出会い
犬を飼うまで
それまで私は犬を飼ったことがありませんでした。初めて飼ったペットは猫で、その子が1歳半という若さで亡くなってしまい、ひどいペットロスになってしまってから、どんな動物でも大好きなのですが、飼うことにためらいがありました。怖かったのです。また別れなくてはいけない日がくることが。
けれども、一軒家を購入し、まだ未就学だった子供たちも「犬が飼いたい」とか「猫をもらいたい」とか言うので、「飼わないからね」と言いながらもペットショップをまわったりしていました。
当時はまだ、今のように「里親制度」で犬を譲り受けるというケースが少なく、拾う、保健所から引き取る、知り合いからもらう、買うあたりがメジャーだったと思います。
ペットショップめぐり
いろんなペットショップをまわりました。「飼わない」と言いつつも、まわっていれば動物好きの血は熱くなります。それこそ何十万円もする子犬もいました。今考えれば、命に値段って、おかしいことなのですよね。
「柴犬がいい!」と子供に言われ、柴犬専門のお店まで1時間も車を走らせたりもしました。でも、なぜか心に響かなかったのです。そんなとき、コロンとの出会いがありました。
売れ残りの子犬
その日、車を走らせて向かったのは県内の小型犬を扱っているブリーダーさんのところでした。お店の中に入ると、ケージの中にシーズーやポメラニアンが何匹かいて、その後ろのフリースペースも、やはり何種類かの小型犬が12~3匹いました。
ふと、外を見るとサークルがひとつ造られていて、そこでぴょんぴょん跳ねている子犬がいます。近くに寄ってみると「遊んで~!遊んで~!」というように、嬉しそうに飛び跳ねています。お店の人に聞くと「もう半年になるんですけどね、売れないんです。あの子は目を離したすきに シーズーとポメラニアンの間に出来ちゃった子なので血統証がついていないんです」と言います。
「ねぇ遊んで!連れて帰って!!」そう言われている気がして、「あの子ください」言葉が口から出ていました。家族にも相談せずに決めてしまっていました。
当時はまだ「MIX犬」なんて言葉はなかったに等しく、「血統証がついていない犬≒雑種」という時代でした。今のように十万円以上することもなく、さらに半年たっているからと値段もかなり安かったです。でもそもそも血統には全くこだわりがないし、何より私はその場で「一目ぼれ」してたんです。その子犬の愛らしさに。
不思議ですよね。犬を飼ったことがないから不安もあったのに、抱っこした瞬間、そんなの忘れちゃってました。ブリーダーさんはきれいにシャンプーしてくれて コロンを渡してくれました。この日からコロンは、我が家の長女で末っ子になりました。
コロンとの日々
兄妹のように
当時、息子たちは、来年小学校と幼稚園に入る年齢でした。連れて帰って喜んだのは、言うまでもありません。家族全員にとって「はじめての犬との生活」。
とにかくまだ子犬なので いろんなものがおもちゃになりました。息子たちが宿題後、ちゃんと片付けなかった鉛筆は気づいたときにはボロボロになっていたり、スリッパを咥えて行ってどこかに隠しちゃったり。息子二人にお転婆な妹ができた!そんな感じでした。
でも、コロンはあまり鳴くことがない子で、最初は主人も「声が出ないんじゃない?」とか言ってましたが、大丈夫!インターフォンが鳴ったり外に猫が通ったりすれば鳴いてましたから。
やきもち
コロンと言えば、今でも語り草になっていることがあります。主人の会社に子犬(乳飲み子)が捨てられたことがあり、責任者だった主人が連れて帰ってきたときのこと。主人はたぶん、コロンと2匹で飼えればと思ったのでしょう。
その夜は、子犬の授乳や排泄の世話で私もコロンにかまってあげることができなかったのですが、3時間も経たないうちにコロンが嘔吐したのです。急にどうしたの?と騒いでる間に、今度は下痢。コロンの具合が悪くなっちゃった。明日、病院に連れていかなきゃ。でも、何が原因?と考えたときに「子犬だ」と思い当たりました。自分以外に皆の注目がいってしまったことが原因なんだろうと。
翌日行った獣医さんの言葉は、今でも忘れられません。「過保護に育てた子にこういう現象がみられるんです」。
幸い、主人の職場の人で飼ってもいいと言う人が現れたので、子犬はその家にもらわれていきました。
子供たちにもコロン以外の動物は飼えないことを説明しました。その後、コロンとの生活は16年半続き、たくさんの楽しい思い出が家族全員の心に残りました。
3ヵ月の闘病とお別れのとき
ゴールデンウィークに突然
コロンは10才を超えてから、2回手術をしました。それは、お乳に小さなしこりができたからです。年中、抱っこし撫でていたので、しこりにはすぐ気づくことができました。精密検査の結果は2回とも良性でした。他には、気管支狭窄症気味ではありましたが、お薬を飲めばおさまる程度で大きな病気も怪我もありませんでした。
