は大変喜びますが、占いをした結果、殿中での飼育はよくないということになったため、再度上井覚兼が飼育するようにと返却しました。
この話には諸説ありますが、上井覚兼はたいそうこの犬をかわいがったとのことです。
なおこの南蛮犬、そもそもどこからきたのか?というと、当時南蛮貿易を行っていた有馬氏が口之津に来航したポルトガル船から入手したものといわれています。
実際、16世紀末の南蛮屏風にも犬を連れたヨーロッパ人が描かれており、彼らが日本に犬を持ち込んでいたことがうかがえます。
まとめ
こうしてみると、歴史に残る偉業を成し遂げた人物でもどこか身近に感じることができますね。歴史上に残る人物と愛犬たち、また楽しいお話をみつけたらご紹介したく思います。