飼い主が亡くなっても一生面倒をみてくれるペット可老人ホーム
『さくらの里 山科』のこころみ
神奈川県横須賀市にある社会福祉法人 心の会が運営する特別養護老人ホーム『さくらの里 山科』では、2012年4月の開設当初から、自分のペットである犬猫と一緒に入居できるシステムをつくり、2015年10月現在で、犬5匹、猫10匹が入居者と共に暮らしています。
さまざまな工夫
- 予防接種などの管理をおこなっている
- 朝晩の犬の散歩はボランティアが協力しておこなっている
- 庭や屋上も犬に開放している
- 動物と暮らすことを望んでいない入居者のために、犬猫と暮らす専用フロアを設けており、他の階と住み分けている
- 居住スペースが犬ユニット、猫ユニットに分けられ、犬好き・猫好きの人がそれぞれ入居している
- 犬猫は入居者の部屋やベッドも出入り自由
- 入居者である飼い主が亡くなった後もペットの面倒を最期までみてくれる
特別養護老人ホーム(略して特養)では全国で唯一
特養ホームとは、社会福祉法人や地方自治体が運営する公的施設であり、様々なサービスの質の高さをうたう民間企業の有料老人ホームに比べると、費用が安いという特徴があります。
老人ホームに限らず、公的施設は、ただでさえ動物の入れない場所が多いもの。ましてやそれが、人手不足、資金不足、運営困難、といった問題もあげられることもある、介護の現場で行われているとは本当にに驚きです。
さらに、費用が安いため入居待ちの人がたくさんいる特養ホームからペットとの入居の試みがスタートしたことは、
「有料老人ホームは一般人にはなかなか手が届かない。特養こそ一般人が使うところ」
「この取り組みが全国に広がってほしい」
と施設長の若山氏が言うように、現在の介護施設事情に一石を投じたと言えます。
ペットとの暮らしをあきらめない!
老人ホームは意外と決まりごとが多く、自由な外出、買い物、続けてきた趣味、朝寝坊など、これまでの自分らしい生活の多くをあきらめなければならないことが、当然のように思われてきました。
中でもペットと長年暮らしてきた人々にとっては、老人ホームへの入居はすなわち『ペットとの別れ』を意味します。
入居後、喪失感と別れたペットを案じるがあまり、体調を崩したり、半年も経たないうちに亡くなるというケースもあるそうです。
これでは本当の福祉とは言えません。
さくら苑では、『福祉は本来、生活を支える場。生きるのに最低限必要なケアだけではいけないはず』と『あきらめない福祉』を掲げ、『高齢になっても普通の人と同じように人生を楽しむべき』として、旅行や食事に力を入れる延長線で「ペットと同居」を実現させたのです。
終生同居、終生飼育だからこその意味
25年ほど前の時点ですでに、特養ホームでの犬猫飼育は始まっていました。(横浜市の特別養護老人ホーム「さくら苑」)
これらの犬猫と共に暮らす中で、入居者が犬を撫でようと不自由な手足を頑張って動かしたり、発語のなかった人が犬の名前を呼んだりと、自発行動が増えた実例があり、その当時から老人ホームにおけるセラピードッグなどの役割が注目されるようになりました。
『さくらの里 山科』でも、
- 認知症の症状改善や進行の防止
- 身体能力の向上
- 健康増進
など、予想以上の効果につながっているといいますが、若山氏が、
「一緒に暮らすことが目的であって、アニマルセラピーが目的ではない」
と述べているように、飼い主にとっては、ペットとの普通の生活を最期の日まで続けられることにこそ大きな意味があります。
それが共に入居できる上、自分亡き後も、愛犬・愛猫が引き続き信頼できるスタッフに世話してもらえることが保証されるだけで、どれだけ安心して過ごせることか!