ところが2013年のゴールデンウィーク。突然、食べられなくなり、胃液を吐き、ぐったりしてしまったのです。慌てすぎて、かかりつけの獣医さんは、ゴールデンウィークは休みじゃないのに勝手に休みだと思い込み、緊急の病院に駆け込んでしまったくらいです。
腎臓の数値が悪いということで、入院となりました。慣れない病院でケージに入れられ、点滴のためエリザベスカラーをさせられた、心細いコロンの姿は今でも忘れられません。
ケージの前で「コロン!コロン!」と呼びかけることしかできず、涙が次から次へと溢れてきました。「コロン、早く良くなって、またバラの花を見に行こう」「あの公園のドッグランに行ってみよう!」そう話しかけました。
3日くらい入院して年齢が年齢なので、と獣医さんの許可が出て連れて帰ると、見た目には元気になったような気がしました。いつものようにご飯も食べ、いつものように散歩もし、家族でいると嬉しそうで。
ゴールデンウィークが終わりかかりつけに獣医さんに連れて行き、事情を説明したところ「吐くようなことがあったらすぐ連れてきて。点滴します」と言われ、亡くなるまでの3か月間 何度か点滴に通いました。点滴を受けると元通り元気になるので「点滴し続けてもいいから20年は生きてね」なんて言ってました。
お別れのとき
でも、そんな時間は長く続きませんでした。症状が出てから3ヵ月。その半年前に血液検査したときは、すべて「A判定」で問題なしだったのに、症状がどんどん悪くなり、点滴を毎日受けても数分起きてまた寝て。ごはんも食べられなくなっていきました。
それでも一縷の望みをかけたいのが、家族なんですよね。かかりつけの先生に 大きな病院を紹介してもらい、なんとか、なんとか助けて!と。
大きな病院に行った2日後。お水をシリンジで飲ませてあげようとした瞬間、静かにコロンは息を引き取りました。
こうやって書いていても涙がポロポロ流れ落ちるくらい、5年経った今でもあの時の光景は目に焼き付いています。出張で出かけていた長男の帰りをたぶん、コロンは待っていたんだと思います。長男の帰宅を待って家族全員で火葬場に行き、コロンを虹の橋へと送り出しました。
後悔していること
犬でも猫でもそうですが、自分の大切な家族だと思うからこそ、1分1秒でも長く生きてほしい。どんな形でも生きていてほしいと望んでしまうため、あの手この手と考え、手を尽くしたくなります。
でもあの時、大きな病院に連れていく必要はなかったなと今は思います。大きな病院で1日検査されて。弱っている体に追い打ちをかけるような結果だったなと思います。それはコロンに対し、今も申し訳なく思っていることです。
老衰という形でもどんな病気やケガであっても、動物は最期まで「生きることを忘れない」と聞きます。人間もそうだけど、「寿命を全うしよう」としているのであれば、一番その子が望む形で看取ってあげるのが良いことのように思いました。
ユーザーのコメント
40代 女性 野月
老衰ですね。晩年は認知症かな。排泄の認識がなくなったのかな。家中所構わず排尿。当時はオムツという物を知りませんでした。
ご飯食べれなくなって間もなく、
最期は静かに、ふーっと大きく呼吸して腕の中で。
食べれなくなってから山羊の乳がいいという事で探し回りました。
食べれない、飲めないっていうのにね。
現職で看護師しています。
延命の残酷さに気が滅入ります。
食べれなくなったら一区切りと考え自然に逆らわず、生物とは枯れるように静かに亡くなる事が1番苦痛なく逝けます。
看取りは悲しくないけど、寂しいかな。
もう会えないからね。
出逢ったら終わりは必ず訪れるから
毎日力いっぱい愛してます。
全力で守ってます。
彼らに癒しを貰う。
わたしは安心をあげる。
ペットロスからの、今4頭と生活してます。
50代以上 男性 カズ
その時、勇気をくれたのが愛犬でした。
その愛犬との生活も、15年となり
いつ何時、もしもの事を覚悟しなければと
思っています。
参考にさせて頂きます。
40代 女性 ミントママ
今は落ち着いていて、息子犬も飼い主の心配度合いも比較的穏やかに過ごせています。
病気がある分「あと何年一緒に居れるのか…」と不安になりますが、だからこそ一緒に過ごすこの時間一瞬を触れ合いながら大切に過ごすようにしています。
仕事をしているので、一緒に居る時間がただでさえ少ないため、4倍も早く犬生を生きている愛犬とのかけがえのない時間を大切にしています。
40代 女性 マルちゃん
本来の天寿をまっとうするということに抗ってることではないか?でも、少しでも長くいたいとおもってしまう。実家にいるときは常に犬がいて何びきもお迎えしては、お別れの繰り返しでした。昔は延命なんて頭はなく、そのまんまでの流れで見送った記憶があります。今は猫を飼ってるけどいつか覚悟しなきゃ行けない日が例え明日来たとしても 悲しみに暮れずに保護猫などをお迎えしていきたいなとおもいます。亡くなって数年ペットロスになる人は大勢いますが、悲しみよりも一匹でも多くを救ってあげれたらと考えると
泣いてて時間をすぎてくより 猫や犬のために行動に移せることが亡くなった子達が喜ぶことではないかな?とおもいます。