失って初めてわかること
私がまだ小さかった頃、ある日突然、父が柴犬の赤ちゃんを連れて帰ってきました。
それまで、私は犬が怖くて、近所の大きな犬の居る家を通る際には、いつも必死で走りぬけていたぐらいです。
ところが、我が家にやってきた犬は、ぬいぐるみのように小さくて、か弱い存在でした。
父が言うには、「ペットショップの前を通りかかったら、ケージの中で何匹かの子犬が遊んでいたのだけれど、この犬だけ、他の子犬より一回り小さくて、隅っこの方に居たから、なんだか放っておけなくて連れて帰ってきた」というのです。
私にとって、それまで犬というのは、大きくて怖い存在であると決めつけていたので、この子犬との出会いによって、犬にも人間と同じように感情があり、愛情を注げば自分のことを好きになってくれるのだとわかりました。そしていつしか犬に対して優しい心を持つことができるようになり、犬を怖いと思う気持ちを克服することができました。
それから約16年の間、その子は家族の一員で、私の妹でした。いつも一緒に居るのが当たり前で、子供の私には、犬の寿命が人間よりも短いと言われても、ピンとくる訳もありませんでした。しかし、私が大人になり、愛犬も老犬と呼ばれる年齢になって、次第に衰えていく様子が目に見えるようになってきました。そして、ついに犬が天国へと旅立ってしまった時、私の心には、自分でも分かるくらいに、本当に大きな大きな穴が開いてしまい、ペットロスという状態になってしまったのです。
愛犬を失うということが、これほど辛いこととは、失ってみて初めて気が付きました。
それまで私が生きてきた人生の中で、一番に辛いことだったかもしれません。失って初めて、愛犬が私の人生の一部になっていたことが分かったのです。
もう二度と会えないのだと思うだけで、頭がおかしくなるのではと思う程、悲しかったことを覚えています。
ペットロスを、愛犬を失った悲しみをどうやって克服していけば良いのか、その頃の私には見当もつかないことでした。
どうやってペットロスを克服したか
愛犬が亡くなって5年ほどが過ぎても、私はペットロスを克服できないでいました。私だけでなく、母もそうでした。
でも、もう、あのような辛い思いをしたくなかったので、「二度と犬は飼わない」と心に決めていたものです。
とは言え、お散歩中のワンちゃんに出会うと、ついつい撫でさせてもらったりするのですが、その度に亡くなった愛犬を思い出すばかりで、心が癒されることはありませんでした。
犬が好きだという気持ちは変わらずありましたが、愛犬を失ったあの辛い思いを二度としたくないという思いから、このままずっと犬を飼うことは無いのだと自分に言い聞かせていました。
そんな中、予期せず、また我が家に犬を迎えることになってしまったのです。それは、森に捨てられていた犬を引き取って欲しいと、知人から頼まれてしまったことがきっかけでした。
もちろん、私の両親は大反対。特に、父親は顔を真っ赤にして怒りました。
しかし、我が家で引き取ることが出来なければ、消えてしまう命です。
私には断るという選択肢は考えられませんでした。そして、親の反対を押し切り、強引に我が家に連れてきたのです。
始めは大反対していた父親でしたが、今にも消えそうな命を精一杯燃やしている子犬の姿をみて、すぐに心境に変化が現れたようです。
それでも、「明日まで生きているか分からないのだから、まだ名前はつけるな」と言って、数日は名前のないままに過ごしました。
母も、まだ目も見えない子犬にミルクをあげたり、人間の赤ちゃんに対するように、夜もつきっきりでお世話をしました。その甲斐あって、犬は日ごとに大きく成長していき、やっと名前もつけることができました。
捨て犬に振り回されて慌ただしく過ごしているうちに、母のペットロスも解消されていました。目の前に可愛い子犬がいるのだから、ペットロスが解消されて当たり前、ともいえるかもしれません。
もしかすると、その犬がまた同じように年老いて死ぬことなれば、またそこでペットロスになるだけなのかもれませんが、その時はそんな事を忘れ、ただ目の前の子犬に夢中になっていました。
その子が来るまで、私も母もそれが怖くて、長い間、再び犬を飼うことから遠ざかっていました。でも、実際にまた犬を飼い始めて気が付いたことがあります。
