保健所の犬たち
置き去りにされた犬
それは私がまだ小学生後半か中学校に入ったばかりの時の事です。1匹の置き去りにされた捨て犬を保護したことありました。
隣の家の敷地内に、小学生くらいの見たことのない兄弟2人が勝手に入ってきて、車庫裏の木に、犬を紐で括りつけて去っていきました。
その光景を私は一部始終、自宅の窓から目撃していました。
兄弟は犬の紐を木に括り付けると、足早に去っていきました。
そのとき、私は、町に買物にでも行くために、兄弟が犬をちょっとそこに繋いだだけだろうと軽く考えていました。
でも、その兄弟が、戻ってくることはありませんでした。
捨て犬
私は、置き去りにされた犬(成犬雑種)が可哀そうで、ドッグフードを買ってきて、水と一緒にあげました。
そして、その兄弟が戻ってくるのを2日くらい待ったと思います。
しかし、その兄弟は二度と戻ってくることはありませんでした。
3日目になってから、その犬を我が家に連れて行きました。
そして木には、「犬を預かっています。ここに電話してください。」と張り紙をしておきました。
でも、電話がかかってくることはありませんでした。
その結果、犬は我が家の犬となりました。
明らかに捨て犬だったのですが、当時の私は、警察に届けるという考えも、保健所に連れて行くという知識も、どちらもありませんでした。
行き場をなくした捨て犬を拾って一緒に暮らす。それだけでした。
別れ
それから毎日、犬と一緒に散歩するのが日課になりました。
犬と暮らす日々は、とても楽しいものでした。
でもそれは、突然来ました。
その犬と暮らし始めて数年後のこと、犬が病気にかかってしまいました。
何度も獣医さんに連れていきましたが、犬の命が助かることはありませんでした。
私は冷たくなった犬の体を抱えて号泣しました…。
父
現実的な話、亡くなってしまった犬の体をどうしたらいいのか?
庭に埋葬するのは、父から反対されました。
大きすぎたのです。
それで父が市役所に問い合わせたら、”ごみと一緒に袋に入れて出してくれ”と言われました。
でも、それではあまりに可哀相だと、父は保健所で火葬してもらうのが一番いいと提案してきました。
私もそう思いました。当時はペット霊園とかがなかった時代です。
それで、私は何も考えることはなく、ただ愛犬を火葬してもらうということで、一緒について行ったのです。
そこがどういう場所なのかということはなんとなくは知っていましたが、そのときはそんなことを考えている余裕などありませんでした。
だって、あんなにかわいがっていた愛犬が亡くなってしまったばかりなんですから。悲しみが私を支配していました。
それはもう数十年前のことになります。私はまだ未成年でした。
保健所の壮絶な光景
当時の保健所は、収容された犬たちが1つの大きな檻にすべて一緒に入れられていました。
その檻は、事務所の隣で、外から覗くことができました。
職員さん以外の人間が訪れたということで、犬たちは一斉になき始めました。
それは今までにきいたことがないような、とても悲痛な声でした…。
檻の方をおそるおそる覗くと、犬たちが一斉に私の方を見て、檻の下から前足を出して、必死で床をひっかいていました。
その光景は、まだ子供だった私の脳裏にくっきりと焼き付きました。
みんな悲鳴のような声で、外部から来た父と私に助けを求めてきたのです。
「ワンワン」ではなく、「キュイーン、キュイーン」という悲鳴のような鳴き声でした。
私にはそれは、「お願い!助けて!早くここから出して!怖くてたまらない!私たちは殺されるの!!」と聞こえてきたのです。
必死に助けを求めて檻の下から前足を出して、床をかきむしって悲痛な声で一斉になく犬たちの光景は、それはそれは壮絶でした。
犬の火葬手続をしている父を待つ間、私はその檻の犬たちをずっと見ていました。
中に入ることもできたのですが、勇気がありませんでした。
入り口の所から、そっとのぞいていたんです。言い知れぬ悲しみがこみあげてきました。
そして、手続が終わり、愛犬の亡骸を置いてきた父に、「ねぇ、ここから犬を連れて帰っては駄目?1匹でいいから、連れて帰りたい…1匹でも助けたい…」と懇願しました。
父も犬たちが職員さん以外の私たちに対して、助けを求めていることはわかっていました。
その上で私にこう言ったのです。
「助けたいのはわしも同じじゃ。だがな…お前はこの中から1匹を選べるのか?わしは選べんぞ…」
私は父が何を言わんとしているのか、すぐに察しました。
”選ばれなかった犬たちにとっては、最後の希望が絶たれ、それは絶望を意味することになる”
そう思いました。まだ未成年の私がです…。それが一瞬で分かったのです。
それほど、その光景は壮絶でした。犬たちの必死の思いが辛すぎました。
父は再び口を開き、「全員連れて帰れないのであれば、選ぶべきではない…わしはそう思う」と言いました。
それで私は、諦めました。
悲しかったけど、未成年の私には、あのとき、どうすることもできませんでした。
数頭というレベルではありませんでした。たぶん20頭くらいはいたと思います。
犬たちの檻の奥には、焼却されて殺処分される檻のようなものがありました。
他に部屋はなかったので、間違いないと思います。
犬たちの目の前で仲間が殺されている…。
あそこに収容された犬たちはそれをずっと見てきているのです。
だから犬たちがあのとき抱いていた恐怖は想像を絶するものだったに違いありません。
あのときの犬たちの助けを求める悲鳴のような叫びは、私は一生忘れないと思います。
あのときの犬たちの必死で助けを求めるしぐさは、私は一生忘れないと思います。
そして今
あれから何十年という月日が流れました。
その間、私は迷い犬を保護して飼い主さんを探したり、捨て猫を拾って保護したりと、それなりに保護活動を個人レベルでしてきました。
渡米してからも、捨て猫総計7匹保護して一緒に暮らしていました。
そのうちの1匹は現在も一緒に日本で暮らしています。
再び日本に戻ってきて、私たち夫婦は、もうほぼ引退生活を送り始めていたのですが…。
突然、ボランティア団体から声を掛けられて、一緒に保護活動を始めることになりました。
私が保健所で殺処分されるであろう犬たちの必死の叫び声をきいてから、数十年後のことです。
既に保健所で殺処分されるはずの犬たちを、数頭救っています。
そして、保健所に収容された迷い犬を、無事飼い主さんに戻すことにも成功しました。
まだ団体のメンバーになって約2か月です。
そのわずか2か月で命をいくつか救えました。
これからメンバーとともにもっともっと命を救えることを願っております。
やっと私がこの人生で本当にやりたかったことにたどり着けたと思います。
ボランティアなので、収入には一切なりません。それよりも支出の方が多いです。
でも、お金では買えない”命”を救うということに、全力を注ぎたいと考えています。
残された私のこの現生の時間で、あといくつ命が救えるかはわかりませんが、1つでも多くの助けが必要な動物たちを救い出せればと願います。
たくさんの犬たちに、必死に、そして多分最期の助けを求められたのに、あのときの私は何もできませんでした…。
そのときの何もできなかった悔しい思いが今、やっとこうして、つながったのだと信じます。