『かませ犬』をご存知ですか?
『かませ犬』という言葉を聞いたことがありますか?漫画やアニメで、引き立て役・やられ役のことを示す言葉としても使われていますね。実はこの『かませ犬』というのは、闘犬用語なのです。
闘犬を調教する際にまず行うことは、犬に自信をつけさせること。「自分は強いんだ!」という気持ちがなければ、闘うことをためらったり、怖がったりしてしまうからです。もともと犬は穏やかで、争いごとを避ける性質があります。ですから、その性質を覆すほどの過剰な自信が必要になるのです。
そこで考えられたのが、かませ犬です。若い闘犬に犬をあてがい、とにかく噛ませる。こうすることで、若い闘犬は勝つことを覚えます。「俺は強い!」と物怖じせずに相手を噛むようになれば、立派な闘犬の出来上がり。
どうですか?こんなひどい話って、ありますか?
かませ犬は、噛まれるという役目を担うのですから弱くなければいけません。そのため引退した闘犬の口を縛り、かませ犬として利用することもあったようです。
かませ犬の恐怖や痛みを想像してみてください。その先に待つのは死、のみでしょう。どんな思いを抱えて暗い夜を過ごしたのか。どれほどの痛みとともに朝を迎えたのか。キーボードを叩く私の手の震えは、一向に止まる気配がありません。人間の娯楽のために生まれた闘犬やかませ犬。そこにはもちろん、愛情なんてありません。
傷だらけのマードックのお話
マードックも、かませ犬として噛まれ続けてきました。その傷は直視できないほどひどく、人間のエゴでそのような姿にしてしまったと思うといたたまれません。口の中をのぞくとそこに歯はなく、片方の目にはもう光が宿ることはありません。
アメリカでは、マードックのようなピットブル種は、保護されても受け入れる里親がなかなか見つからないそうです。その理由は、闘犬として改良されたピットブル種は、闘争心が強く危険だという偏見が根強く残っているからだと言われています。ようやく過酷な環境から抜け出したマードックですが、新しい家族のもとで新しい人生を歩むことなく、このまま一生を終えてしまうのでしょうか。
そこに待ったをかけたのは、ソフィー・ガマーン(Sophie Gamand)さん。「フラワー・パワー」という撮影プロジェクトを手掛ける女性カメラマンです。
このフラワー・パワーはどのようなプロジェクトかと言うと、写真の力で「ピットブル種は危険。」などといった偏見をなくしていこうというものです。具体的には、背景を優しいトーンにし、花の冠で犬を飾り全体的にふんわりした印象に仕上げます。こうすることで、その犬が持つ本来のかわいらしさを表現できるのです。
マードックと初めて会ったとき、ソフィーさんはその傷の多さに驚きを隠せなかったそうです。傷だらけのマードックは、部屋の中でも一番存在感がありました。しかし、ほんの数秒でそんなことは忘れてしまったと言います。人懐っこいマードックは、トレーナーの後をしっぽをふりふり付いていったのです。ご飯の前に人が来ても、決して怒らない優しい性格の持ち主。
そんな傷だらけのマードックも、ソフィーさんの手で素敵な姿に変身しました。写真の中のマードックは、気恥しそうなすまし顔でなんだか嬉しそう!
アメリカでおよそ100万頭が安楽死させられているアメリカン・ピット・ブル・テリア。この悲しい現状に歯止めをかけるべく、ソフィーさんは活動を続けます。
人間のせいでかませ犬として生きることになったにも関わらず、今でも人間を好きでいてくれるマードック。彼の姿に学ぶものは、とても大きなものです。
最後に
人間がマードックたちに行った虐待は、決して許されるものではありません。そんな私たちを、マードックはもういいよと許してくれているのでしょうか。
犬はとても穏やかで、私たちに優しく寄り添ってくれます。それをねじ曲げたのは私たちなのに、危険な種だと安楽死へ追い込むのは間違っていると思います。凶暴に育て上げたのは私たち人間です。責任は犬にあるのではなく、私たちにあります。
心を閉ざさず、明るく優しく振る舞うマードックは、きっと私たちに何か大切なものを伝えるために生きていてくれているのだと思います。傷だらけのその姿で、体いっぱい必死に伝えようとしてくれているように思えてならないのです。
私は今日も暖かい部屋で、家族と笑い合いながらご飯を食べました。飼い犬とボール遊びをして、いつものように枕の争奪戦をしました。はたしてそれは、当たり前のことなのでしょうか。小さく思えるできごとも、もしかしたら大きな幸せなのかもしれません。マードックは教えてくれます。あなたはとても恵まれている、と。そんなマードックの新しい人生が素敵なものになるよう、私は願っています。
ユーザーのコメント
40代 女性 さら
闘犬、かませ犬、危険犬種。すべて人間の勝手で定義付けられたものです。
こういう話を聞くと、人間であることが恥ずかしくなります。絶対に許せません。
40代 女性 TIKI
記事を読んであまりに人間の身勝手さに言葉を失いました。何故、生まれてきてこんなひどい仕打ちを受けなければいけないのでしょうか。
では、同じように噛まれ続けてみてほしいです、どんなに痛いか味わってみてほしいです。私は人も犬も同じように生きていく権利があると思います。
どうかこれ以上権利を奪わないで下さい。
30代 女性 Chappy
記事を読んでいて、とても耐えられませんでした。。なんのために生まれてきたんでしょうか。
噛まれても噛まれても、耐えなくてはいけない人生って何なんでしょうね。
犬として生まれてきて、愛されて日々過ごしているワンちゃんもいれば、かませ犬として毎日を耐えて過ごすワンちゃんもいる現実に悲しくなってしまいました。
10代 女性 匿名