それは、またペットロスになっても、いいじゃないか。ということです。
確かに、ペットロスの辛さは、身に染みています。
でも、再びペットロスになることが怖くて、犬から遠ざかっている期間も、実は同じくらい辛いのではないかと。
以前は、愛犬が亡くなった後に、すぐに他の犬を飼うなんて、亡くなった愛犬に申し訳なくてできない、と考えていました。
「愛犬は私の妹であって、代わりの存在はいない」と思っていたのです。確かに、その考えは現在でもそうです。
しかし、今の犬との出会いは、天国の愛犬が、私たちがあまりにも悲しんでいることを見かねて、私たちの前に連れてきてくれたのだと思うようになりました。
天国の愛犬も、私たちがいつまでも嘆き悲しんでいるのを見るのは、嬉しいはずがありません。
まとめ
私がペットロスになって分かったことは、「ペットを失って味わった喪失感は、ペットによってしか、克服することができない」ということです。
そこで再びペットを飼ってしまうことで、ペットロスの状態を先送りしているだけかもしれません。今の犬も、高齢になり、体の衰えも目立つようになってきました。
これから、またあのような辛さを味わうのかとも思います。
以前、老犬を介護した時に、心残りだったことが、いくつかあります。毎日、昼夜を問わず続く徘徊と鳴き声に、人間の方が参ってしまったこと。
鳴いているのに、聞こえないふりをしてしまったこともありました。
その時は、今よりも、老犬についての知識も少なく、老犬がどのような状態にあるのか、深く理解していなかったと思います。
今となってみれば、あの時、視力も聴力も衰えていた愛犬は、私にもっともっと、そばに居て欲しかったのでしょう。不安で鳴いていたのかもしれません。
老犬になると、飼い主に対する依存心も強くなるものですし、視力が低下した場合には、それまで以上にスキンシップや声掛けが重要となります。
でも、当時の私には、それが不十分だったように思えて仕方がありません。
後悔があればあるほど、ペットロスは深いものになり、克服するのは難しくなってしまうのかもしれません。ですから、これから介護することになっても、老犬の気持ちに寄り添っていけるようにしたいと思っています。
精一杯介護できたという思いがあれば、あの時、我が家で引き取らなければ間違いなく消えてしまった命を、今日まで長生きさせてきたのだから、という気持ちもあるので、ただ寂しいだけでなく、無事に寿命を迎えさせることができたという思いを持てるはずです。
そして、もし、また再び犬を飼うことになるのか、といえば、それは年齢的な問題もあり、無理なことかもしれません。
いくら飼いたいと思っても、犬の一生に責任が持てないのでは、飼う資格はありませんから。
ですから、ボランティアなどで、犬と関わりを持っていくことも選択肢のひとつだと思っています。
同じ屋根の下で暮らさなくても、自分に心を開いてくれる犬との出会いがあれば、ペットロスは克服できるのではないでしょうか。
ユーザーのコメント
女性 匿名
ペットロス・もう犬は飼わない・長い時間が過ぎても癒されない気持ち…凄く伝わってきました。
家の愛犬は8歳を迎えようとしています、いわゆるシニア犬。まだまだ天国へ行く日は先なのに【その日】を日々恐れて涙する事も多々あります。そんな先の事を考える時間があるなら愛犬を可愛がれって周りからは言われるのですが今からペットロスが怖くて仕方ありません!この子が居なくなったら私も一緒に逝こうと考えてしまいます。
でもこの記事を読んで少し気持ちが楽になりました。
不安がってばかりいずに今を見なくちゃダメですね!愛犬は私と一緒に生きているんですからこの時間を大切にしようと思います。
ありがとうございました♪
女性 匿名
今年の4月に虹の橋へ送りました。
そんな愛犬に対して色んな面で後悔ばかりしてます。とてもとても辛く悲しく、毎日泣いてばかりです。
家族の前では涙を流すことが減りましたが、1人になると…なぜか涙が出ます。
家の中が静かに感じ、何かが足りない感じです。こんなに辛く寂しく悲しいなら、もぅワンコに出会いたくないって思ってしまいます。
…でも私の本心は、ワンコが大好きでワンコに触れたくてたまりません。
私もいつか、ワンコに出会えるでしょうか。巡り会えるでしょうか。どこかで縁があって巡り会えたら嬉しいのですが、今の私には先が見えません。