また、老齢期に入り、すでに飼うことを諦めていた入居者も、もう一度、犬猫と暮らしたいと、あえて「さくらの里 山科」に入居する人もいるそうで、施設には保健所から引き取った犬猫もいるのだそうです。
働く側にとってもメリットがある
どこの施設も運営が厳しいと言われる介護の世界。
『さくらの里 山科』も、多くの先進的な取り組みをするにあたっては、
「確かにもうけを削ってギリギリでやらなければならない苦しい面もある。けれど、厳しい労働条件よりやりがいを感じて動物のいるユニットのスタッフ希望者も多く、入居者を喜ばせることがしたい』
と、仕事にも意欲的なのだそう。
元トリマーのスタッフもいるとか。
職場に動物がいることは、それだけで心和むもの。
思いがけない効果も生み出しているようです。
高齢化社会のペット事情…老人ホームで飼えない現実
飼い主高齢化による飼育放棄が増えている
かつて保健所への犬の持ち込み上位は、未避妊・未去勢のため生まれてしまった子犬など、無責任な飼い主による飼育放棄でしたが、近年では全国的に「飼い主高齢化による飼育継続困難」といった理由での持ち込みが増えています。
- 高齢な親の介護が生じて、家族は犬の世話までできない
- 親の入院、老人ホーム入居、または他界により犬が残されたが、子ども家族はペット不可住宅で飼えない
- 身寄りのない独居の高齢者が認知症または亡くなるなどして犬だけが取り残される
など、どんな理由、経緯であれ悲しいことに違いはありませんが、中でもひときわ胸の痛むのが、独居の飼い主が亡くなり、誰にも気付かれないままペットが取り残されて餓死、というケース。
人だけでなく、そのペットの行く末もジワジワと水面下で社会問題になりつつあるのですが、
どうしてもペットは個人の責任であり、個々の問題とされてしまうので、飼い主高齢化とペットに対し、行政による対策は何ら進んでいないのが現状。
しかし、20年後は3人にひとりが高齢者といわれる深刻な日本の高齢化。『さくらの里 山科』の若山氏が、「現在70代になる団塊の世代がいっせいにペットと共に老いるこれからが重要」と指摘するように、これまで通りの福祉のあり方では、行き詰まることは目に見えています。
高齢者が犬を飼うということ
高齢者が犬や猫と暮らすことにより、血圧が安定する、心臓疾患が減る、長生きするなど、心と体の健康に大きなメリットのあることは科学的に証明されています。
だからと言って、年老いた親に、認知症予防になるからと、ペットを無理に押し付けるのは適切ではありませんが、高齢者だからこそのペットと暮らす意義は非常に大きいとは言えます。
ただし、どうしても考えなくてはならないことは、犬の寿命は平均で12~15才です。飼い始めが60才であっても、犬を見送る頃には後期高齢者になります。
実際には60才と言えば、まだまだ現役として社会で活躍する人も多く、『あきらめる』年代ではありません。けれど、自分の将来と取り残されるかもしれない犬を、あえて飼うことを断念する人はとても多いのが現状です。
実際、年々、人間の高齢化により犬の飼育頭数は減少傾向にあると言いますが、『さくらの里 山科』の試みは、高齢だから仕方なくあきらめるのではなく、むしろ高齢者がペットとの生活を全うできる仕組みをつくれば道は開けることを示してくれていると言えるでしょう。
ペットと老人ホームに関するまとめ
飼い主亡き後もペットの面倒を見てくれる、ペット同居可の老人ホームの根底にあるコンセプトは『あきらめない福祉』であり『普通の生活を最期の日まで続ける』こと。
愛犬家にとって、自分の犬とずっと一緒に暮らすこと、さらに愛犬の最期を看取ることこそが、ごく『普通』の生活です。
普通に暮らすことは、すなわち人としての尊厳を全うすることに他なりません。ペットである犬にとっても、最期まで自分の飼い主といられることが一番の幸せなのは言うまでもありません。
高齢化が進む現状では、犬の飼育率は年々下降線で、愛犬家の中でも、「年をとったら犬は飼うべきではない」という声は少なくありません。
でも、そうした人々だって、本心ではできることなら一生、犬と暮らしたい気持ちに変わりはないはず。愛犬と一緒に入居できる老人ホームが増えれば、可能性は確実に広けていくはず。
「さくらの里 山科」の取り組み、ぜひとも広まってほしいものですが、現時点で肝心な福祉関係者からの問い合わせはあまりないのだそう。
施設長の若山氏によれば、
「入居待ちが多い現況では、営業努力せずともお客を確保できるため、わざわざ経費と手間のかかる犬や猫を受け入れることは経営上のメリットがないと考えられる」
ためだとか。
それは残念な話ですが、ただ、高齢化の波の中で、血の通わない経営優先、経済優先の社会はどうしたって立ち行かなくなります。
人とペットの関わり、両者それぞれの福祉を考えて実行に移していくべき時期に、すでに入っていると言えます。
全ての愛犬家、そして社会全体でこの動き、しっかり見守り、チャンスがあれば積極的に前向きな意見を表に出していきたいものですね。