人間の都合で犬がつらい目に遭うのは許せません。
犬だけでなく、動物殺傷はしてはいけないということが当たり前な考えになってほしいと思います。
30代 女性 匿名
私も愛犬と暮らす生活をしており、人の感情を見抜き、優しく寄り添ってくれる日々癒されて過ごしています。
人間と同じ、気持ちを持つ生物です。
こういう記事を世界中の人たちに読んでいただき、殺処分ゼロの世の中になって欲しいです。
20代 女性 ゆい
30代 女性 ロン
記事を読んで少し調べてみると、アメリカでは当然、闘犬は法律で禁じられていますが、ヤミ賭博として行われているようでした。違法な状況で行われる闘犬だから、言語道断な行為が行われているのでしょう。かませ犬だけではなく、闘犬自身も、相当ストレスフルな状況に置かれているのも、想像にかたくありません。
ギャンブルという、完全に人間の勝手で行われている「娯楽」(?)のために、犬をはじめとした動物が犠牲になるのは、決して許されることではありません。
女性 aoi
「かませ犬」なんの冗談かと思いました。本当にそんな役割を背負った犬がいると知った時の感情は表現できません。犬だって歳を取ったらゆっくり余生を過ごしたいはず。痛い思い怖い思いをしなくてもいいはずです。
ピットブルというと獰猛な犬、というイメージが多いですが、本来しっかりとした服従心や飼い主への忠実さを持ち合わせている優秀な犬種です。しつけ次第で制することは十分に可能です。それを凶暴な闘犬にしたのは人間です。攻撃性を高める必要がどこにあったのか、その疑問を投げかけてみても、愛犬家とは考え方が違うのでおそらく納得できる回答は得られないと思います。
闘犬が素晴らしいと考える人には、もっと犬の命の重みを知ってほしいと切に願います。
女性 ムツコ
これは今の時代に育った自分だから思えることなのかもしれませんが、闘犬がスポーツといわれていた時代があるのかもしれませんが、現代に闘犬は必要でしょうか。それを見て誰が何を学ぶのでしょうか。何の必要性があって、まだ続いているのでしょうか。日本でもある一部の地域でまだ闘犬が行われていると知り衝撃です。私は子供には決してみせたくありません。人間が闘犬を作り、かませ犬を作っているのです。私も断固反対をしたいです。
女性 もっち
40代 男性 柊
ピットブル種については、非常に攻撃的性質が強く人間に対しての殺傷事件が問題視され、国によっては輸入や飼育にについて厳しい規制をかける等、簡単に飼育や取引ができない犬種になっている。が、こうなってしまったのも、人間の勝手な思い込みによるものではないか?と思わされるニュースを最近知った。米ワシントン州内で捨てられていたアポロというピットブル犬が、様々な偏見を乗り越え、訓練を受けたところ、かなり優秀なレベルの麻薬探知犬になったという件だ。訓練で触れ合った人や他犬とも友好的であり、一番の成績を収めたこと、今では相棒(警察官)も見つかり活躍していることを知った。検索すれば、多くの動画や賞賛の声が寄せられていることがわかる、こういうところもアメリカらしいのかもしれない(笑)
胸を張って言えるのは、ピットブルにも噛ませ犬にも罪はないということである。闘犬としたがったのは、人間の思い込みや都合でしかない。ピットブルにも土佐犬にも、いい未来が待っていることを願ってやまない。
20代 女性 Yoshiko
今回の記事を拝見してソフィーさんのやり方はとても賞賛すべき活動だと思いました。闘犬には長い歴史があるので、世間のイメージも固定化されています。だからこそ写真を通してあえて優しいイメージを作るといった手法は、とても効果的だと思いました。
闘犬以外にもパピーミルや虐待など、多くの犬が犬らしい生活を送ることができていない現実があります。ただかわいいだけでなく、愛犬家はこういった現状にも目を向けて一歩でもそういった犬が減るように何か踏み出すことができたらと改めて考えました。
30代 女性 ひめかわおかん
どんなに辛かったか。この子の孤独と絶望を思うと胸が痛みます。
仕事で虐待されていたと思われる犬と接する事があります。
虐待されていた子ほど、いい子が多いです。
体を触ってもらう事が大好きで、名前を呼ぶと嬉しそうに尻尾を振ります。
こんないい子に痛い思いをさせる人間がいる事に憤りをいつも感じます。
マードックの写真をみましたが、目や傷は痛々しかったですがとてもいい笑顔の写真でした。
この子がこれから幸せになるよう祈ることしか出来ませんが、この子の存在を知れて良かったなと思いました。
どんなにひどい虐待をしても、動物虐待は罪が軽くまた同じ事を繰り返す人も多いと聞きます。
いつになったらこんな事をする人間がいなくなるのか。いつも考えますが、何も出来ない現実が嫌になります。
20代 女性 ゆず
女性 チーズケーキ
40代 女性 シロ
それは、闘犬が存在するからです。
この世に何故闘犬などという殺傷し合う犬を作りあげるのでしょう。
全て人間のエゴが生み出したもの。
攻撃する犬の方も人間の歪んだ考えの為に仕方がなくしているのだと思います。
悲しいです。
酷い虐待です。。
闘犬などという悲しい犬種は無くするべきです。
その様な
50代以上 女性 匿名
女性 匿名
これを許して来た人間に、
当然の報いがありますね。
その時には、そして最終的には、
全てを知ることとなるそうですが、そうあって欲しい。
自分自身、虐待に当たることは一切していないし当然、することはないが、
その現場を止めるようなことに影響するようなアクションもしていない。
そこにも罪はあると思う。
最終的にとなった時に、出来なかったことと、やらなかったことの罰は受ける。
そういうものだと思う。
40代 女性 匿名