俳句とは
俳句とは、五七五のリズムの17音で情景や感情を表現する短い詩のことです。江戸時代前期に松尾芭蕉が俳句の先駆けとして活躍し、明治時代には正岡子規が現在の俳句という呼び名を定着させたと言われています。
最近では芸能人が俳句を作るテレビ番組のコーナーも人気があり、俳句が現代人にとっても身近なものになりましたよね!
川柳との違い
同じく五七五のリズムからなる川柳と俳句の違いは、季語を入れる決まりがあるかどうかにあります。俳句には季節を表す季語と呼ばれるワードを使って表現する決まりがありますが、川柳には季語は入れないため俳句よりも自由度が高いです。
俳句と犬猫
春先に発情期がある猫は、「猫の恋」「猫の子」「猫さかる」などなど多くの春の季語として登場しています。「猫が発情期を迎えて鳴いているな、もう春なんだなぁ」というように、季語とは季節を想像させるキーワードのような存在です。
一方、犬は決まった季節に発情期や目立った変化のようなものがありませんので、季節と関連付けることが難しく猫のように季語になっていません。
猫とは違う犬の存在
季語にはなっていない犬ですが、猫と同様に太古の昔から人間と共に生きてきた歴史がありますので、犬が登場する俳句もたくさんあります。
ただ、弥生時代から江戸時代に「生類憐みの令」が出されるまで、日本には犬を食べる文化がありました。そのため、当時の犬は現在のように「パートナー」「家族」という存在ではないことも多かったため、猫と犬にはその点でも違いがあるのかもしれません。
しかし、犬が登場する俳句には現在と同じように、飼い主さんと犬の絆を感じるものがたくさんありました。次に、たくさんある犬にまつわる俳句の中で、筆者がいいなと思った俳句を季節ごとにご紹介します!
春の俳句
永き日や 鶏はついばみ 犬は寝る(加舎白雄)
春の穏やかな情景が想像できます。春の暖かさの中で、ずっとうつらうつらしていたいような穏やかさを感じました。
初蝶の 一夜寝にけり 犬の椀(小林一茶)
「初蝶」とは、春になって初めて見る蝶のことです。ワンちゃんのごはん皿の中で蝶々が一休みしていたのを見つけて、静かに見つめながら春の訪れを感じたのでしょうか。
夏の俳句
犬抱けば 犬の眼にある 夏の雲(高柳重信)
真っ青な夏の空に浮かぶ入道雲がワンコの瞳に映っているところを想像しました。ダイナミックで鮮やかな色を想像できたところが夏らしい俳句だなと思いました。
うれしけに 犬の走るや 麦の秋(正岡子規)
秋とありますが、「麦の秋」は夏の季語だそうです。楽しそうに麦畑を走り回って遊ぶ犬の姿を想像しました。
秋の俳句
曳かる犬 うれしくてうれしくて 道の秋(富安風生)
「曳かる犬」とは、リードで繋がれてお散歩している犬のことでしょうか。「うれしくてうれしくて」が10文字なので字余りなのですが、7文字の型にはまらないほど溢れる「お散歩が楽しい!」という犬の喜びを感じました。
蟷螂に 負けて吼立つ 子犬かな(村上鬼城)
蟷螂(とうろう)とはカマキリのことです。子犬がカマキリを怖がってキャンキャンと鳴いていて、それを見た人たちが笑っているような、なんともほほえましい情景を想像しました。
七夕や 犬も見あぐる 天の川(正岡子規)
満天の星空、壮大な天の川を見上げた犬の目は、きっと星が映ってキラキラしていたのでしょうね。七夕のロマンチックな一句だと思います。
冬の俳句
白砂に 犬の寐ころぶ 小春哉(正岡子規)
「寐ころぶ(ねころぶ)」は「寝転ぶ」のことです。冬の小春日和にほっとした犬がお昼寝をしているのでしょうか。優しい気持ちになる俳句です。
羽子板を 犬咥え来し 芝生かな(高浜虚子)
お正月にワンコが羽子板を咥えて「一緒に遊ぼう!」とはしゃいでいる情景を想像しました。
羽子板の遊び方がちょっと違うけど、それもまた愛しいですね(笑)
三日月や 枯野を帰る 人と犬(正岡子規)
細い三日月が顔を出す夕暮れに、寒さを感じながら一緒に帰る犬と飼い主さんの情景を想像しました。冬のもの悲しさもありつつ心温まるような優しい一句です。
まとめ
今回は犬が出てくる俳句をご紹介しました。今回は私の好みでピックアップしましたが、どうやら自分は正岡子規さんの一句にグッとくるということに気が付きました。今回ご紹介したものの他にも犬にまつわる俳句はたくさんありますので、ぜひみなさんもお気に入りの一句を見つけてみてくださいね!